自由になりたい、と思うときの罪悪感の正体

 人生において、真面目に取り組むべきものと逃げていいものをどう見極めたらいいんだろう? そんな疑問から、タイトルに興味を持って『悩みどころと逃げどころ』という本を読んでみた。ブロガーのちきりんと梅原大吾というプロゲーマーの人が対談した内容をまとめた本だ。

 読んでみた後となっては、この問いに対する答えって書いてあったっけな? という感じで、主に話されているのは、学校的な価値観ってどうなの?というテーマだった。そこから人生をいかに生きるべきかという話に発展していく。

 ちきりんさんは、学校的価値観ではだめでしょ、そうじゃなくて、自分の頭で考えて自分の価値観を作っていくべき、と主張する。たしかにそれはそうだと思う。でも、学校の成績の良さを完全に否定するとなると、少し違和感がある。

 自分も、学歴や成績なんて実際の社会では関係がない、と思っている、というか、そう思いたいと思っているのだけど、例えば、会社で仕事ができる人、信頼できる人を思い浮かべてみると、いい大学、堅実な大学を出ている人の方が安定感がある。仕事ひとつひとつの能力は学歴によらないのかもしれないけど、安定感、信頼性という点で学歴がものをいう。自分の少ない経験だけからだけの印象だけど、そう感じる。

 たぶん、社会の土台みたいなものを作るのに、学校教育は貢献しているのではないか。画一的な教育では尖った人が育たないと言われるけど、日本の良さとは世界的に見て、安定性とか信頼性だろう。東京にオリンピックが決まったのも、他の候補都市に比べて格段に安定しているからだ。クールジャパンもいいけど、安定性がまず一番の特徴だと思う。前にイギリス人の知り合いが初めて日本に来て、その印象をwell structuredと言っていた。しっかりしている、みたいな意味だ。

 そんな安定性のなかで、いかに幸せを見つけていくか。ひとりの人生でも冒険したいときもあれば安定したいときもある。でも現代は、その気持ちの変化に向き合うこと自体がリスクになっている。安定と非安定を行き来しやすいような、安定から飛び出してもいつでも安定に戻れる仕組み、雰囲気、そういうものがあって欲しい。

 つまり、安定も飛び出しも両方必要で、それぞれがリスペクトし合えるといい。飛び出す人は安定を作ってくれる人に感謝し、安定を作っている人は飛び出す人の勇気が新しい道を切り開いてくれることを応援する。安定した土台がないと飛び出すことはできない。

 この本では、ちきりんさんはそういった飛び出しのほうに主に目を向けているけれど、梅原さんは土台の部分、具体的には他のゲーム仲間、ゲームの実力的には自分より劣るけれども、ゲーム文化を支えている人たちのことも考えて、ひとまとまりの共同体のように捉えている。土台にも意識を向けているようで好感を持った。

 飛び出すのも逃げではないし、土台を作ることにも価値がある。そのイメージがはっきりした。個人の動きでは、飛び出したいときに飛び出せばいいし、安定したいときは安定すればいい。でも全体としてどちらも必要というイメージを持っておくと落ち着く。

 もっと自由に生きたい、と考えるとき、電車の運転士さんのことが頭に浮かぶ。運転士さんは毎日安定して人を運んでくれている。仕事なんてほどほどでいい、自分の暮らしのほうが大事だ、と自分に言い聞かせるように思うことがあるけれど、運転士や飛行機の整備士の人にそう思われると困る。

 そこは行き来していいんだよ、レースを引っ張る人が交代するように入れ替わっていいんだよ、というイメージを持つと罪悪感が薄れる気がする。そう、自分が自由になりたい、と思うときに罪悪感があるのは、土台を支えてくれている人に対する気持ちなのだ。そこには感謝もするし、リスペクトもするし、でもそれだけでは何か足りないので、いつだって交代する用意はある(ずっとは無理だけど)という思いを伝えたい。そんなことを思ったのだった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?