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「未来になれなかったあの夜に」

「未来になれなかったあの夜に」

amazarashiの曲の中でも比較的新しいこの曲について、少し語らせてください。横浜流星さんがPVに出演したことでも有名な曲です。

皆さんは「未来になれなかったあの夜」はあるでしょうか。
僕はあります。受験で第一志望に落ちて第二志望の大学に行く決意をした夜、高校で理系でなく文系を選んだ日の夜など。「未来になれなかったあの夜」はそういった選択につきまとうものだと思います。

その「未来になれなかった夜」は無限にあり、いつまでも自分につきまとうものだと思います。「あのときこうしてれば」とか「何であんなことをしたんだ」とか。そして、あの時の選択について考えてしまう夜が来て、また選択し、後悔しの繰り返しだと思います。

秋田さん(amazarashiのボーカルかつ作詞作曲)はそんなことを、ふと考えてしまう僕たちにこの「未来になれなかったあの夜に」という曲を歌ってくれたと思います。秋田さんも同じような夜が何度も何度もあったと思います。だからこそ、こんな歌詞を書けたのだろうと思います。

夢も理想も愛する人も 信じることも諦めたけど 
ただ一つだけ言えること僕は 僕に問うこと諦めなかった

僕たちは、何かの選択の度に何かを諦めます。それは、夢であったり、理想であったり、愛する人だったり、信じることだったりします。しかし、その選択の度に、本当にこの選択でよかったのか、諦めるものはこれでよかったのか、などよりよい選択のために必ず自分自身に問うことはしています。そもそも、問うことを諦めてしまったら、「未来になれなかった夜」なんて来ないはずです。

つまり、「未来になれなかった夜」が来るということは、より良い選択のために自分自身に向き合った証拠です。

こういう自分を失わない姿勢は誇るべきものです。

醜い君が罵られたなら 醜いままで恨みを晴らして
足りない君が馬鹿にされたなら 足りないままで幸福になって

「罵られる」「馬鹿にされる」はどっちも他の人から僕たちへの攻撃です。でも、醜くても、足りなくても、君は君で、僕は僕です。もし、自分のあの日違う道を選んでいたらこうなっていたかもしれないという人がいて、その人が攻撃してきたとしても、一番自分に向き合った今の自分は揺るがないし、違う自分になることもできません。

それなら、今の自分で何かを掴めるまで、足掻くのも一つの手かもしれません。

そこで、また何かを得たときに、「未来になれなかったあの夜に」ざまあみろと言えるのかもしれません。