日本と朝鮮半島をつなぐ旅

昨年から夏のお盆休みの数日間、長崎県の島(実際は福岡県に近いけど)壱岐に滞在している。

壱岐は海がきれいではあるけれど、沖縄など南の島に比べたら地味で、とくにユニークな文化があるわけではない。そんな印象を持っていた。実際、滞在している家の庭仕事をして、たまに釣りに行って釣れた魚を食べて過ごすだけで十分満足している。

でも、せっかくなので、この島について書かれたものを読んでみようと思って、『街道をゆく 13 壱岐・対馬の道』を手に取った。

司馬遼太郎によるこの紀行文を読むと、壱岐も対馬も似たようなものだろうと思っていたのが、じつは結構違うのだということがわかった。まず壱岐は「カレーライスの皿をひっくり返したような」形の比較的平坦な島で、米作りが盛んだ。

一方、対馬は山がちで田畑が少なく、漁業中心の島である。そのため対馬は自給自足ができず、おそらくそれが理由で古くは朝鮮半島に攻めいった。なんとかしようとした朝鮮半島側は、対馬に米を送ることで平安を保ったらしい。

司馬遼太郎が訪問したときの経験では、対馬の人と壱岐の人では人当たりも違っていた。対馬の人は朴訥で、タクシーの運転も荒っぽく、逆に壱岐の人は穏やかで、柔らかい印象だったそうだ。これは漁民と農民の違いだろうと司馬氏は分析している。

朝鮮半島は、古代、鉄が算出したこともあり、一歩進んだ文化を持っていた。それが対馬、壱岐を経由して日本の本土にもたらされた。対馬も壱岐も朝鮮半島から人が渡ってくる場所であり、いまの原の辻遺跡の近くには船着場があって、当時の最先端の鉄器などが持ち込まれていたようだ。

古代の航海のことを考えると、いつも信じられないような気分になる。今でもフェリーに乗ったりすると海の広さに驚くけれど、その大きな海を小舟で渡ろうと考えるなんて、昔の人はすごい度胸だと思う。

でも、たぶん、目的地が肉眼で見えれば、渡ってみたいと思う人がいて、実際見えていればなんとか渡れる、ということなのだろう。何も見えない広大な大洋に向かって漕ぎ出す気持ちはわからないけど、見えている島をたどって移動していくというのは、自分が志願するかはともかく、感覚として納得できる気がする。

この本を読んで、壱岐・対馬に対して「日本と朝鮮半島を結ぶ道」としての見方が加わった。いつかそのルートをたどって韓国まで旅行してみたい気持ちになった。なんか読書の後はいつも旅してみたい気持ちになっているような気もするけど。

街道をゆく 13 壱岐・対馬の道

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?