他人の笑顔に振り回されない勇気

 『嫌われる勇気』を読みだしたら、どんどん読み進めたくなる感じだった。それは、自分も課題に思っていることが書かれていたからだろう。

 アドラー心理学の考え方を解説したこの本では、哲学者とそれに挑む青年の2人の掛け合いで話が進んでいく。アドラーはユングやフロイトと並ぶ有名な心理学者だそうだ。理論の構築よりも、現実の世界で人が幸せになるためにどうしたらいいのか、どう考えたらいいのかをテーマにしていて、心理学と哲学の中間にあるような内容だ。あらゆる悩みは人間関係の悩みである、というところから出発して、幸福になるとはどういうことかを追求していく。

 そうだよなあと思ったのは、「対人関係を横の関係として捉えよ」という話。みんなが平原を思い思いに歩いている。そんなイメージで人生を捉える。他人との競争でもないし、上下関係でもない。横の関係、つまり「対等」が重要なのである。

 「誰かの期待に応えようとしてはいけない」いうのもアドラー心理学のキーポイントのひとつ。そう聞くと、もっと好き勝手に生きていいんだ、と少し気が楽になる。でも、自分のことだけ考えていれば幸福になれるかというと、そうではない。幸福になるためには「他者貢献」が必要だ。

 「期待に応える」のではなく「貢献」。この微妙な違いがミソなのだろう。それはおそらく自発的かどうかの違いだと思う。期待に応えることは、極論すると命令に応じることである。一方、貢献は自発的に誰かのためになりたいと思う気持ちであり、それが満たされると幸福感を得る。これがアドラーの考え方のようだ。

 でも、他者への貢献と言われても、自分のことで精一杯で、他者を助ける余裕なんてないなあと思ったりする。そこで手始めに考えられそうなのは、「課題の分離」。他者の考えや行動は変えることができない。だから、人の課題には立ち入らないし、自分の課題には立ち入らせない。そこにラインがあることを自覚することが大事なようだ。

 その上で、自分が他者にできることはなんだろう?

 実際に個人がどうすれば良いかまでは、この本には書いていない。なので、自分が他人との関係のなかでうまくいったときのことを思い出してみる。そのときは他者に貢献することが苦痛じゃなかった。努力すれば、まわりの人にもその努力がわかる。そんなグループだった。でも、それは純粋な他者貢献のレベルに達していないとも思える。アピールしなくても認めてくれる、という安心感があったに過ぎない。

 貢献を誰からも認められなくても充実感を持てるだろうか? 何らかのフィードバックが欲しくなるんじゃないだろうか? 直接の言葉でなくても、貢献を実感できる行動や態度を見たい。例えば、笑顔であったり。

 自分の場合は他人が笑顔になればうれしい。笑顔が貢献度を知る指標になっている。だけど、それだとひとつ間違えると、機嫌取りになってしまう。目の前の人に笑顔になってもらうには、内容はどうあれ、その人の期待に応えることが近道だからだ。でも、アドラー心理学によると、期待に応えようとしてはいけないのだった。

 ということは笑顔を指標にするのは間違っていることになる。これはけっこう厳しい。相手から笑顔が返ってこなくても気にするな。他人の笑顔に振り回されてはいけない、ということか……。こうやって考えていると、自分にとって「嫌われる勇気」というのは、笑顔に頼る状態から脱せよということかもしれない。

 この本で個人的に勇気づけられたのは「普通であることの勇気」という言葉だった。ナンバーワンでもオンリーワンでもなく、普通がいいのである。それを知っておくと、人生が終わるときに嘆くことはないだろう。ナンバーワンやオンリーワンは自分の課題ではないし、幸福感とも関係がない。自分なりに「普通」に生きることが大切なのだと思う。

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