イスラムの良さを取り入れられる立場にいる

 ミシマ社の本で、話題になっていた『となりのイスラム』を読んだ。このあいだの『イスラム国の内部へ』から引き続いて、またイスラムに関する本だ。

 タイトルから、日本の近所に住んでいるイスラム教の人を取り上げた内容かと勝手に思っていたけど、そうではなかった。著者はイスラムを研究している大学の先生で、イスラム教徒とは? という基本的なことがらを、時事的な話題や自身の体験をベースに、わかりやすく解説している内容だ。なんとなくしかわかっていなかったことが、よく理解できた気がした。

 例えば、スンニ派とシーア派の違い。ニュースで見聞きしていたけど、やっと頭に入った気がする。シーア派とは、イスラムを創始した預言者ムハンマドの後継者の1人で、4代目のカリフとなったアリーとその子孫を崇拝する人たちのこと。先の本でイスラム国の人たちも「アリー」を合言葉に使っていたので、彼らもこちらの系統だろう。イスラム全体のコンセンサスを重視するスンニ派に比べて、ややマニアックなところにフォーカスしているのがシーア派だ。

 というか、そもそも預言者と神の違いも、これまであまり意識していなかった。ムハンマドは神ではなく預言者で、絶対的な存在である神には名前などない。ユダヤ教もキリスト教も、神の教えを誰がどのように伝えたかという違いなのである。これが一神教であり、仏教や神道、アミニズムとは同列に語るものではない気がしてくる。

 この本で印象的だったのは、イスラム教徒は人と人の間に線を引かないということ。神のもとに人は平等なので、人種、民族、出身国の違いは気にしないし、身分によって区別することもない。これは大いに見習うべきことだと著者はいう。

 確かに、イスラム教の国を旅行すると、いろんなおっさんがわらわらと集まってきて、なかには役職的に偉い人もいるのだろうけど、ぱっと見わからない。日本のような国では雰囲気で上下関係がわかってしまいそうだ。こういうフラットさがイスラムの特徴なのだろう。逆に、自分は本を読み始めてもすぐに著者のプロフィールを見たくなったりして、いかに人の立場や実績を意識しているかを思い知らされる。

 また、イスラムは判断を神に丸投げしてしまうからストレスが少ない、と書かれていたのも、そうだろうなあと思った。日本の会社だと、できるかどうかわからないことも「できます」と言い切るのが潔い、みたいな風潮があるけど、わからないことはわからない、インシャアッラー、というのは、余計な責任を背負いこまなくていい知恵とも思えてくる。その気楽さが、人がイスラムに惹かれる要素のひとつであり、そういうメリットがあるからこそ、イスラム教徒は今の世の中にたくさんいるのだ。

 イスラム教は商売から生まれた宗教だということも初めて知った。ビジネスを円滑に行うための知恵が詰まった都市型宗教なのである。そこでは儲けたら貧しい人に施しをしなければならない。自分の才覚で儲けたと思うな、という教えは資本主義、競争主義で失われがちなメッセージだ。弱者にやさしくするのは義務なのである。

 イスラム国のことや過激派によるテロのニュースを聞いて、自分にできることは、善悪の判断を下すことではなく、イスラムの人について知ろうとすることだろう。でも例えば、イスラムを深く学ぶと、イスラムに傾倒していると警戒されることがあるかもしれない。相手を知ろうとすると、反逆者のレッテルを貼られてしまう。それが分断の本質のような気がする。

 イスラムの考えはイスラムの創世記の教えに基づいており、毎年アップデートされていくようなものではない。トップが考えを変えれば考え方が変わるようなものではない。だから、西欧社会が啓蒙しようとしても必ず失敗する。良くも悪くも変わらないのがイスラムなのだ。逆に、西欧主義、資本主義社会は、状況に応じて考えを変えられる。イスラムを知り、その良さを柔軟に取り入れること。個人レベルでできることは、そういうことじゃないかと思ったのだった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?