心の動きを止めても、タンパク質は止まらない。
今、ヨーガを一年くらい、続けている。
ヨーガが目指していることは、「心の動きを死滅させる」(1)ということ。死滅は、普段使わない言葉なので、「心の動きを止める」とここでは書く。
僕が、ヨーガを始めた理由は、去年、7つの習慣を読んでいる時期に、
たまたま、遊びにいったレッスンの先生が言っていたことが、7つの習慣に書いてあることと、共通していることがいくつかあったから。
というところから、ヨーガへの興味を持った。
ヨーガと7つの習慣
例えば、7つの習慣の前半に出てくる
「反応」に対する「刺激」を変える。(2)
毎日、毎日、外からくるもの:例えば、言葉、天気、情勢、政治、スーパーに売っている食材、いろいろな「刺激」に「反応」して、僕は暮らしている。
ルーティンのように、同じ何かにイライラしてしまう自分。毎回うまくいかない恋愛。なんとなく「つい」買ってしまう、本当は不要なもの。食べすぎてしまうお菓子。毎日通る道に、咲いている紫陽花の美しさに気が付くかどうか。
世の中を「刺激」と個人の「反応」に分けて考える。外から来る「刺激」に対する「反応」を変えることは、判断や選択を変えるということだ。
7つの習慣では、「刺激」に対する「反応」をいいものに変えていき「成功するための習慣づくり」を目指す。(7つの習慣における「成功」は単にビジネスや社会的な成功を目指すものでもなく、とても面白かった。)
ここは、ヨーガは少し違って。ヨーガは何も目指さない。「心の動きを止める」ということを目指しているのだけれど、何も目指さないに近い。
今、カイヴァリャダーマというインドのyogaオンラインクラスを受けているんだけど。そこで言うことは。
疲れちゃだめ。努力しちゃだめ。早く動いちゃだめ。活発に動いちゃだめ。攻撃的な気持ちだめ。比べちゃだめ。平和なこころとリラックスのなかでやる。トレーニングじゃありません。最低限の努力で,できる範囲を超えちゃだめ。好奇心が一番大事。(Teaching Methods For Yogic Practices.Kaivalyadhama)(3)
と言うことが書かれている(訳は自分)。何も目指さないのにけれど、日々の判断や選択などの「反応」は確実に変わっていきますよ。というのが、ヨーガで習得できること。ということが、体感としても実感できている。
何かを目指すか目指さないかの違いはあれど、7つの習慣とヨーガには、共通の目的地があるのが面白い(実際、7つの習慣でも瞑想の習慣を推奨している)。
心とはなにかの定義は曖昧
ここで、問題なのが、心とはなにか ということ。
今、心がなにか、ということは
脳神経科学的には「脳の神経細胞どおしつながり」(4)ということが、言われていたり。解剖学的には「内臓感覚にこそ心が宿る」(5)ということもある。あるいは仏教的に言えば「自分が何かの対象に、集中しきった、その先に先に心が宿る」(6)ということもある。
そうなると、例えば、僕がめちゃくちゃ集中して、握ったそのお寿司には、僕の心が内在する。あるいは、食べる人が、集中してくれた先には、そのお寿司に誰かの心が内在する。
ということにもなる。
心のありかと考えられている「脳の神経細胞どおしのつながり」は、意識の研究の中では「意識のありか」(7)と説明することもある。そうなると意識と心のありかは同じで、無意識は心と関係ないと言うことなのだろうか。
何かを書くには、言葉の定義が必要で、定義がないと何も始まらないのだけれど。「心」については、いろいろな定義があるぞ。というところで、とめておく。
もちろん、ヨーガにおいてもその定義(8)は書かれてはいるが、それを書くとより複雑になり、余計わからなくなる。(インドの自然環境と哲学をもとに、2000年以上前に書かれたことなので、その文脈を知らない僕は、いまいち理解できない)
なぜ、心の動きを止めることが大切なのか。
あと、ヨーガでは、なぜ「心の動きを止めることが大切」なのか。と言う疑問もあって。それは、心が自分自身ではないから。心の定義は曖昧だが、心は自分自身ではない。ということは、ヨーガの中では、はっきりしている。
(7つの習慣との相関を考えると、「刺激」に対して「反応」をしているただの「作用」が「心」だとも言えるのかもしれない。)
心の動きを止めた時にはじめて、「本当の自分」に出会える。というのが、ヨーガが目指しているところ。ただ、「本当の自分」の定義もいまいち理解できていないので。そこは「そういうことなんだろうな」と思っている。別に「本当の自分」に出会うために、やっているわけでもなく、実際には、単に瞑想していると、調子が良いのでやっているくらいの距離感だ。
心の動きを止めて、残るものは何か。
「本当の自分」が何かは分からない。ただ、心の動きを止めても、僕に残るものははっきりと存在する。それは、身体だ。細かく分けると、身体は細胞の集まりだ。
ひとつの細胞から分裂がはじまり、こんな複雑な組織(身体)をつくれるのはなぜか、と言えば、それは、DNAとRNAとタンパク質のおかげだ。(仕組みがどうなっているかは、置いといて。)
生命が使う「言語」には、DNAとRNA、タンパク質の三つがある。つまり生命は3カ国語をあやつる。ただしDNAとRNAの言語はそっくりだから、生命はバイリンガルとみてもよい。(9)
ー星屑から生まれた世界ー
ヨーガが示す「本当の自分」についてはあまり理解はできないが。仮に心の動きが止まったとしても、身体は残るし、呼吸は止まらない。
そして、その身体は、何からできているのか。と言えば細胞で。
細胞は、DNAとタンパク質、二種類の言語で統制を保ち、それらは、心の動きと関係なく、働き続けている。
そうなると「心の動きを止めて残るもの=身体の組織=タンパク質=本当の自分」という関係性が成り立つとも思うけれど。その辺の雰囲気は、うまくつかめていないので、どうにか生きている間に、その辺の雰囲気をいい感じにつかめるようになりたい。
心もタンパク質も、ありふれた存在で、大切なことは、誰もがわかっているのに。説明しようとすると、途端にわからなくなる不思議。
だれか、この辺の【生物✖️哲学✖️心】の話に詳しい人、推薦図書があれば、教えてください。
つづく。
参考文献
(1)(8)
(2)
(3)
(4)
(5)
(6)
(7)
(9)
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