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【創作・再掲・全文】題名のない物語WSS(ウエストサイドストーリー)

 このお話は「題名のない物語」を、西野の視点でリライトしたものになります。このため、まず「題名のない物語」をお読みいただきますようお願いします。WSSは、ウエスト(W)・サイド(S)・ストーリー(S)という意味になります。
 無印では語られなかった西野側のお話をお楽しみください。
【完投御礼として、一気読み用・印刷用に期間限定で掲載します】

第1話 華
「どうして私が叱られなきゃならないのか」
そう考えた瞬間から、目の前でキャンキャン吠える塚原課長の声が遠くなった。
 職場の先輩から、「塚原課長の判子が漏れているから、貰ってきて」と依頼されてきただけなのに、経理の制度がおかしいとか、こんな忙しい時に来るなとか、若い世代が駄目だとか言われても、私には関係ない話でしょう。「給料泥棒」とまで言われた瞬間に、「では、もう辞めさせていただきます」という言葉が頭をよぎる、もともと好きで入った会社でもない。
「塚原課長、お話し中にすいません」
斜め後ろから声が聞こえ、塚原が顔をしかめる。声の主は西野の横に立ち、言葉を続ける。
「例の田中商事のことで、少し確認したいのですが」
言いながら、書類を塚原の机に広げる。空気の読めない人らしい。あまり目立つタイプではないので、名前はわからない。
「木元、お前なぁ、それって今しなきゃならない話かぁ」
 西野の気持ちと、塚原との意見が一致する。木元がはにかむような顔で「はい」と応える。「しょうがないなあ、西野さんはもう戻っていいよ。書類貸して」
 塚原は渡した書類にポンポンポンと判子を押して、書類を返してくれた。どうせ押すなら、さっさと押してくださいよ。と思いながら自席に戻り先輩の机に書類を置く。2つ先輩の中村が話かけてくる。
「災難だったわねぇ、塚原課長は新人を見ると必ず、マウントをとりたがる人なのよ。ま、ハラスメントみたいだけど、わが社のツーカギレイみたいなものだから、我慢してね」
 そんな通過儀礼は廃止にしてください。ハラスメントみたいではなく、ハラスメントです。
「ただねぇ、あれでいて部下想いのところもあったりして、部下を庇って上の人に楯突いたりもするのよ」
 それはハラスメントをしていい理由にはなりません。なんて駄目な会社なのでしょう。
「木元さんもねぇ、もっと早く助けてくれればいいのに、もっさりしているというか、何というか。塚原課長を止めるのは木元さんの仕事なのに」
え、助けてくれたの。単に空気が読めないだけじゃなくて、私を助けるために課長に話かけたということ。顔をあげて塚原課長の席を見ると、楽しそうに木元と談笑しているようだった。
「そういうものなのでしょうか」
「そういうものよ。後ね、うちの課長と塚原課長は同期で、塚原課長はうちの課長をライバル視しているから、うちにはことさら厳しいのよ。ま、これからも色々と教えてあげるから、仲良くしましょうね」
 中村は微笑み、西野も作り笑いを返した。そういうことは、塚原課長のところに行く前に教えて欲しかったです。とは言えなかった。

窓の外では、春の暖かい日差しが、道行く人を包んでいた。これから週末にかけて、ニュースやネットでは桜の話題が増えるのだろう。
 そんなことを考えた後、仕事モードに切り替えた。

第2話 変
 覚えなくてはいけないことが多く、今までは他の部署を見ている余裕は無かったけれど、確かに、塚原課長に叱責を受ける職員は時々いて、「なんだとー」という塚原の声が、サイレンのようにフロアに響くことがあった。そのサイレンが鳴ると、数人の職員はちょっとした歓喜の表情で、哀れな生贄に目を向ける。そして、その生贄を木元が救うのが基本的なシナリオのようだった(木元さんにお礼を言わなくてはならないのでは)。ぼんやり考えるようになった。
 あの時、木元が塚原課長の邪魔をしなければ、自分は本気で会社を辞めていたと思う。塚原課長の理不尽さだけでなく、こんな人を管理職にするという会社に対する不信感もあった。けれど、中村の言う「ツーカギレイ」という言葉はなかなか適切だったようで、中村以外の職員からも「大変だったわねぇ」「聞いたわよ」という感じで、慰めとか励ましとかの言葉をいただき、「仲間意識」が急に高まった感じがした。
 また、塚原課長が「詫び」を入れにきたと課長から聞かされた。詫びを入れる相手は課長ではなく私では、と思わなくもなかったけれど、まぁ、根っからの悪い人ということでもないらしい。そういうことを学べたことに少し感謝する気持ちも生じていた。

 そんなこともあり、塚原課長の職場を意識していたせいか、あることに気がついた。
「中村さん、塚原課長のところって、残業代とか交際費が他課や営業所よりも、断然少ないのですが、やはり塚原課長が厳しいからですか」
気づきを言葉にしてみる。わからないことをそのままにはしておけない性分である。
「あっ、気がついた。それは塚原課長というよりも、木元さんが来てからみたいよ。あの人、営業のくせに、接待とか残業が嫌いで、すぐに帰るんだけど、周りもつられてそんな感じになったみたい。で、結果として課全体の数字が下がったのよね」
「そうですか。でも、営業成績自体は悪くないですよね」
「そうなのよ、悪くないどころか、大きな売り上げは無いけど、コストをかけてないから利益率は高いのよね。まぁ、それだけ他の部署が無駄な経費をかけているとも言えるんだけどね。営業の人たちは、交際費名目で自分たちが飲んだり、食べたり、無駄な残業したり、狡いわよね。ま、ヒツヨーアクな部分もあるのでしょう。塚原課長と一緒で」
中村は自分の言葉で笑っていたが、そんなに面白い話とは思わなかった。
 木元さんは「変わった人」らしい。そういえば、社内の歓迎会の時に、色々と話かけてきたり、連絡先を交換しようとしたりした人がいたけれど、木元とは話をした記憶が無かった。誰とも連絡先を交換してないので、確認することができないことを残念に思った。お高くして連絡先を交換しなかったのではなく、父に子どもの頃から何度も言われている言葉のせいだった。
『出会って、すぐ口説いてくる異性は、愛ではなく恋で動いているので駄目だ。恋にあるのは下心だからな』
 そういう父は、母と最初の職場研修で知り合い、すぐに付き合い始めたことを知っているので、恋が始まるのも悪くないとは思うのだけれど、すぐに連絡先を聞いてくる異性は信用できないというのは、自分の経験から考えても納得できる話だった。

第3話 杯
 帰宅すると、珍しく先に父が帰宅していた。既にお酒を飲み始めている。テーブルの上には、グラスと少しのおつまみが乗っていた。
「ずいぶん早かったのね」
「今日は健康診断を受けてきた。まだまだ若い体と医者に褒められたよ」
嬉しそうな顔で話す。だからといって飲み過ぎてはいけないと思うのだけれど。
「良かった。お父さんには、まだまだ元気で居てもらわないと」
「もちろんさ、ひ孫の顔を見るまでは元気でいるぞ」
「じゃぁ、お酒はほどほどにしてね。後、私は娘だから良いけど、職場では、結婚とか出産の話を女性にしないでね。傷つく子もいるから」
「そうだな、酒はそろそろ終わるか。ところで、お前の職場では、そのセクハラとかパワハラは大丈夫なのか」
もしかしたら、父はそのことを聞きたくて、早めに帰宅したのかも知れない。
「セクハラもパワハラも大丈夫だよ。1度だけ隣の課長に強く叱られたけど、皆が助けてくれたし。新入社員にすぐ声をかけてくるような方は、ちゃんとお断りしているよ」
「そうだな、すぐ口説いてくる異性は、下心で動いているからな。まぁ、気をつけていても落ちるのが恋というものでもあるけれど」
「お父さんと、お母さんのようにね。私も一杯、貰おうかしら。着替えてくるね」

 あらためて、父と一緒に乾杯する。
「酔って言うのも何だが、お前は聡い子だから、正直、あんまり心配してないというか、信用しているというか。安心しているというか……。
母さんは何て言うかわからないが、お前に好きな男ができたら、父さんには教えてくれ。必ずお前の味方になるから。お前が選んだ男なら信用する」
「そんな人はいないけど、信用していいですよ。お父さんと、お母さんの娘ですから」
 ふいに、木元の姿が頭に浮かぶ、あの「変わった人」の話をしたら、父はどういう反応をするのだろう、空気が読めなくて、仕事に熱心ではなくて、新人の女の子に興味を示さない草食系男子。今はまだ好きでもないので、話すこともないでしょう。と考えながら、2杯目を注いだ。

第4話 護
 社会人1年目の季節は、慌ただしく過ぎていった。冬に入る頃には、すっかり仕事にも人間関係にも慣れて、友達とボーナスの使い道や年末年始の過ごし方などの話題で盛り上がることも多くなっていた。幸い、西野の会社は例年同様のボーナスが出る見込みである。経理を担当しているから、経営状況が悪くないことを知ってはいたが、あらためて社内に通知が出たことで安堵する。
 塚原課長のサイレンが鳴ったので、視線を営業に向ける。見慣れない男性が立たされていた。どこかの営業所の人だろうか。
「あー、タイミングの悪い子ね。木元さんの居ない時に来るなんて。木元さん、昨日から出張しているのよ」
中村が呟く。確かに、朝から木元の姿を見てないような気がした。
遠目なのでハッキリはしないけど、かなり険悪なムードが漂っている気がする。西野は席を立ち、塚原課長の席に向かった。
「塚原課長、ちょっとよろしいですか」
「西野君か、どうしたね」
塚原が温和な笑顔を見せる。何も考えずに声をかけてしまったけど、どうしようか。
「木元さん、今日まで出張ということですが、直帰ですか。職場に戻りますか」
「あぁ、そのこと。まだ報告は無いけど、契約が取れたら帰社して、急ぎ契約書を作成する。契約に至らない場合は直帰する予定。何か用事があった」
「急ぎの案件ではないので大丈夫です。後で木元さんに確認させていただきます」
大丈夫、不自然な話では無かったはず。自分に言い聞かせながら自席に戻る。中村が何だか嬉しそうな顔をしている。
「やるじゃない、助けに入るなんて。カッコ良かったわよ。ただ、営業所の人間だからアプローチしても、恋に繋げるのは難しいと思うけど」
自称「恋多き女」は、営業所の男性を助けるために西野が行ったと勘違いしたらしい。ここでそれを否定しても、却って尾鰭がついて話が広がることは、十分に学んでいる。
「そうですね、戦略を間違えたかもです」
曖昧に応えて仕事に戻る。確かに営業所の男性を「可哀そう」と感じた部分もあるけれど、むしろ「塚原課長を助けなくては」という想いの方が強かった。自分も最初は誤解したけれど、塚原課長は瞬間的に強く叱責することもあるけれど、部下想いで、部下を心配する余り、熱い感情が「叱責」になってしまうようにも見えた。そんな塚原課長を悪く言う人がいたり、塚原課長の真似をして揶揄する人がいることに、理不尽さを感じていた。「塚原課長を護りたい」そんな気持ちがあったことに気づく。
 こういう感情を何と言うのだろう。もしかしたら木元さんも同じように塚原課長を護るために、行動しているのだろうか。そんな疑問が浮かんでは消えた。

第5話 運
 木元の契約は成立したようで、お土産の笹かまぼこが、経理にも御裾分けされてきた。
 お茶請けに、真空パックのビニールを捲る。
「どうせ貰うなら萩の月よねぇ。三色最中でも良いけど、何で笹かまなの」
いやいや、中村さん、貰っておいて何を言うのですか。契約成立のお祝いを有難くいただきましょう。とは言えず
「木元さんらしいと言えば、木元さんらしいですねぇ」
「ほんと、変わっているんだから」
「そうですね」
 今度は心から中村に同意する。そして、あの変な人に確かめたい気持ちがフツフツとしてきていた。塚原課長が沸騰した時に木元が水を差すのは、叱られている人を護るというよりも、塚原課長を護るために行っているのではないか。わからないことをそのままにはしておけない性分である。木元さんに確かめたい。けど、わざわざ聞きにいくような話でもない。

 端末に残業届のデータが流れて来る。木元は今日一人だけ残業になるらしい、予定時間は19時まで。
「課長、残業ということでは無いのですが、整理したいデータがあるので、今日、少し残っても良いですか」
「仕事で遅くなるなら、残業届を出していいぞ。30分でも1時間でも業務は業務だ。営業の連中は自分達が稼いで社を支えているような気持ちらしいが、その舞台を支えているのは我々だから、遠慮せず残業していいぞ」
「そんなに時間をかけませんし、自分のための作業ですから、残業は無しでお願いします」
 課長がにこやかな顔をする。うちの課長の言葉は額面どおり受け取ってはいけない。中村からも言われたことがあったが、確かにそうだと思う。口では優しいことを言うけれど、内心では上の方を見ている感じだった。それに比べると塚原課長は、よくも悪くも、部下のことをよく見ているし、部下を活かそうとしているように見えた。

 残業ではないので、あまり遅くまでは職場に残れない。PCの稼働時間も管理されているから、残ったとしても18時半までにする。もし、その時間までに木元が帰るようであれば、自分も作業を終えて、帰りがけに尋ねてみよう。それ以上の時間になれば、木元を待たずに帰ろう。
 そんなことを考えながら、業務を進めて定時を迎えた。

第6話 奇
残業届が19時まで出ていたはずの木元が、18時15分頃にモゾモゾと動き出す。給湯室に行きカップを洗ってきた様子が見えた。もう帰るの、早すぎないと思いながら、自分の作業も終わらせ、PCをシャットダウンする(残務整理としては説明がつく時間で良かった)。コートと荷物は中村の席に置いてあるので、いつでも退社できる状況となる。
 コートを腕にした木元が近づいてくる。
「西野さん、僕はもう帰りますので、戸締りをお願いしてもよいですか」
「いえ、私も帰りますので、二人で戸締りをしましょう」
コピー機等の電源をオフにして、最後に事務室の機械警備を作動させる。

 木元に、塚原封じのことを確認しようと思っていたが、いきなり話題にするのも躊躇われた。そんな話をするほど、親しい間柄ではない。というか、話をしたのは、先刻が初めてなのかも知れない。エレベーターで呟くように話しかける。
「お腹が空きましたね」
「そうですね」
って、そこはそうじゃないでしょう。最低でも「一緒に夕食をどうですか」じゃないんですか、「美味しいレストランを知っています」みたいなことは期待してないにしても、話が続かないじゃないですか。仕方がない、
「何か食べてから帰りますか」
木元が目を剥いて西野を見る。ジャングルで珍獣を見たハンターだって、こんな表情はしないだろう。
「僕と西野さんが、一緒にご飯ですか」
他に誰がいるの。誰と誰が話をしているの。気が利くタイプとは思っていなかったけど、あまりの愚鈍さに、ちょっとイラっとしたけれど、表情には出さない。
「駄目ですか」
「とんでもないです。好き嫌いとか、駄目な分野とかはありますか」
「好き嫌いは無いので、居酒屋でも、どこでも良いです」
「じゃぁ、中華、有楽町でも大丈夫ですか」
「良いですよ。明日も仕事ですから、餃子は駄目ですね」
エレベーターが1階に到着する。
 何だか、木元の表情が浮かれてきたように見える。若くて可愛い女子と食事に行けるのだから、最初からそういう態度を示せばよいのに、どうしてこうも鈍いのかしら。しかし、何でも良いと言いましたが、もうちょい御洒落な店の選択肢はなかったのかしら。

 第7話 料
 木元が選んだ中華料理屋は、有楽町からほど近い、銀座一丁目にあった。国分寺までの帰路を考えると、東京駅が近いのはありがたい。あまり綺麗とは言えないビルの2階へと登る。
「今日は駄目ですけど、餃子が美味しいので、時々利用しているのです。今日は西野さんと来ることができて嬉しいです」
 そんなことを話しながら木元がドアを開けると、中華料理屋の特有の香りが鼻を突く。店内は清掃が行き届いている感じ。中国訛りを感じるウエイトレスの案内で、テーブルにつく。
「西野さん、お願いがあります。お金は僕が出しますので、この「コース料理」を頼んで良いですか。嫌いなものがあれば止めてもらって大丈夫です。来る度に気になっていたのですが、2人前からなので注文できずにいました」
 真剣な表情で、何を言うのかと思えば、そういうことですか。「西野さんと来ることができて嬉しい」というのは、「私」が必要ではなく、コース料理のために「誰」か、もう一人が欲しかったということ。
「はい、コースで良いですよ。ビールも頼んで良いですか。けど、割り勘にしましょう。私もちゃんと食べますから」
「ありがとうございます。じゃぁ、そうしましょう」
 木元はニコニコしながらウエイトレスを呼び、注文する。クリスマスプレゼントを貰った子どものような、無邪気な表情。この表情を前に、仕事の話をするのは悪いような気がしてきた。
 今日のところは、老舗っぽい中華料理屋の味を楽しむことにしましょう、割り勘だし。これまで、奢ろうとする人は、優しさではなく、やらしさがセットになっている気も感じていたけど、木元からはそういう邪気を感じることができなかった。もしかして、女性ではなく、男性に魅力を感じるタイプなのかしら。そういう世界を否定するつもりはないけれど、これまで関わりをもったことがないので、どう対応していいかわからない。仕事のことも聞けないけど、恋愛の嗜好についてはもっと聞けない。
 単純にいい人なのかも知れない。もしかしたら私のことを「どうでも」をつけた「いい人」と見ているのかも知れないけれど。
 料理はどれも予想以上に美味しく、西野を満足させるものだった。少しだけ木元を見直した。

第8話 歌
 食事を終えた時間が比較的早かったので、酔った勢いもあり、木元にカラオケをオーダーしたところ、カラオケボックスではなく、スナックに案内された。ここも行きつけのようで、黙って木元の前にウイスキーのボトルと水が置かれる。西野はビールを頼む。
 あらためてビールを口の中に流し入れ、1曲歌い終えてカウンターに戻る。
「いかがでした」
「語彙力が少なくて申し訳ない。素敵だったという言葉しか出ないです」
「良かった、安心した」
 あまり気が利かない木元から「素敵」という言葉を引き出したので良しとしよう。さて、この後に連絡先を聞かれたら、どういう風に断ろうか。そんなことを考えながら、話をする。木元は歌うつもりはないようで、話の合間にチビチビと杯を舐める。
 水割りを作ってあげようとしたところ「自分でやります」と断られる。ほんと「変な人」。まぁ、自分で作ろうとしないで、作らない女性に「気が利かない」とか言う人よりは良いと思いますよ。
 最近のドラマのこと、最近読んだ本のこと。他愛も無い会話が続く。コミュ障というわけではなく、普通に会話はできる人らしい。人を不快にさせるような話題もすることがない、また少し木元を見直した。
「今日は、素敵な歌が聴けて良かったです。ありがとうございました」
木元の目が「店を出ましょう」と伝えてきて、席を立つ。
「お会計は」
「済ませてあります。歌のお礼に、ここは出させてください」
 伊達に営業をしているわけではないらしい。木元の自然な対応に、素直に奢られることにした。なら、御褒美に連絡先ぐらい交換しても良いことにしましょう。後日あらためて、塚原課長との関係も聞きたい。
 木元が「連絡先」とか「次回」とか切り出してくるのを待っていたが、何も言われないまま無言で駅に向かって歩く。それはそれで構いませんよ。
「今日は御馳走様でした、また、会社で」
 木元は無言のまま、笑顔で右手を軽く上げて、別れの挨拶とする。
 帰宅して父が家にいたら聞いてみよう、若い女性と食事・カラオケをしながらも、何のアプローチもしてこない男というのは、男性に魅力を感じる嗜好の持ち主と考えた方が良いのだろうか。それとも、私が男性を惹き付けるような魅力に欠けるのだろうか。歌は素敵と認めてくれたし、容姿も変じゃないし、会話もそれなりにしていた。うん、私に魅力が無いわけじゃなく、木元さんが変なのだろう。そんなことを考えているうちに電車は国分寺駅に着いた。

第9話 突
  いつもどおり、誰よりも早く職場に着く。いつもどおり、自分の課の机を拭く前に、ブラックサンダーとメモを入れた小袋を木元の机に置いておく。メモには昨夜のお礼とline IDを記載していた。木元といるとペースが狂うので、少し、lineで情報収集することにした。
 男性というよりも、変な生き物に対する「学術的興味」なんだろうと思う。昔学んだ児童心理で例題に出された「子どもに対する接し方」を思い出す。子どものペースを大事にすること。そんなことを考えながら、木元からのlineを待つが、当日、翌日とも木元からのlineは入らない。
「何様のつもり」
 木元が給湯室に向かったことを確認し、追いかける。インスタントコーヒーにお湯を入れる背中が楽しそうで、少しイラッとする。振り返った木元は何も言わず、軽く会釈して横を通り抜けようとする。体を少し寄せ、壁に手を当てて遮る(お、これが壁ドンですか)。
「メモは見てくれましたか」
木元の目が上空を泳ぐ。
「もちろん見ました。お菓子、ありがとうございました」
「じゃぁ、どうして連絡してくれないのですか」
「lineアプリを入れてないのです」
はぁ、lineアプリを入れてないですって。けれど、嘘は言っていないように見える。
「携帯番号の方がよかったですか」
「いや、後でアプリを入れて、lineします」
壁から手を下ろし、体を横にずらす。木元は脱兎のごとく自席へと向かう。
 lineが来てもスルーしようかしら。そんなことを考えながら、紅茶を手にする。何か容れていかないと、突然席を立った変な子になってしまう。優しく少し甘い香りが広がる。
 『少し変な子だけど、悪い子じゃないのよ』。以前、実習に行った施設の先生の言葉を思いだした。そうか、あの施設でも同じ紅茶を使っていたはず。給湯室に来る度に感じていたデジャブの正体を知ることができて安堵する。
 園の隅っこで、一人でボーっとしていることが多かった、集団行動が苦手で、皆からおいていかれることが多かったあの子は、今はどうしているのだろう。多分、今もみんなには馴染めず、一人でいるのかもしれない。今ならあの子に伝えることができるのに。
「焦らなくて大丈夫。色々な人がいて会社も社会も動いているから、君は君のままで良いんだよ」
 あの子が成長したかどうかはわからないけれど、自分は成長しているのだろうか。カップを両手で包み込むように持ちながら、自席に戻った。

第10話 離
 逢う度に、心が惹かれていくことは自覚していた。彼も私に対して感情を高めていることも感じていた。本来ならば両想いということになると思うのだけれど、考え出すと少し気が重くなる。
 彼は故郷での就職活動を続けているけれど、再三の不採用通知に自信を無くしているように見える。故郷に帰ることを諦めるような雰囲気も感じる。そしたら、このまま一緒に過ごすことができるのかしら。
「それは嫌」
 うん、これは正直な気持ち。彼には愚直なくらい真っ直ぐに生きて欲しい。不器用だけれど、誰に対しても誠実であろうとする彼を好きになったのだから、その想いを変えないでいて欲しい。
「そうか、私は彼のことを好きなのか」
 気づかないように、見ないようにしていた気持ちを自覚してしまった。もう友達のフリすることは止めよう。そして、同僚として、こっそり彼の就職活動を応援しよう。自分も夢を諦めずに行動しよう。彼から学んだ気持ちを大事にしよう。
 三日後に、木元の故郷にあるワイナリーから12月1日付けの採用通知が、木元に届くことを知らないまま、西野は今日の待ち合わせ場所に向かった。

 葛西臨海水族館から駅に向かう途中、覚悟を決める。
「唐突に感じるかも知れませんが、こうして一緒に過ごすのは、今日で終わりにしていただけますか。勝手な女と思うかもですが………好きな人ができました。その人のために、木元さんとは逢わないようにしたいのです」
 木元がキョトンとした顔をした後、泣きだしそうな顔をする。泣きたいのはこっちですよ。こんな風にちゃんと送り出そうとする、良い女はそういませんからね。
「わかりました。これからはlineもしない方が良いですよね」
はい、おっしゃる通りです。お互いに変に引きずらないように、スパっとした方が良いとは思いますよ。けど、第1声はそうじゃないでしょう。「嫌」とか「駄目」とか、必要な通過儀礼があるんじゃないですか、と考えながらもやんわりと諭す。
「そういう素直なところを私は思いやりと理解していますけど、普通の子ならガッカリするところですからね。これからは気をつけた方が良いと思いますよ」
「夕食はどうしますか。予約はしてないから、食べずに解散しても大丈夫です」
駄目、怒りが抑えられない。今、諭したばかりなのに、どの口がそんなことを言うの。
「ちゃんと話を聞いていますか、「今日で終わりに」と言いました。今日はまだまだ終わらないですよ。余裕で、晩御飯を食べる時間がありますよね。罰として、夕食の場所は私が指定します。良いですね」
「もちろんです。どんな高い店でもエスコートさせていただきましょう」
 これが、この人の良いところというか、人を惹きつけるところ。どんな無茶ぶりをしても、答えは必ず「Yes」から始まる。まずは、相手の想いに応えようとする優しい人。皆に好かれるわけだ。
 今日、お別れを告げることに合わせて、考えていたプランの実行を決意する。今日が友達としての最後の晩餐になるのであれば、御馳走してあげましょう、渾身の手料理を。
「素直で何よりです。では、今夜はリストランテ・ウエストフィールドにします」
「行ったことがない店ですね。フレンチ、それともイタリアンですか」
私も行ったことが無いです。店の場所も雰囲気も知りません。
「ジャンルはこれから決めます。材料とお客様次第になりますから」
「無国籍料理という感じですか、珍しいですね」
「うーん、国籍は日本ですから、和食ベースかも知れません。決めるのはお客様です」
「何とも、不思議な店ですね。場所はどこになりますか」
「八丁堀です」
「八丁堀にそんな店がありましたか。全く知りませんでした。最近出来た店ですか」
笑いを堪えられなくなり、噴き出す。後は、複雑な感情には蓋をして、彼方と二人で楽しい時間を過ごしましょう。
「最近も何も、リストランテ・ウエストフィールド、本日オープン、本日閉店です。一夜限りのレストラン、チーフシェフは私、スーシェフは木元さんです」
そう、本日で閉店です。予想はしていたけれど、覚悟もしていたけれど、お別れも受け入れる人だから、今日で閉店。本当は何度でも食べさせてあげたかったけど。
「では、シェフ、これから仕入れに同行していただいてよろしいですか」
 はい、素直でよろしい。一緒に買い物をして、一緒にご飯を食べる。そんな何でもないような幸せの味を二人で楽しみましょう。

第11話 枯
 有志による「中村の寿退社を祝う会」から帰宅して、真っ先に窓際に駆け寄る。ポット栽培していた紫蘇は、新しい葉に命をつなぐことなく、茎も変色を始めていた。
「この子とも、さようならか」
二人で参拝した神社の露店で買った紫蘇。夏から同じ空間で一緒に過ごし、いろんな話を聞いてくれていたけれど、本当はあなたを使った料理を創って、食べさせたかったけど。感謝しながら、手放すことにしよう。もう話すことも、料理をすることもないのだから。
あなたが我が家にいたことを知るのは、世界で一人しかいない。
「何で紫蘇なの」
そう言って笑っていたけど、私が切ない想いで紫蘇を選んだことに気づかない鈍感な男。
 花が咲くような関係じゃないもの、実を楽しめるような間柄じゃないもの、花も実もなくても一生懸命に生きようとする紫蘇が、愛おしく思えたんだもの。
「今まで、一緒にいてくれてありがとう」
ポットの中の命だったものに別れを告げ、迷いながらlineを送る。この命を知るもう一人に報告だけはしておこう。
「紫蘇が枯れてしまったの」
多分、もう寝ているだろうし「これからはlineもしない方が良いですよね」と語った頑固な人は、レスを返すことはしないだろう。それでもいい、何か答えが欲しいわけじゃない。ただ、少しだけでも心を重ねたいだけ。掌の中でスマホが震える。
「紫蘇は、君と一緒に暮らせて幸せだったと思う」
狡い人。人が落ち込む時に優しさを見せるなんて。
(じゃぁ、あなたは)
一度、入力してから取り消す。じゃぁ、あなたは幸せだったの。それを手放して、故郷に帰っても幸せでいられるの。「ハチミツとクローバー」という古い漫画の一場面が心に浮かぶ。
『実らなかった恋に意味はあるのだろうか』
紫蘇は枯れましたよ。何も実りませんでしたよ。
「幸せだったと思う」ですって。過去形にしないで、ちゃんと、もっと幸せになりましょう。私たちはまだ生きているんですから、ここからでも何かを生み出せると思いませんか。
そのために、私は何ができるのか、何をしなければならないのか。ハードルは高いかもだけど、上手くいく保証はないけれど。大事なことは、これからどうしていくかです。
そんなことを考えながら、もう震えることがないスマホをテーブルに置いた。

第12話 来
 Google mapでも何度も確認したし、タクシーの運転手もここで良いと言ってくれた。表札の苗字も間違いない。けど、チャイムを押すには勇気が足りない。いるかどうかも確認していない。いたとしても、迷惑そうな顔をされるかも知れない。少し下がって、家の写真を撮り、lineを送る。
「この家で間違いないですか」
すぐに既読がついたけど、レスはこない。
突然、玄関のドアが開く。
 寝ぐせで、無精髭という姿を見るのは初めてね、逢いたかった人。
 彼は何も言わずに、空を見上げる。
 彼のスマホからはSEKAINO OWARI「RPG」が流れている。
「4月から郡山児童相談所への採用が決まり、郡山市に越してきましたので、ご挨拶に参りました。突然ですいません。
児童福祉の分野で働きたくて転職先を探していたら、偶然、木元さんの故郷で採用された。偶然、退職するのが同じ年度になったというのも運命的な感じですけど、そうなるように頑張った子がいた。というのもいじらしいと思いませんか」

何も言われないまま、体を引き寄せられる。頭の上から声が響く。
「偶然にしても、必然にしても、生涯、あなたを大事にします」
(馬鹿、この優しい馬鹿。お互いに好きも何も言ってないのに、いきなりそれですか、変な人)。そう思いながらも、木元の言葉を否定する気持ちになれない。
「そうですね。大事なことは、これからどうしていくかですかね」
彼の背中に手を回して、力を入れる。この声をずっと聞きたかった。このぬくもりをずっと感じたかった。
「西野さんが好きだったという人は」
頭の上で、囁くような声が聞こえる(まだ気づかないの、もう、泣けてきます)。
「好きな男性は、ずっと木元さんだけです。こんないい女を東京に置いていく悪い人ですけど」

 空は青く澄み渡り、天は二人に微笑むような柔らかな光を降り注ぐ。
 
 新しい職場も、新しい土地も、何も恐くない。私たちはもう一人じゃない。


最終話 グランドフィナーレ
西野・木元 「お読みいただきありがとうございました」
西野 「楽しんでいただけましたでしょうか。あらためまして、企画・脚本・主演・演出の西野です。今回も木元さんと二人で振り返りをしたいと思います。今日は時間を長めにいただいています。よろしくお願いします」
木元 「西野さん大活躍でしたね。感嘆というしかないです。このWSSは最初から水面下で企画していたのですか」
西野 「そんなことあるわけないじゃないですか。無印が終わるまでノープランでしたよ、京橋の誰かと一緒で。けど、企画が無ければ創るのです」
木元 「セーノ・アントワネットですか。それで無印の後に、西野さんが企画したと」
西野 「読者の方から「西野さんの心情が少ない」との意見がありましたので、「西野にフォーカスした続編」を提案したら「続編というか、レコードで言う裏面、両A面という感じで、同じ話を裏返しして、西野視点で描く」というアイディア、企画になりました」
木元 「西野(ウエスト)の視点(サイド)の話(ストーリー)ということで、WSSですか。まるで最初からW SSを狙っていたかのようですが、そんなことは無いですね」
西野 「学習してますね。もちろん、行き当たりばったりです」
木元 「話は変わりますが、エンディング曲(RPG)の映像を、変えてきましたが、あれは、意図的に変えたのですか」
※ note掲載時は、RPGのミュージックビデオが埋め込まれていました。
西野 「いい質問ですねぇ。無印は公式なVを使用して、WSSはライブです。これは、リアルタイムでnoteの投稿を読んでいた方はわかるのですが、12月12日の夜に企画、13日に制作、14日の朝に全話公開という、WSSの疾走感、ライブ感との相性が良いこと、ライブ冒頭でSaoriさんのトーク「仲間のこと、チームを誇りに思う」に私が共感したからです」
木元 「共感といいますと」
西野 「WSSは、私や木元さんだけじゃなく、他の登場人物、作者、そして何よりも読者の方、note界の皆さんと、一つのチームとして創り上げた世界だと思います。そのことに、感謝と誇りを感じていますので、Saoriさんに共感したのです」
木元 「確かにそうですね。さすが西野さんです。ただ、一つだけ異議を唱えてよろしいですか。僕もこのWSSに期するものがあったのですが、「変な人」とか「鈍い・狡い・悪い」とか、「男性に魅力を感じるタイプ」とか、かなり扱いが悪かった気がするのですが、これも西野さんの脚本ですか」
西野 「扱いは悪くないですよ。木元さんの「優しさ」とか「誠実さ」をより際立たせるための演出です。読者の皆さんも、ちゃんと理解してくれていますから大丈夫です。人気があがりますよ。…………多分」
木元 「西野さんは、前回の「可愛い・聡明」に加えて、情の深さとか、健気さとか良い面ばかりが強調されていて、不公平な感じがします」
西野 「作者はペテン師ですが、私は女神が遣わした天使ということで、受け入れてください。何よりも、その魅力的な子が、木元さんの恋人なのですから、喜ぶべきところでしょう」
木元 「友達から恋人に昇格しましたか」
西野 「えぇ、1年以上時を重ね、2万文字以上費やしても、一度も「好き」とは言って貰えませんでしたけど。一応、両想いのようですから、恋人で良いでしょう」
木元 「いや、それは脚本がそうなっていたからで、僕は、」
西野 「脚本が悪ければ、修正すれば良いのです。無印の時だって、何度も脚本を直したじゃないですか」
木元 「確かに、無印は随分と修正しましたねぇ。それでも「紫蘇」を掘り下げることができず、WSSでようやく回収できて良かったです」
西野 「本当ですよ。作者に任せておくと投げっぱなしですからね」
木元 「投げっぱなしと言えば、「歌」について、もっと掘り下げる予定だったと聞きましたが、ありませんでしたね」
西野 「初期設定では、木元さんが持っている「歌が下手」というコンプレックスを西野が和らげて、木元さんが惚れる、という話でしたね。それで、序盤にカラオケの話がしつこくありました」
木元 「だけど、無印でもWSSでも没になったと」
西野 「そういうことです。まぁ、その理由は秘しておきましょう。ところで、新しい職場はいかがですか。ワイナリーと聞きましたが、やはり、あのワイナリーですよね」
木元 「はい、あの「元宮ワイナリー」です。五友物産の皆さん、大沼係長、御尽力いただきありがとうございました。西野を幸せにするのはもちろん、皆を幸せにするようなワインを醸すことで恩返しします。
ところで、1点質問です。無印でもWSSでも「リストランテ・ウエストフィールド」の場面は描かれていないのですが、これはまた続編で、ということですか」
西野 「その場面が描かれることは永遠に無いです。そこは期待しないでください」
木元 「はい、ありがとうございます。では、最後に出演メンバーから一言ずつ」
父 「お前の父でいることができて嬉しい。恋も仕事も諦めない、夢を掴む、お前を誇りに思うよ。木元君、今度泣かしたら許さんぞ」
中村 「西野ちゃん、久しぶり。寿退社させてくれてありがとう。幸せになろうね。これからも仲良くしようね。色々と教えてあげるから」
塚原 「隣の課長は何もしなかったが、俺がキューピッドということだな。もちろん仲人も引き受けるから遠慮しなくていいぞ。西野君、君は見る目がある」
課長 「何で塚原には名前がついて、俺は無いんだ。俺も良い上司のはずだ。俺も仲人を引き受けるのはやぶさかじゃない。祝辞でもいいぞ」
営業所の男 「僕なんか、名前どころか、これが初めての台詞ですよ」

さて、さて
一同 「皆さん、最後までお読みいただき、本当に、本当にありがとうございます。皆さんが居てくれたから、私たちは生まれることができて、幸福になることができました。

 皆さんの幸福を、一同でお祈りさせていただきます。

 末永く幸福で、安寧な世界を、ともにつくり、つなげ、とどけましょう!

空は青く澄み渡り、私たちは、もう一人じゃない‼」


サポート、kindleのロイヤリティは、地元のNPO法人「しんぐるぺあれんつふぉーらむ福島」さんに寄付しています。 また2023年3月からは、大阪のNPO法人「ハッピーマム」さんへのサポート費用としています。  皆さまからの善意は、子どもたちの未来に託します、感謝します。