古代のタミル人が日本まで来ていた?

インド旅行を前に、国語学者の大野晋さんによる『弥生文明と南インド』を読んだ。南インドの文明が3000年前に日本にやってきて、それが弥生時代を開く原動力になったという説である。

この本より前に、著者の大野さんは、古代日本語と古代タミル語(インド南部の言葉)が似ていることを見つけ、日本語の起源はタミル語ではないかという説を発表している。しかし、この説には異論もあって、というか、言語学者からはあり得ないと批判され、認められていない。この本の冒頭でも「このような考えは誰にとっても空想としか受け取れないだろう」と自ら語っているほどだ。でも、大野さんはこの説に自信を持っている。

それを証明するために、この本では南インドと日本の文明を比較している。

まず、正月15日に小豆入りの粥を食べる風習が共通していること。大野さんはタミル人の学者と話していて、日本と同じ風習が南インドにもあることを知ったのだ。それを皮切りに「ポンガル、ポンガル(日本ではホンガ、ホンガ)」と言いながら正月に家々を巡ること、門松や神社のしめ飾りに似たものが南インドにもあること、とんど焼きの風習や古代の墓の形の類似など、実例を挙げていく。

ほんまかいなと思いながら読んでいたけど、上部に複数の出っ張りがある日本の子持壷とインドの五面鼓はたしかにそっくりで驚いた。カラス勧請といって、正月などにカラスに餅を投げて与える風習も似ているのも、偶然とは思えない。

興味を引かれるのは、果たして古代のタミル人が日本まで来ていたのかどうかということだ。言語の起源になったかどうか、文明を与えたかどうかはともかく、タミル人が船に乗って、日本あたりまで旅して来ていたことは、考えられる気がする。

シンガポールやマレーシアには今でもタミル人がたくさん住んでいるし、インドネシアにはヒンドゥー教が伝わっている。マダガスカルやアフリカにもインド人は進出している。そういうことから考えると、タミル人は高い航海技術を持っていて、日本くらいまで来ていたんじゃないか、そのあたりで寒さに耐えられなくなって引き返したんじゃないか。そのときに少し覚えた言葉や風習をインドに持ち帰ったのかもしれない。(時代のつじつまが合わないかもしれないけど)

と、そんなことを想像するのはけっこう楽しい。その点で大野さんには共感したし、晩年になって学際的なところに飛び込む勇気というか、その好奇心にすごいと思ったのだった。

弥生文明と南インド

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