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#忘れられない旅 第1話 2010年7月 東京

 人生は旅のごとし。ということで、古い話が多くなり恐縮ですが「旅」の思い出として人生を振り返ります。
#忘れられない旅

 第1話 2010年7月 東京
 
 人生のほとんどを福島県郡山市で過ごしていますが、1988年4月から12月までの8ケ月と2010年4月から2012年3月までの2年間は東京で暮らしていました。
 この2年間のうちに「2011年3月11日」東日本大震災がありました。
 私は東京で暮らしていましたので、被災者にはなりませんでした。
 まぁ、それはさておき2010年4月からの2年間というものは「東京で暮らす」というよりも、2年間という長い旅をしていたような気もします。
 そんな旅のお話を綴ります。

 私は東京暮らしをするにあたり、小さな目標を立てました。
「柔道の二段を取得しよう」
というものです。最初の東京暮らしで「柔道初段」を取得しましたが2段まで至りませんでした。そのやり残しを2度目の東京で充足させたかったのです。
 そのために伝手を頼り、異業種の社会人柔道倶楽部に入部しました。その倶楽部で稽古をした後の6月のある夜、先輩部員からの部員に案内がありました。
「知り合いのフランス人が来日するので、2週間ほどホームステイとして受け入れる方はいませんか」
というものでした。偶々ですが私は2DKで独り暮らしをしており、実質1部屋空いていました。その先輩と親しくはありませんでしたが
「もし誰もいなければ、狭いですが1部屋を提供できます。ご飯とか会話とかは無理なので、本当に部屋をシェアするだけになります」
と申し出ました。
「大人ですから、何も構わなくて大丈夫です。ベッドだけあれば問題無いです。フランス語が駄目でも英語での日常会話はできますから、太郎さんは心配しなくて大丈夫ですよ」
と言われ
「わかりました」
と応えたものの、我が家にはベッドがありませんでした。それに私はフランス語も英語も日常会話は無理です。しかしながら
「まぁ自分の家に来ることは無いだろう。けどソファーベッドを購入しておいて良かった」
と安堵したことを覚えています。

 ところが来日直前になり、先輩から告げられました。
「ホームステイするのは2人になります」
(聞いていませんよー)とも言えず、慌ててパイプベッドを買いに行くことになりました。

 なおホームステイ当日、東京駅で待ち合わせした2人はともに100㎏を超える巨漢で、(1部屋では狭いよー)と嘆くことになりました。
 また、フランス人ということですからワインを準備して「冷蔵庫の中にあるめはご自由に」と案内したところ、実際には缶ビールを大量に消費されたりと想定外のことばかりでした。

 「夕食時にどんな話をしようか」「どの店を案内しようか」という私の心配は全く不要でした。彼らは毎晩東京の夜を堪能し部屋には不在でした。私が出勤した後に朝帰りしてベッドに直行していたようです。姿は見えず会話もありませんでしたが、ビールの消費量は独り暮らしの時の5倍でした。
 そんな感じで2週間全く会話をすることが無い、姿を見ることが無い3人の奇妙なルームシェアというか、よくわからない共同生活が続いていました。

 最終日、お互いにメモのような手紙を書置きしました。感謝の言葉と携帯の番号がありまが、そのまま捨てました。
 一生のうちの刹那なような時間を共にしたけれど、刹那だからこそ楽しい思い出になるような気がしていました。 

 彼らとの縁はこれで終わりです。ただこの御縁が私を考えもしない世界に連れていくことになるのですから、人生ってちょっと面白く不思議だと感じています。
(第1話 おわり)

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