主婦回帰現象から、個人と社会について考えた

アメリカでは主婦への回帰現象が起きている。アメリカ人の女性ジャーナリストによる『ハウスワイフ2.0』という本を読んで、そのことを知った。

主婦といっても、1950年代の主婦とは違う。タイトルに「2.0」がついているのは、そのためだ。かつての家事は苦痛なもの、そこから女性が解放されるべきものと考えられていたけれど、新しい主婦は自発的にその道を選び、その仕事に価値や喜びを見いだしている。家事をより先進的なものとして捉えているのだ。

まず、主婦ブログがすごい勢いで広がっていることに驚いた。有名ブロガーだと1日10万人がサイトを訪れ、年収100万ドル、つまり1億円プレイヤーが存在する。主な収入は広告であり、企業も主婦を無駄にできない存在として、重視し始めている。マクドナルドやスターバックスといった大企業が、主婦ブロガーを集めたイベントを主催したりしている。

手芸作品をネットで販売することも盛んなようだ。「エッツィー」という有名な手芸販売サイトがあり、その運営会社は急成長している。こういったブログや手芸販売によって、かつてのフェミニズムが夢見た「主婦の仕事に給料を払う」世界が可能になりつつあると著者はいう。

手芸サイトの話でおもしろかったのは、販売者にモルモン教徒が多いこと。モルモン教徒は宗教の教えにより、もともと専業主婦が多く、何でも自分の手で作るという文化もあった。そして、日記をつけることが指導されてきたので、ブログを書くことも得意なのだ。

また、子どもの教育について、保守的なカトリック教徒と進歩的なインテリ層の人が、同じ方向に進んでいるのも興味深い。もともとカトリック教徒の母親は、宗教的な理由で自宅で子どもに勉強を教えていたが、今では進歩的なママの間でも、我が子を自分で教育する「ホームスクーリング」が流行している。動機や背景は違うけど、やっていることはそっくり同じだ。

さらに、本来は右寄りのリバタリアン(自由主義者)と、左寄りのロカヴォール(地元産にこだわる人)も、食についての考え方で意気投合したりしている。こうやって価値観の構図が変わり始めているのも、ハウスワイフ2.0現象の特徴だ。かつて貧しい人が必要に迫られてやった家事を、いまは比較的裕福な人が復活させていて、昔と現代という観点でも価値観は逆転している。

著者も同じ20~30代の女性として、この動きに共感を寄せる一方で、課題も挙げている。

まず、経済的に自立できるのかという点。離婚したり夫が亡くなったりしても大丈夫なのかという問題だ。

もうひとつは、社会的な人材が失われてしまうのではないかという懸念。著者はハウスワイフ2.0現象の背景には、仕事内容や職場環境への不満があると見ている。そのせいで、知的で進歩的で能力のある人が家に入ってしまい、社会に貢献しなくなる。そのことを著者はもったいなく感じているのだ。

個人的には、会社や仕事が中心の価値観から、生活中心の価値観に変わっていくことには希望を感じる。そのほうが生きやすい世の中になるんじゃないかと期待するからだ。でも、女性や若者はもっと外に出るべきだ、という著者の思いもわかる。

なんとなく、「個人と社会」のようなことを考えさせられた。

ハウスワイフ現象は個人の生きやすさを追求した結果だ。考えてみると、自分も個人を重視してきた気がする。「自分を大事にせよ、個人の考えを大事にせよ」と言われてきたし、実際に、社会よりもまず自分という意識があるように思う。「自分ごととして考えよ」のようなフレーズがよく言われるのも、それを表しているかもしれない。自分ごとをすっ飛ばして世の中のことを論じたら、空論だと非難されてしまいそうな空気だ。

自分ごととして考えるのは大切だ。でも、人はあらゆる立場を経験することはできないし、あらゆる人に話を聞くこともできない。だから、社会について考えようとすれば、どこかで想像力が必要になる。「自分と同じことをみんながすればどうなるだろう?」と想像するようなことだ。

たとえば、予防接種のことが思い浮かぶ。予防接種は、接種率が下がれば病気が蔓延してしまって、社会全体はダメージを受ける。個人として考えるときは、副作用のリスクとその病気にかかる確率のバランスをどう考えるかだけど、全体では、病気が蔓延したときの社会のダメージについて考えないといけなくなる。

と、話はだいぶずれてしまったけど、『ハウスワイフ2.0』は主婦回帰に注目してまとめた視点がユニークで、文体も軽妙。今の世の中の動きがわかるおもしろい本だった。

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