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#忘れられない旅 第8話 1990年頃 横浜

 人生は旅のごとし。ということで、古い話が多くなり恐縮ですが、「旅」の思い出として人生を振り返ります。

# 忘れられない旅
 第8話 1990年頃 横浜

 人生のほとんどを福島県郡山市で過ごしていますが、 1988 年 4 月から 1993 年 3 月までは「横浜税関で勤務」していました(東京 8 ケ月、横須賀1年、横浜3年4ケ月と住まいは転々としていました)。この5年間というものは長い旅をしていたような気がします。
 第4話からは、そんな横浜という旅の時代をつづります。

 という書き出しをしているにも関わらず、4話から7話まで横浜と関係ない話を続けてしまいましたので、当時の横浜での生活をつらつらと。
 若い方にはイメージできないと思いますが、1990年当時は「よこはまみなとみらい地区」もまだ開発整備がされていなくて、前年に開催された「横浜博覧会」が終了した後に、ランドマークタワーを始めとした開発が緒についたばかりでした。
 
 赤レンガ倉庫もネームバリューはあるものの、活用されていなくて落書きだらけで不穏な雰囲気、大さん橋も普通の桟橋で今のステージのような展望施設もなくぼんやりした感じで、山下公園や横浜中華街、伊勢佐木町などは「御洒落な港町」という雰囲気がありました。
※個人の思い出による見解です。

 私の「横浜旅」の基本は「中区海岸通り1ー1」にある税関で勤務し、終了後は桜木町駅から東横線に白楽駅まで乗車、六角橋商店街を抜けて神奈川大学(夜間)に通い、西戸部にある税関の独身寮に帰る。というものでしたので、こうして振り返ってみても特筆すべきことが少ない気がします。
 週末は独身寮のメンバーで麻雀をすることが多く、余り外出をしない方でした。たまーに映画とかボウリングくらいはしました。
 若い時とはいえ、仕事と夜間大学の二足の草鞋は体力的にも時間的にも結構きつかったのかもしれません。

 そんなある日、職場近くにあるカフェ・レストランの装飾が思い切り派手に変わっていることに気づきました。店が変わったようです、ランチで時々利用していましたので
(ここのリゾット好きだったから残念だなぁ)
とぼんやり考えていると、店の中から「シバタキョウヘイさん」が飛び出してきました。
(あぶない刑事の撮影かぁ)
番組を観たことがありませんでしたが、その程度の知識はありました。

 これより後の似たような話としては、神奈川県警本部の前にやたら派手で大きなパトカーが駐車していて
(流石に神奈川県警は派手だなぁ)
と考えていたら、メタルヒーローみたいな方が側に立っていて
(特撮ものの撮影かぁ)
と考えたことがありました。

 うん、自分で書いていてアレですが、全く面白くない話になってしまいました。けど投稿しますけどね。
 その後、神奈川大学キャンパスは移転したそうですし、夜間学部も廃止されたと聞きました。西戸部にあった横浜税関独身寮も廃止されたそうです。

 派手さも面白さもありませんが、それでも私のアオハルの欠片は横浜に確かにあったと考えています。
 ここまで、オッサンの昔話にお付き合いをいただきありがとうございます、と申し訳ない気持ちです。

#何を書いても最後は宣伝
 福島太郎の「お仕事小説」を読んでいただいた方、こちらの「スプラウト」はいかがでしょうか。

 郡山市の農家をモチーフにした物語です。最近気づいたのですが
「黒田製作所物語」=「郡山の工業」

「スプラウト」=「郡山の農業」、そして
「企業のお医者さん」=「郡山の商業」と位置付けると

 現代では「農商工のバランスがとれた都市」「経済県都」とも称されるが郡山市を耕し基盤を構築したのは教科書にも市史にも載らない「名も無き偉人たち」の「郡山産業三部作」みたいな感じになるんですね。

 横浜での旅を終えた男が故郷に戻り、感じたお話ということもできそうです。


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