整理することが流行ってるんじゃないか

自分がいる世の中は、いったいどうなっているんだろう? それを知りたい欲求がある。裏を返せば、自分がどういう社会に住んでいるのか、よくわからないということだ。

よくわからないから知りたい? 理由はそれだけではない。たぶん、他の人がどう暮らしているかを正確に知ることは、自分が生きるうえで有利な情報になることがあるからだ。

たとえば、どの職業の人がどれくらいの年収をもらっているか、どういう環境でどんな気持ちで働いているか、そんなことがわかれば、自分が仕事を選ぶ上で参考になる。そのとき大切なのは、その情報がどれだけ信頼できるかだ。ウソだったり、思ってもないことをあたかもそう思っているように言うことは、生きるうえでの情報としては邪魔なものになってしまう。

開沼博さんの『漂白される社会』という本を読んだ。

社会のことを調べるには、多数を対象にした量的調査と、少数を対象にした質的調査がある。どちらが優れているかは議論があるようだけど、社会学者の開沼さんは、少数を対象にインタビューを重ねていく方法をとっている。単なるインタビューというよりも、その人の領域に分け入って、話を聞くスタンスだ。この『漂白される社会』は商業誌のライターでもある著者による、ルポと社会学的考察が織り交ざった内容の本だった。

取り上げられているのは、売春島、ホームレスギャル、シェアハウスビジネス、生活保護ビジネス、援デリ、違法ギャンブル、脱法ドラッグ、偽装結婚、ブラジル移民、中国エステ、といった社会の周辺的な存在。そして「漂白される社会」とは、こういった正と悪のグレーゾーンにいる人たちが、行政や人々の意識の変化によって浄化され、見えないところに追いやられることによって、色を失っていく社会のことだ。

浄化とか、クリーンとか、そういう意識はなんとなくわかる気がする。個人の意識レベルでも、なにかその空気を感じる。

たとえば、最近は「整理する」ことが世の中で流行しているんじゃないか、と思うことがある。まとめサイトであったり、○○を成功させる10の方法とか、そんな記事をよく目にする、まあ、その程度のレベルの感覚だけど、自分の仕事を考えても、なんとなく「整理せよ」という圧力を感じている気がするのだ。

整理しようとすると、どうしてもうまく整理できないグレーゾーンのものが出てくる。整理したい欲求には邪魔な存在だ。なかったことにして見てみぬふりをするか、それとも強引に整理のなかに組み込んでしまうか。複雑なことをきれいな箇条書きにまとめようとするときの葛藤、といえば想像してもらえるだろうか。

グレーゾーンが行き場をなくしているような状態。それが世の中全体の動きとして起こっているんじゃないだろうか。それがこの本を読んでの感想であり、自分の仮説である。

また、知らなかった社会の一部を見せてくれるという点でも、この本は興味深く読めた。ルポの部分がそれだ。

「部屋をわざとゴミ屋敷にしておくこと」と書かれた生活保護ビジネスのマニュアルには驚いたし、野球賭博にはハンデ師という人がいて、その人の職人技的なハンデの調整によって、ギャンブルのおもしろさが設計されていること、闇カジノでは数億円といったお金がビルの1室で動いていることなど、自分の普段の生活では知ることができなかったことが描かれている。

とくに印象に残ったのは、中国エステを経営している女性へのインタビュー。中国の東北部から出てきて、日本で中国エステを経営するまでの道のりが語られている。性的サービスはしないという中国エステのサービスの仕組みもおもしろかったし、その世界で生き残っていくためにどういう工夫をしているかも興味深かった。

こういう個人的な話は、世の中の見方を変えてくれる。そして「こういう世の中に生きているんだなあ」という実感のような、知っている言葉に当てはめると「多様性」を感じる。この本を電車で読んだ後、家やビルに灯る明かりを見ながら夜道を歩いていると、これまで背景に過ぎなかった静止画が、動画として動き出すような、そんな感覚を覚えたのだった。

世の中の一面を感じさせれくれるおもしろい本だった。と、ぜんぜん整理できてない感想かもしれないけど、とりあえずこれでよしとしよう。

漂白される社会

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