アンチプロっぽさ万歳

「37シグナルズ」という会社があって、社員は少人数ながら、世界中に数百万人のユーザーを持つソフトウエアを作っているそうだ。その会社の創業者らが、仕事をする上でどのように考え、どのように行動しているのかについて書いた
小さなチーム、大きな仕事』を読んだ。

おもしろい本だった。書いてあることに、つくづくうなずかされた。それは前々から自分もそう感じていた、と思うようなことであり、つまり、当たり前のことなのだ。それに対していちいち「そうだよなあ」と感嘆してしまうのは、当たり前のことを当たり前に考えて実行することが、実際は難しいということだろう。

なぜ難しいか? それは一言でいうと、現状を変えたくないからだろう。変化に抵抗する気持ちが、それを難しくさせている。その気持ちは自分の中にもあって、それらが少しずつの寄せ集められて大きな組織になると、手がつけられなくなる。だから当たり前のことをしようと思ったら、自分たちでそれを始めて、この会社のように、小さなチームであり続けることが重要なのかもしれない。

この本では「僕らはみんな見積もりが下手だ」とか「『なる早』は毒」とか、共感したことがいくつも書いてあったけど、とくにそうそうと思ったのが「プロっぽさ」の問題だ。

「ビジネスの世界では、スーツに身を包み完璧に見せようとする『プロフェッショナル』がたくさんいる」「プロ精神のマスクはばかげている。なのに小さな会社は自分たちをプロフェッショナルに見せて、大きな会社の仲間入りをしたいと思っている」。

自分も常日頃から「プロっぽさ」を作るってどうなのかと思っていた。とりあえずプロっぽい雰囲気のものを作れば、プロの仕事ですねとか、プロに頼むとやっぱり違うね、とか言われたりする。

でも、それが本当に必要なものか? と自分の心に問うてみると、答えはたいてい「NO」なのである。作り手は、クライアントが受け入れやすいようなプロっぽい体裁のものを作り、クライアントも独自の判断基準を持たないから、プロっぽい雰囲気のものを受け入れてしまう。

つまり、本質的なところに踏み込まないまま、仕事だけはスムーズに進んでいってしまう状態。これがプロっぽさの正体だと思う。

取引する同士には都合がいい。でも、それを受け取るユーザーにとっていいことがあるだろうか。プロっぽい雰囲気だけのものはスーツで固めただけのセールスマンのように親しみを感じないし、人の心も動かさない。「プロっぽさ」は人間らしさの対極にあって、だから「嘘っぽさ」を感じてしまうのかもしれない。

自分もつい油断するとプロっぽさに取り込まれていたり、プロっぽさを目指そうとしてしまったりする。だから、この本全体を通じて流れる「アンチプロっぽさ」の精神に、すばらしいと思ったのだった。

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