遺伝子操作によって理想的な人間が作れる様になったときに何が起こるかを想像してみる

近年は遺伝子編集がかなり楽になったようで色々なところでその手の話を見るようになった。現在生きている人間に対して遺伝子操作を体全体に施すということは当分出来ないように思うが、生まれてくる子供を遺伝子操作して世代を継いでゆくというのはかなり現実味が出てきた。それによって何が起こるか世代を超えて想像してみた。

例えばどんな人でも頭の回転が速くて、力が強くて、見た目も良い人になりたいだろう。遺伝操作によってそれが実現されるようになれば、それは一種の進化であり、ある環境において最強の種族として君臨すること間違いなしである。そしてそれが出来るのであれば誰だってそうなりたいと思うだろうし、自分の子供にそうなって欲しいと思うに違いない。

初期においては勿論費用が非常にかかるため金持ちがわが子のために遺伝子操作を施すことで技術普及が進んでゆくことが考えられる。これらの初期世代は特権者であると共に実験体でもある。事故として遺伝子操作してはいけない遺伝子があったり、操作の影響が別の処で出てくる可能性があるからである。しかし、それは時間と共に克服され人類滅亡に繋がるような危機にはならない、その問題が判明した段階で生まれてくる子供には別の(対策または触れない等の)編集がほどこされるからである。

徐々に技術は鮮麗され遺伝子操作は安全で子供たちを理想的な状態で生むことができる時代の到来である。その頃には人類の0.1%が遺伝子操作された子供たちで、既に自分の子供を持った人も出てきている。その多くは親からの教育と資産と自らの能力で社会的に成功し、当然自分たちの子供たちにも同様の編集を適用する。ここでシナリオは大きく2つに分かれる。もちろんそれ以外のシナリオも考えられるだろうが結末は似たようなものなので2つにしておく。

一つは遺伝子編集を受けられない層が機会不平等を訴え、国を動かすことで全ての子供たちに遺伝子編集を受けさせられる権利を得るシナリオである。これは国力の増強とも一致するという判断で裕福な国はそれを承認し、遂に国家の新世代の殆どは遺伝子編集された子供たちで埋められるようになる。

もう一つは裕福層によるさらなる格差の拡大から、支配者層の殆どを遺伝子操作された人間が占めるようになり、それと共に技術の普及により上の層から徐々に遺伝子操作された人間の割合が増え、徐々に入れ替わるというシナリオである。場合によっては完全に入れ替わるということはなく2つの層に分断され、差別的な展開となる可能性もある。

どちらのシナリオにおいても信仰や社会的価値観によって自分の子供を遺伝子操作しない選択をする人は必ず居ると思うが、それらの価値観は時代が進み、遺伝子操作された人達との差が開くにつれて妥協せざるを得ない状況になるに違いない。誰だって自分の子供を劣勢な立場に置かせたいとは思わないからである。いずれにせよ人類は遺伝子操作を受け入れ、選択し広く普及して行くことになる。

その結果としてかなり似たような人間が増えてくるのである。遺伝的な病気を持つ人はほぼいなくなる。頭脳や身体、見た目なども多少の人間的な趣味の範囲で幅はあるにせよ類似の編集が施される。なぜならそれらの操作には実績のある安全性の高いテンプレートを活用することになるからである。それはつまり遺伝子的な多様性がかなり抑制された出産環境ができあがるということである。

さて、既に察しの良い方は気づいているかもしれないが、遺伝子多様性が少ないということは、その遺伝的弱点を突かれたときは一気に全滅に向かって突き進むことである。それが遺伝子編集で追いつく速度の危機、つまり複数世代をまたぐような危機であれば対処は可能だ。例えば新しい病気が実は編集結果の遺伝子を持つ人間が感染しやすく、抗体も作れないとしても、遺伝子操作によってその次の子らは対処されているかもしれない。あるいは病気自体を編集することで無効化できる可能性もある。

しかし例えば急激な環境変化で氷河期に突入したが脂肪を貯めやすい遺伝子は全て消されていてあっけなく全滅した、食糧危機が起こったら実は水だけで持つ期間が非常に短くなっていてほぼ全滅状態まで陥った等が起る可能性がある。いずれにせよ遺伝的な多様性が減るというのは何かが対処できなくなった可能性が高いということである。

私自身は特に遺伝子操作自体の安全性が保障されているなら倫理的な反対という意見は持っていないが、せっかくここまで反映した人類がサックリと全滅しないように遺伝子操作する企業や国家は多様性を減らさないような工夫をしてもらいたいと願うばかりである。