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ザッツ・エンタテインメント〜アステアやケリーが歌って踊ったミュージカル映画30年史

『ザッツ・エンタテインメント』(That's Entertainment!/1974年)

1996年2月にジーン・ケリーが亡くなった時、アメリカのABCテレビのニュース番組が流した追悼映像は前代未聞のものだった。

「歌って踊れる偉大な映画スターが83歳の生涯を閉じました」と伝えた後、何の言葉も一切交えずに『雨に唄えば』(1952年)のダンスシーンだけをただ流し続けたのだ。

水たまりで飛び跳ね、街灯の下で踊り、初めて恋を知ったかのように踊るケリー。ただそれだけが4分間続いた。

これは間違いなく、ミュージカル映画至上最高のシーンだろう。この映像が素晴らしくもほろ苦い追悼になりえたのは、単に一人のスターへのお別れ以上の意味があったからだ。それは、ミュージカル映画の“死”に対する追悼だった。

『ニューズウィーク』誌「シネマの20世紀」より

1930年代〜50年代にかけて全盛を誇ったミュージカル映画は、その後テレビの普及やロックンロールとティーンエイジ文化の台頭で人気が下降。1980〜90年代に至っては、映画はすっかり歌うことを忘れていた。

感動的であるが、もう遥か昔のこと。ミュージカル映画は夢の時代の産物・象徴であり、すでに家族の形が崩壊してしまった世の中では、誰も求めていない世界。極端に言えば、そんなムードさえ漂っていたのだろう。

これは日本においても同じようなことが言える。特にテレビがそうだ。1970年代までそれは“お茶の間”の主役であり、そこには一家団欒ための、健全な演出・調和された世界が確かにあった。

しかし1980年代に入ると、台本のないフリートークやタレントのプライベートトークが蔓延。以後、派手なセットやテロップも当たり前となり、アナウンサーでさえアイドル化。ネットやSNSが浸透すると、情報/速報性も薄れ、みんなテレビを真剣に見なくなった。

その反動だろうか。2000年代に突入して、ミュージカル映画は復活の兆しを見せ始める。興味がない人でも『マンマ・ミーア!』(2008年)や『レ・ミゼラブル』(2012年)、近年では『ラ・ラ・ランド』(2016年)の大ヒットくらいは知っているはず。

ブロードウェイのミュージカル舞台ともシンクロしながら、明らかにニーズは高まりつつある。ディズニーアニメが永遠に母と子供たちのものなら、現在のミュージカル映画は、古き良き時代を知らない“新しい大人たち”のものなのかもしれない。

そんなミュージカル映画の歴史を辿ろうとする時、『ザッツ・エンタテインメント』(That's Entertainment!/1974年)は、初心者にも“心躍る”ナビゲートをしてくれるアンソロジー。

日本公開時の映画チラシ

ハリウッドの大手スタジオであるMGM(メトロ・ゴールドウィン・メイヤー)の創立50周年を記念して、同社で約200本制作された1929〜1958年のミュージカル映画から75本の名場面、125人のスターたちの至芸を厳選・再編集した2時間12分。公開当時「何を今更」と心配されたそうだが、予想に反して大ヒット。

ナビゲーターは、フレッド・アステア、ジーン・ケリー、ビング・クロスビー、フランク・シナトラ、エリザベス・テーラー、ミッキー・ルーニー、デビー・レイノルズ、ライザ・ミネリなど、MGMミュージカルに縁の深い11人。

スタンダードとなった歌、華麗なダンスやステップ、スターたちの色気やダンディズム、豪華絢爛なセット、膨大なエキストラ、斬新なカメラワーク……

その圧倒的な映像を観ていると、日本の芸能に与えた影響も計り知れないことが分かる。あのクラーク・ゲーブルでさえ、演じるだけでなく、歌って踊らなければならなかった時代。まさに良質な本物のエンタテインメントの連続だ。

サイレントからトーキーへと切り替わった1920年代後半。それまでのスターたちは困惑した。喋ると訛りが激しく、イメージが壊れるからだ。

そこで注目されたのが、ブロードウェイの舞台俳優たち。“新人”たちは東から西へ、銀幕の世界へ渡っていく。

フレッド・アステアもそんな一人。天性のエレガンスと凄まじい努力で、次々と新しいステップを考案。彼が踏む華麗なタップは、ミュージカルの象徴にもなった。

ちなみに1933年に初めてスクリーンテストを受けた時、「演奏はダメ。少し禿げていて、耳が飛び出ている。多少ダンスの素養あり」と記録されたそう。この時、誰一人としてアステアが世界一のエンターテイナーになることを知らなかった。

『踊るニュウ・ヨーク』(1940年)でのタップの女王エレノア・パウエルとの共演は、涙さえ出てくる。

そんなアステアも「映画史上最も多芸で、独創的に富んだタレント。ミュージカル映画の水平線を広げた男」として絶賛したのがジーン・ケリー。

彼はジンジャー・ロジャースやリタ・ヘイワース、シド・チャリースやレスリー・キャロンなど数々の女性パートナー、あるいはアニメのトムとジェリーとまで一緒に踊ってきたが、一番気に入ったのは誰?と訊かれて、こう答える。「フレッド・アステアさ」

『ジーグフェルド・フォリーズ』(1946年)は、二人の唯一の共演作。なお、2年後の続編『ザッツ・エンタテインメント パート2』では、再会のステップを踏んだことで大きな話題に。

そして忘れてはならないのがジュディ・ガーランド。アステアやケリーと並んで、ハリウッド・ミュージカル黄金時代を築き上げた大スター。

16歳で「虹の彼方」を歌った『オズの魔法使』(1939年)から、MGMでの最後の出演で大人の魅力を漂わせた『サマー・ストック』(1950年)まで、彼女の美しさと存在の大きさを実感できる。ナビゲートするのは娘のライザ・ミネリというのも泣けてくる。

1920年代の黎明期から完成期を迎えた50年代まで、『ザッツ・エンタテインメント』にはモノクロ/カラー問わず、あらゆる名作が取り上げられていく。水着の女王エスター・ウィリアムズの水中レビューも圧巻だ。

文/中野充浩

参考/『ザッツ・エンタテインメント』パンフレット

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