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読書ログ「失語症」ーそれは、健康の人の考え方だよーと加藤さんは言った。



読もうと思った理由 作者にお会いしたから。

加藤さんという失語症になった方にお会いした。失語症にはなったけれ
ど、写真は撮れて、失語症になってから撮った写真をまとめた作品。



読んだ感想、自分の変化ーまずは「関係性」からはじまる


本、単体というか、本人の話を含めての感想。自分が感じている、「あぁ、この生き方理想やぁ」という言語化できない生き方を、見せてくれた感じ。


「受け入れる」は、諦めるわけでもなく、挑戦しないわけでもなく、闘わないわけでもないぞ。というようなこと。「それがどんな姿勢か」うまく言えないのだけれど、こういう生き方を自分もしたいと思える生き方を加藤さんはしていた。

「受け入れること」
「その日から、新しい自分がはじまる」
「もとに戻らなくても、今の自分で孤独にならないこと。」
「機能にしばられないこと。」
「関係性をたもつこと」
「あぁ、こういうこともあるよねって、割とすぐに思えた」

会話の断片だけど。こういう姿勢で生きていきたいんです、僕は。と思える、言葉が沢山あった。

僕は、お会いする前に、この動画を見ていた。だから、会話が止まりながら話が進むと思ったけれど、全くそんなこともない感じだった。

ただ、例えば、誰かが

今日は雨が降っていて、寒いので、1日家にいます。

はい、どうぞ!!

と言われても、それを繰り返すのは、苦手。

こんな感じで。お会いした時も、この動画をつくっていて言語聴覚士でもある奥様も一緒にお会いした。あまりに、加藤さんが「ふつう」にコミュニケーションできているので、この動画のころより数倍回復していると思ったんだけど。この「復唱」は相変わらず、できないもの、見せてくれた。

ここは、回復が難しいし、本人たちも、それでもいいやという感じになれているのが、すごい。


リハビリ生活は、はじめての海外生活に似ている。

例えば、機能として、一語一句正確に、昨日までできていた、認知と発音を手にすることを目指すのか。あるいは、「できない自分」でも、人とつながれる新しいコミュニケーションをクリエイトするのか。

海外生活に例えるならば、英語を流暢に話すことを目指すのか、英語が話せなくても「友だちや社会との関係性をつくれること目指すのか。」という、ふたつの方向に似ている。もちろんどちらかに振り切るわけでもなく、だいたいの場合は同時進行で、生活は進む。

どちらも必要だけど、どちらにフォーカスするのか。ということは選べる。言語は酵素みたいなもので、それがあれば何倍もの速さで円滑にコミュニケーションがとれるようになるが、決して必須条件ではない。

あとは、言語以外にもコミュニケーションを進める「酵素」はあるので、それを探すのも大切だと思った。(加藤さんは、それが写真。僕はお鮨がそれだった。)

加藤さんは、リハビリやりつつも、言語ができなくてもいいから、「友だちとの関係性をたもつ」方向に重きをおいた。

「俺、うまくしゃべれなくなっちゃってさー」(おそらくこんなにうまく話せてもいないけれど、それが伝えることを諦めなかった。)

「へー、そうなんだー」

自ら、今の状態を伝え続け、それを受け入れて一緒に過ごせる仲間が、たまたまいて。その縁の中で、写真集も生まれた。

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それは、もともと、そういう姿勢で生きていたというのが大きいらしい。

病気になって、失語症になったとて、「まぁもとどおりを目指さなくても、今日は今日で関係性を築きにいこう」という姿勢は、言葉を失ったとて、失わなかった。

そして、面白いなぁと思うのが。

腫瘍も大きく、回復も難しいと思われているにもかかわらず、前例に比べて驚くほど、言語機能の回復もしている。(ただ、回復したとて、もとどおりにならないことを本人も知っている。)

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(先に紹介した失語症webサイトより。写真も見れるので、ぜひそちらもー。)

機能の回復よりも、ミュニケーションを重視した結果、機能の回復も、周りに驚かれるほどに、成長したのだ。

その辺は、子供が母国語を習得するようなプロセスに近いのかもしれないなぁ。

学習や成長に対する大切な要素がその辺にあるのかと思った。機能は、副産物。まずは「関係性」からはじまるのかもしれない。

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「うまくしゃべれなくなっちゃってさー」ってことを仲間に伝えつづけ、今までの関係性を保ち続け、気がついたら、失語になり、機能を失ったとて、社会との接点は失わなかった。

結果として言語の回復(もちろんリハビリも継続していた)も速かった(ただ、できないことも多いし、もとどおりの認知ができるわけではない)。

まじですごい。なんなら、2年間休んでいたおかげで、知見も増え、自分の仕事に対する判断能力は上がったと言っていて、仕事も失わずにいる。

なんか、その辺見習いたい。

自分は「鮨職人」は続けられないが、今のところ、お客さんも今までどおり声をかけてくれたりして、関係性は変わらずにいられる。みんな、ありがとう。

失ったものもあるけれど、「伸び続けている能力」も自分の中にもあるはずで、そういう希望にフォーカスしていきたい。


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「なんでも、もとどおりに回復すると思うのは、健康な人の考えだよ」

別れ際、加藤さんが言っていた。
まじでそうだよなー×100 と、思った。


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最後に写真撮ってもらった。うれしい。お鮨は握らないで生きていくのは、まじで怖いけれど。お鮨にぎれることが、僕の全ての価値ではないぞ。

失っていないものに、フォーカスを。


次に読みたい本

加藤さんの写真展、またやって欲しい。ポートレート展希望!


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