本質から目をそらすのは、目的に賛同できていないから

コミュニケーションをデザインするための本』という本を読んだ。電通に勤める著者が、コミュニケーションデザインという仕事について、事例を交えつつ、紹介した本。著者は大学院での研究者という顔も持っている。

この本で語られているのは広告の世界の話。コミュニケーションデザインとは、従来のような職種での分業ではなく、トータルなコミュニケーション戦略を考える仕事のことだ。そういう立場の人を置くことで、全体の流れを設計できる。メディアのミックスはもちろん、クライアントにどういう課題があって、それをコミュニケーションによってどう解決するかを考えることができるようになる。

著者によると、広告会社で働く人や制作に携わる人は、クライアントに従順になる傾向があるという。だから、本質的な課題にあえて触れないようにしたりする。これまでの職種による分担では、この問題に切り込むことができない。誰がそういう役目をするのかが、はっきりと決まっていなかったからだ。

そんな状況を改善しようとするのが、コミュニケーションデザイナーの役割だ。仕事が細分化していくと、本質的な課題が見えなくなりがちだけど、そこから目をそらさずに全体を見て解決方法を考える人が必要だということである。

こういう仕事の考え方と重要性はとてもよくわかる。そういう意味で参考になる本だった。でも、何か少し違和感を持ちながら、自分はこの本を読んでいた。それは何だろう?

正直なところを書くと、それはつまり、著者が広告の仕事をエンジョイしているってところじゃないかと思う。それはまったくすばらしいのだけれど、それと照らし合わせて自分のことを考えてみると、企業の広告の仕事=楽しいという図式が、自分には理解できていないということに気がつく。

とくに、この本で紹介されているような人を集めてのキャンペーンや、Webを使った凝った仕掛けなどは、自分がやると考えただけでも、とうてい無理な気がしてくる。仕事を頼まれてるわけじゃないし、そんな心配をする必要はまったくないのだけど、どうもこのあたりに違和感のもとがあるような気がする。

それが、広告ではなく、他の分野の仕事だったらどうか。

例えば、NGOみたいなところに勤めていて、そこでイベントや集客をやるからそれを担当するとか、企画をするとか。そういうことなら、心の持ちようは違う気がする。言い換えると、自分は、企業のプロモーションに興味が持てていないというか、賛同できていない。つまり、目的の核心部分に賛同できていないわけで、それが本質的なことから目をそらすという態度に、ループのようにつながっているのだ。

まあ、それはそうとして、この本の最後のほうで述べられていたクライアントとのコミュニケーションや、社会でのコミュニケーションといった分野は、興味深い。同じコミュニケーションの話でも、広告プロモーションではなく、仕事を進める上でのコミュニケーションをどうすればよいのかというテーマは、いろいろ考えてみたい気がした。

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