時間を止める三ステップ⑧

《さあ、第三ステップだ! 時間よ止まれ!》

ここからは、第三ステップの話になります。この第三ステップの名称は「二法同時実践法」と言います。この名称に含まれている二法という言葉の意味するものは、第一、第二ステップで皆さんに取り組んでいただいた「全心没入法」および「全心観察法」のことに他なりません。

そして、第三ステップ「二法同時実践法」において、皆さんがしなければならないことは、「二法同時実践法」という名称からもお察しいただけるかと思いますが、前出の「全心没入法」と「全心観察法」を同時に、なおかつ同じ比重で、実践することです。

ただし、この二法、すなわち「全心没入法」と「全心観察法」の同時実践は、第一、第二ステップとは異なり、数息観のようなアクティブな要素のあるものに対してではなく、「立つこと」とか「座り」のようなアクティブな要素のないものに対して行います。理由は、そのほうがやりやすいからです。

で、そのアクティブな要素のないものの中でも、よりリラックスして取り組めるという意味で、「立つこと」よりも「座り」の方がベターだと言えます。

ということで、ここでは、「座り」すなわち座るという行為に対して「二法同時実践法」を行うものとして、話を進めることにいたします。

「座り」に対して「二法同時実践法」を行った場合、どういうことになるかと言いますと、「座り」の中に入ろうとする心と、「座り」の外に出ようとする心の拮抗状態が作り出されます。「座り」の中に入ろうとする心と、「座り」の外に出ようとする心が、互角の力で張り合い、拮抗した状態になるわけです。これについて、ご説明しましょう。

「座り」に対して「二法同時実践法」を行うこと、言い換えれば、「座り」に対して「全心没入法」と「全心観察法」を同時に、なおかつ同じ比重で実践することがなぜ、前述のような心の拮抗状態が作り出されることに繋がるのか?  その理由を知るためには、まず次の点を押さえることができていなければなりません。

「座り」に対して「全心没入法」を行うことと、心(百パーセントの心)を「座り」の中に入れることとはイコールである。そして、「座り」に対して「全心観察法」を行うことと、心(百パーセントの心)を「座り」の外に出すこととはイコールである。

この前提があるので、「座り」に対して前出の二法を同時に、なおかつ同じ比重で実践するということは、別の角度から捉えると、心を「座り」の中に入れようとする志向(意志)と、心を「座り」の外に出そうとする志向(意志)とを五分と五分に拮抗させて、どちらにも偏りの無い状態にするということでもあるわけです。もっと簡単に申せば、「座り」の中に入ろうとする心と、「座り」の外に出ようとする心の拮抗状態を作り出すということでもあるわけです。

その状態をイメージで理解したかったら、前述の二つの志向(意志)が同じ強さで綱を引き合って、おたがいにピクリとも動かず静止している様子を思い浮かべてみられると良いでしょう。

またその状態というのは、矛盾しているようではありますが、「座り」に対する全心没入と「座り」に対する全心観察が同時に成り立っている状態のようにも見えますし逆に、そのどちらでもない状態のようにも見えます。ここでは「どちらでもある」と「どちらでもない」は表裏一体なのです。

ここで、首尾よくその状態に到ることができたのか否かを見分ける最も分かりやすいチェックポイントを挙げておきますと、「心理的な時間(心に感じられる時間の流れ)が停止したかどうか」ということです。

すなわち心理的な時間が停止したのであれば、あなたはそれができたということになりますし逆に、心理的な時間が停止しないのであれば、あなたはそれができなかったということになるわけです。

首尾よくその状態に到り得て、心理的な時間の停止を体験された方はお分かりになるはずです。「今に在る」とは本当はこういうことだったんだな、と。「今に在る」ということの究極の意味は実は、自分の中の心理的な時間が停止することだったのです。


※第三ステップの話はまだまだ続きます。



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