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なぜ移植者10㎞の部を目指すのか

あまり知られていないが、東京マラソンには10㎞の部がある。ジュニアや高齢者など5つのカテゴリー別50人ずつ男女別に募集があり総計500人にのぼる。その内の1つが移植者10㎞の部である。この部の対象者は募集要項によると以下である。

※移植者の対象は、臓器移植者、骨髄移植者に限ります。

募集要項 | 東京マラソン2025 (marathon.tokyo)

筆者は末梢血幹細胞移植と臍帯血移植を受けているが、骨髄移植は受けていないため、上記をそのまま受け取ると出場資格はない。窓口に問い合わせたところ、どうやら骨髄移植者だけでなく、ほかの手段での造血幹細胞移植を受けている場合でも対象になるということらしいのだ。

早いもので白血病の診断を受けてから6年、治療を終えてから5年が経過した。罹患当時は治癒後に幸せな人生が待っていると思い込んでいたが、再発をきっかけとしてその”あて”もなくなった。再発後の治療期間中、こんなに苦しい治療を受けてもその先に何も対価がない、自分の生命・人生にこんな苦痛に耐えてまで保つほどの価値があるとは思えなくなっていた。何をモチベーションとして闘病し、生き長らえればばよいかわからないでいた。

長い入院生活の中で幸いなことに見舞客がたくさん来てくれた。その数は延べ50人以上にものぼった。生き長らえる動機が分からなくなってから、見舞客には須らく以下の質問を投げかけた。

何を糧として、何を生き甲斐として生きているか

今考えると、せっかく見舞いに来てくれた人に甚だ答えづらい質問をしたものだ。中には仕事が生き甲斐と答えてくれた人もいるにはいたが、あまり明確に答えを持っている人はいなかった。今の自分の年齢層であれば、子供の成長が生き甲斐と感じている人もいるのかもしれないが。少なくとも当時の自分としては苦痛に耐えてまでこの生命を持続させる理由は1つもなかった。にもかかわらず4割は死ぬと言われた再移植の治療に身体が耐えぬいて、なんだかんだ生き残った。

それから5年たった今でも何を糧に生きるのかその答えは見つからずにいる。この5年間、ハッキリ言ってただただ惰性で生きてきた。生きているだけで偉いという耳障りの良い文句を自分に言い聞かせ、自分をごまかしごまかしながら生きてきた。昨年、惰性で生きるのをやめたい、そう思った出来事があった。何年も惰性で生きている自分がみっともない、情けない、同じ病気で亡くなった方々にも申し訳ない、そう思った。何かを糧に、生き甲斐に、目標に生きてみたいという気持ちが数年ぶりに湧いてきた。

今年1月ごろ、思い付きで近所のトレーニングジムに入会した。初めてランニングマシンを使って走ってみた。復職後在宅勤務を4年も続けた身体は弱弱しく、走るなんて1㎞ももたなかった。隣で歩いているお爺さんの方が余程速く長く動いていた。その時思い出したのが、東京マラソン移植者10㎞の部である。その完走はもしかしたら達成したいと思える目標になるかもしれない。完走できたらタイム更新が翌年の目標になるかもしれない。目標があれば少しは生きやすくなるのかもしれない。身体が老いる程始めにくくなるし、今かもしれない。そう思ったことが今回の挑戦の背景である。

そもそも病気になる前から自分は頻脈で長距離苦手だし、高校2年で肺を手術してから何故だか余計走れなくなってしまった。院生の頃のキャンパス内駅伝もそれを理由にごまかして走るのを固辞した程だ。苦手なことを継続するのは難しい。思い立ってから8か月。市民ランナーとしては人権ないレベルではあるが、意外と続いている。そして、先日2025年移植者10㎞の部への出場資格を正式に得た。もう半年、もうちっと完走目指して続けてみる。完走したところで何もないかもしれない。おそらく何もないのだろう。自己満足の余韻も長くて1週間くらいではないか。

そしたらまた何か目指せるものを探せばいいのかもしれない。きっとそれに向けてもう少し生きてみよう、そう思えるかもしれないから。
まあそもそもそれを見つけるのが困難で難儀していたわけではあるが。

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