自分が本当にしたいことの気配

 『女子をこじらせて』を読んだ。著者である雨宮まみさんが若くして亡くなったとニュースになっていて、この人のことは知らなかったのだけど、ふと目にした彼女が書いた書評が良かったので、一冊読んでみようと思ったのだった。

 この本で彼女は一般的に有名になったようだが、本業はアダルトビデオのライターだ。アダルトビデオとはいえ、そこは仕事の世界だし、プロ意識を持って仕事に臨んでいる……という感じのことが綴られるのかと思っていた。いや、出だしを読む限りそう思ったのだけど、そこに至るまでの子供時代からの経緯が語られるうちに、雨宮さんの性への強い興味が明らかになっていく。単純にお金を稼ぐ仕事として選んだわけではなく、強く惹かれるテーマとしてこの世界があったのだ。自身の性体験も明らかにされるし、長く抱いていたコンプレックスも伝わってくる。ひりひりするような、というのはこういう感じを形容するのだろう。

 亡くなった理由は明らかにされていないけれど、ブログには希死念慮がうかがえる文章が掲載されていたという。雨宮さんとは性別が違えど、彼女が持つコンプレックスや仕事や社会に対する恐れのようなものには共感する部分があった。でも、その気持ちに真面目すぎるというか、自分ならまあいいかと見逃したり、ないことにして素通りしたりしていることから、目をそらすことができない人だったのだろうという気がする。

 例えば、性の問題で「一生誰か1人にしか欲情せず、誰か1人にしか惹かれないことなんてありえない」という言葉は多くの人が封印している言葉だろう。仕事でも「自分の若さが枯れていくようでした」というのは、まさに自分が若いころ思ったことに似ている。たぶん会社をすぐに辞めてしまう若者は、だんだん失われていくと気づいた若さが浪費されていくのがもったいないと感じて、辞めてしまうのだと思う。

 「帰りの地下鉄のホームの柱を素手で何度も殴りました」というのも、自分も似たようなことをやったことがあるなあと思い出す。言いようもない焦りのようなフラストレーションが噴き出してくるのだ。「どこかでいつもビクビクしていました」。それもわかる。本心と対外的に演じなければならないものがずれ過ぎると、常にビクビクを感じてしまう。いや、それは演じるという割り切りができていないということか。

 会社仕事を離れて自由になりたい、新しい世界に踏み出したいという気持ちを重ねて、この本を読んでいた。彼女は独立してフリーライターになるとき、「謙遜という美徳をこのときに捨て」たという。フリーになったあとはまわりの評価を気にする時代もあったが、それを抜けたとき「誰がどう思うかじゃなくて自分が本当にしたいことの気配」を感じたそうだ。その感じを自分も味わってみたい。そういう方向に少しでも近づけるように動きたい、と読んでいるうちに考えていた。女子だけでなく、男子も勇気づけてくれる本だったのである。

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