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エディ&ザ・クルーザース〜その正体はジョン・キャファティ&ザ・ビーバー・ブラウン・バンド

『エディ&ザ・クルーザース』(Eddie and the Cruisers/1983)

1983年9月、アメリカで1本の映画がひっそりと公開された。タイトルは『エディ&ザ・クルーザース』(Eddie and the Cruisers)。

主演は、TVドラマで人気が出始めていたマイケル・パレと、1970年代から何本かの映画に出演していたトム・べレンジャー。後にパレは『ストリート・オブ・ファイヤー』、べレンジャーは『プラトーン』で、誰もが知るスター俳優となる。

映画は本国でヒットしなかったことから、日本での劇場公開は見送られた。しかし翌年、この映画をサウンドトラックが救う。

劇中歌を担当したのはジョン・キャファティ&ザ・ビーバー・ブラウン・バンド。全曲にわたってオリジナルやカバーを演奏し、収録曲の「On the Dark Side」が全米7位の再ヒットを記録。彼らの名は一気に知れ渡り、全盛期に入っていたMTVでも頻繁に流れ始めた。

その声やサウンドが、当時『Born in The U.S.A.』で頂点に立ったブルース・スプリングスティーン&ザ・Eストリート・バンドにあまりにもそっくりだったため、日本の音楽メディアもそれに便乗した取り上げ方ばかりだったのは残念だが、確かにスプリングスティーンの世界的ヒットがなければ、彼らにスポットが当たることはなかったのかもしれない。

だが、今聴き直してみると、「Tender Years」や「Wild Summer Nights」なんて心にグッとくる名曲だし、けっこう優れたサウンドトラックだったことも解る。

映画は無事に日本版DVDも発売されたので、マイケル・パレの口パク演技の上手さも楽しんでほしい。音楽ファンならかなり入り込めるストーリーだ。

公開時の映画ポスター(アメリカ)

ニュージャージーのローカルバンドながら、全米ナンバー1ヒットを放ち、1964年に2枚目のアルバムを録音した直後に、リーダーが事故死。アルバムのマスターテープもなぜか消え、バンドはそのまま解散。あれから18年が経ち、伝説となっているエディ&ザ・クルーザース。

TV局のリポーターのマギー(エレン・バーキン)は、当時死体はあがらなかったエディが実は今も生きていて、幻のセカンドアルバム『シーズン・イン・ヘル』もどこかに存在しているのではないかと、追跡ドキュメントを企てている。アルチュール・ランボーの詩から取られた作品名がどうしても引っ掛かるのだ。

エディ(マイケル・パレ)のバンドで、キーボード兼作詞を担当していたフランク(トム・べレンジャー)は、今は高校で教員となって働く日々。マギーはさっそく手掛かりをつかむため、フランクに取材を依頼するが、彼はもう過ぎ去ったことだと拒否する。

しかしその夜、フランクの部屋が何者かに荒らされていた。その後、DJ、カジノディーラー、ノスタルジーバンドとして働く元メンバーたちと再会していくフランクは、関係者全員の部屋が同様に荒らされていることを知る。誰かが幻のマスターテープを探しているのだ。

フランクはエディと出逢い、一緒に活動した1960年代の記憶の旅へ出る。すべてはニュージャージーのアズベリー・パークから始まった日々を。果たしてマスターテープの存在は? エディは本当に生きているのか? そして意外なクライマックスがやって来る……。

ジョン・キャファティ&ザ・ビーバー・ブラウン・バンドは、ロード・アイランド州の労働者の町で、ローカルバンドのリーダー的存在のメンバーが集まって、1972年に結成された。

古くなったマーケットをスタジオ代わりに使っていた彼らは、倉庫にあったペンキで外壁を塗った。使えるのはビーバー・ブラウン色くらいだった。ギグの前日にバンド名が必要となり、そこから名付けたそうだ。

R&RやR&Bやソウルのコピーバンドだったが、1977年頃からオリジナルも演り始め、1983年に遂に架空のバンドのサウンドトラックという形でデビュー。1985年には来日公演も実現している。現在も活動中とのこと。

文/中野充浩

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