書くことは、考えること

『はじめて考えるときのように』という本を読んだ。考えるとはどういうことだろう? という問いが、この本のテーマだ。

哲学者である著者の野矢さんによると、まず、考えるためには問題がなければならないという。問題を抱えて、その答えやヒントがないか探すこと。能動的に探していなくても、その答えからの声に耳を澄ませていること。これが考えているという状態なのである。

なるほどなあと思う。ふとしたときに、なにかの解決方法を思いつくことがあるけれど、そのときまでずっと頭をフル回転させて「考えて」いたわけじゃない。それでもふと何かを思いつくのは、その答えがどこかにないか、耳を澄ませていたからだ、という説明は実感としても納得できる。

また、現実の世界を現実のままに受け止めていては、考えることは起こらない、と野矢さんはいう。それはただの反応である。現実の世界から飛躍すること、可能性を検討すること、それが考えることなのである。

そういえば、このあいだ旅行に行ったとき、飛行機の中でひとりで大笑いしているおじさんがいた。でも、そのことについてとくに感想を思いつかなくて、「ただ笑うおじさんがそこにいた」と日記に書いたのだけど、たぶん、それが現実を現実のまま受け止めているだけ、という態度なのだろう。

みんなが現実を現実のまま受け止めてしまえば、秩序は作られず、てんでばらばらな社会になってしまう。飛行機の中には乗務員がいて、乗客がいて、パイロットがいて、それぞれの立場で秩序を保っている。一方、旅行者はとくに責任もないから、現実を現実として受け止められる特権があるのだと思う。

話がそれてしまったけど、この本で共感したのは、考えることは自分の内側ではなく、外側で起こるのだということ。そして、考えるにはかならず言葉が必要だということ。だから、今こうやって文字を書いているのも考えることのひとつなのだ。頭の中だけで考えているときでも、実際は言葉を使って、仮想的に自分の外側を作り出している。

自分はたいていの場合、何か書き出してみないと考え始められない。逆にいうと、何か書き始めると少しずつ「考え」が動き出してくる気がする。だから、自分の外の作業をすることが考えることなのだ、というのは実感と合っている感じがする。

と、こんなふうに、考えることについて考えさせられながら、哲学者の考えるプロセスを教えてくれる本だった。「考える」という言葉を目にしすぎて、ちょっと頭が痛くなってきそうだけど。

はじめて考えるときのように

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