時間という概念がない世界

逝きし世の面影』の「労働と身体」というパートを読むと、当時の日本の仕事には、ゆとりと自主性があったことがうかがえる。

外国人が日本人に仕事を頼んでも、おしゃべりばかりでなかなか取り掛からなくてイライラしたり、工事現場で何か作業をするたびに歌を歌うので非効率だと思われたり、何かあるとすぐに仕事を放り出して野次馬が集まったりと、言ってみれば、今自分たちが途上国を訪れたときに感じるようなことを、当時の外国人たちは感じていたようだ。

一方で、外国人一行が泊まるというので、多人数の客に対応するために宿の改造が必要になったとき、大工が短い時間で、ものの見事にクオリティの高い仕事をやってのけて驚いた、という記述もあって、日本人は高いスキルも持ち合わせていたことがわかる。このあたりのコントラストが、おもしろい。

でも、当時ののんびりした日本っていいなあと思う。最近読むような本では、「人の人生は短い。時間には限りがある。だから、今を大切にしてやりたいことをやりなさい」というメッセージが多いけど、当時の日本には、そもそもまるで時間という概念がなかった。少なくとも、そう外国人には見られていた。働きたいときに働いて、そうでないときは働かないことが可能で、ある意味で、今を大切に生きていたと言える。

「人生には限りがある」と脅されなくても、自然に今を大切にして生きられる世界。そんな場所は、今でも世界のどこかにあるのだろうか。のんびりした場所を巡る旅をしてみたくなった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?