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アメリカン・グラフィティ~伝説のDJウルフマン・ジャックが流す41曲のオールディーズ

『アメリカン・グラフィティ』(American Graffiti/1973年)

ラジオ局のジングルが聞こえ、夕暮れ空やネオンサインに輝くドライブインが映し出される。そして、突然ビリー・ヘイリー&ザ・コメッツの「Rock Around the Clock」が流れ出す。

夜明けまでロックンロールで踊り明かそう!

映画『アメリカン・グラフィティ』より

映画『アメリカン・グラフィティ』(American Graffiti/1973年)はこうして始まる。

日本でも1974年に公開されて大ヒット。1980年代には何度かTV放映されたので(吹き替えにはサザンオールスターズの桑田佳祐も参加)、特に今の50代や60代の人には思い出深い作品かもしれない。

「アメグラ」なんて言い方もされたくらいだ。この世代の男性なら、映画の真似をして、Tシャツの袖に煙草をくるんだことは一度くらいはあるだろう。

数ある青春映画の中でも、特に高校生を主役にしたような学園映画のすべてのルーツは、この作品にあると言っても過言ではない。それほど伝説的な存在になった。

キャラクターが異なる登場人物たちの青春群像、時代設定に見合った全編に流れるポップミュージック、その後の人生をテロップで紹介するエンディングといった手法は、1973年当時としては画期的だった。

やがて1980年代になって作られることになる学園映画の傑作たち(キャメロン・クロウ脚本『初体験リッジモント・ハイ』やジョン・ヒューズ作品群)に、余りにも大きな影響を与えた。そしてその流れが、また次の新しい時代へと受け継がれていった。

監督は、あの『スターウォーズ』シリーズのジョージ・ルーカス。デビュー作『THX 1138』が興行的失敗に終わる中、自身が高校時代を過ごしたカリフォルニアの地方都市を舞台にした『アメリカン・グラフィティ』のアイデアを思いつく。

それはベトナム戦争やビートルズがやって来る前の、1960年代前半のティーンエイジャー・ライフ。ルーカスにはこの作品を通じて、一つの時代の終わりを描きたいという想いがあった。

しかし、頭の硬い映画会社の重役には理解を得られず、資金も引き出せず、誰からも断られる始末。そこで『ゴッドファーザー』で名声の中にいたフランシス・フォード・コッポラに協力してもらい、プロデューサーになってもらうと、難なくGOサインが出たという。

とはいえ低予算映画。集められたのは無名の若者たちばかり(現在では大名優リチャード・ドレイファスやハリソン・フォード、監督として大成したロン・ハワードら)。

たった28日間の撮影で、ルーカスは俳優たちに好きなようにに演じさせ、リアリティ重視のために、NGテイクも積極的に取り入れた。一方では、車のナンパープレートに処女作『THX 1138』を、映画館の看板にはコッポラの処女作タイトルを刻むなど、細部(お礼?)にも拘った。

また、ダックテイルやポニーテイル、フレアスカートやジーンズなどのR&Rファッション、ローラースケートを履いたドライブインのウェイトレス、体育館の床を傷つけないために靴を脱いで踊る「ソック・ホップ」と呼ばれたダンスパーティなどの描写には、自分が生きた時代へのノスタルジーを詰め込んだ。

この情熱的で素晴らしい内容を持つ『アメリカン・グラフィティ』は、それでも劇場ではなく、TV向け映画で配給しようとしていた重役たちの予想を遥かに裏切って、興行的に大成功。

予告編「1962年の夏、君はどこにいた?」というコピーも、多くの観客の心を打った。結果、アカデミー賞の作品/監督/脚本など5部門にノミネートされた。

日本公開時の映画チラシ

物語の舞台は、1962年のカリフォルニアの地方都市。高校を卒業した4人の若者たちを軸に描かれていく。

カート(リチャード・ドレイファス)は、東部の大学へ明日出発する。スティーブ(ロン・ハワード)も同様に他の街の大学へ進学する予定だが、彼女を残して旅立つことを迷っている。

レースに夢中なジョン(ポール・ル・マット)は、車を流してナンパに励むが、乗り込んだのは子供のような年下の幼い女の子。冴えないテリー(チャーリー・マーチン・スミス)は、遊び慣れた女の子と知り合い、酒を調達してエッチに辿り着くまで一苦労。

自分に微笑みかけた純白のサンダーバードに乗った美女を探すため、夜明けまで転々とするカートだが、なかなか巡り会えないことに業を煮やして行き着く先が、海賊放送のラジオ局。

そこには伝説のDJウルフマン・ジャックがいて、謎の美女へのメッセージをリクエストする。ウルフマンは、土地を離れることをためらっているカートを見て言う。「ケツをあげてギアを入れるんだ」。

結局、カートは翌朝東部へ出発することになるが、飛行機の窓からふと見下ろすと、純白のサンダーバードが新しい出発を祝福するように走っている……。

若者たちのアクティヴな青春群像が綴られる中で、いつも軽快な音楽をラジオから流し続けている孤独なウルフマン・ジャックは、この映画で空気のような存在となって最も重要な役割を果たしている。

人はいろんな想いを抱きながら変わり、成長していくということを、彼は自分で流す音楽と共に教えてくれるのだ。

一度耳にしたら忘れない独特の声。日本でも当時、FENというAM局でウルフマンの放送は聴けたことがあるが、知らない若い世代の人たちは、ぜひ『アメリカン・グラフィティ』のサントラ盤でその熱気を体験してほしい。

音楽はデル・シャノンの「Runaway」やプラターズの「Only You」など、1950年代半ば〜60年代前半の、珠玉のオールディーズ・ナンバーが41曲収録されていて、8万ドルの予算で使用権利を得たそうだ(1曲につき約2000ドル。今では考えられないほど安い)。

そういえば映画の中で、デビューしたばかりのビーチ・ボーイズの曲が、ウルフマンのラジオから流れるシーンがあった。それを耳にしたジョンが一言、「ロックンロールはバディ・ホリーまでだ」と呟いたのが印象的だった。

文/中野充浩

参考/『アメリカン・グラフィティ』DVD特典映像

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