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アリスのレストラン〜アーロ・ガスリーの歌を映画化した1960年代後半の放浪風景

『アリスのレストラン』(Alice's Restaurant/1969年)

アリスのレストランは何でもある
アリスのレストランに行けば何でも手に入る
行ってみて 線路から1キロ足らずだよ

これは、シンガー・ソングライターのアーロ・ガスリーが、1967年にリリースしたデビュー盤『Alice's Restaurant』に収録された、「Alice's Restaurant Massacre」(邦題「アリスのレストランの大虐殺」)の一節。

大虐殺とあるが、歌の内容は自らの徴兵検査やゴミの不法投棄から始まった警察騒動を、トーキング・ブルーズ形式で面白おかしく歌ったもの。ライヴ録音による18分20秒にも及ぶ“長い曲”だが、愉快な出来事の連続に観客の笑い声が至る所で聴こえてくる。

この曲に目をつけたのが、『俺たちに明日はない』でアメリカン・ニューシネマの寵児となった監督のアーサー・ペン。

アーロ自身を主役にキャスティングして、曲中のエピソードを実写化しながらも、社会のシステムからドロップアウトした、ヒッピーの若者たちの生活や苦悩を描く物語に仕上げ、1969年に『アリスのレストラン』(Alice's Restaurant)として公開された。

日本公開時の映画チラシ

生真面目な田舎の警官や盲目の判事、放浪する友人といった実在の人物がそのままの役で登場する一方、役者が演じる新たな登場人物を設定したりと、ノンフィクションとフィクションの狭間をいくような不思議で味わい深い本作は、「1960年代後半のアメリカに確かに漂っていた青春のささやかな風景」を記録したフィルムでもある。

アーロ・ガスリーはその名の通り、フォーク音楽の伝説であるウディ・ガスリーの息子。ボブ・ディランが「最後の英雄」と慕っていたことでも有名だ。

ウディは、持病のハンチントン病(遺伝性の神経障害)と闘いながらNYで入院生活を送っていたが、1967年10月に死去。この映画でも父(もちろんウディという名で病床の父親が登場するが、演じているのは別人)の様子を見舞うシーンが何度か出てくる。

このシーンは映画の見どころの一つに間違いなく、フォーク界の巨匠ピート・シーガーが、バンジョー片手に病室で歌を披露する姿が収められている。そこにギターとハーモニカを手にしたアーロが加わることになり、そんな息子の成長した姿を父ウディが嬉しそうに眺めているというもの。

物語は、都会育ちのヒッピーの若者アーロが、田舎の大学に入るところから始まる。

しかし、好きな音楽は学校に理解してもらえず、町の食事一つにしても長髪が原因で、保守的な人々から反感を買って満足にできない。アーロは退学して放浪したり、フォーク・クラブで歌い始めたり、車を買って移動したりする。向かった先は、田舎町にある教会を改築した広々とした家だった。

そこは、年上のアリスとレイが住んでいて、アーロのような若者が大勢寝泊まりしている場所でもある。

レイは、ドロップアウトした人々の理想の住処にしようと計画していた。一方のアリスは、町でレストランを開店する(アーロにCMソングを依頼する。その曲が冒頭の一節)。

しかし、自由を掲げつつも、次第に体制を作ろうとするレイの矛盾が原因で、アリスのレイに対する愛は冷めようとしていた。それでも感謝祭には、大勢の仲間たちが二人のもとに集ってくる。

ゴミの不法投棄が静かな田舎町にとって、50年に一度の大事件扱いで裁判沙汰になったり、NYで徴兵検査を受けたりするアーロだったが、父親が亡くなったことや仲間の死で何かを想う。アリスとレイは正式な結婚式を挙げて盛大に祝うが、アーロの心はそこにはなかった。

最後のカット。去っていく若者たちの姿を、一人でずっと見つめ続けるアリスの姿がどこまでも印象的。なお、アーロ・ガスリーは30年後の1997年に再録盤『Alice's Restaurant:The Massacree Revisited』をリリースした。

文/中野充浩

参考/『アリスのレストラン』パンフレット

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