趣味の定義についての見解
先日のインタビューについて知人に伝えたところさらにめんどくさい見解が返ってきておもしろかったのでやりとりを載せる。
先日のインタビューについてはこちら。
知人は私にとっての読書というコンテンツと同じくらいゲームを食事のように摂取して生きている。
ゲームの発売日をカレンダーに記入し、その発売スケジュールに間に合うようにクリアを目指し、その合間に有料であろうがフリープレイであろうが体験版であろうがソーシャルゲームもボードゲームもとりあえずプレイしていく様はまさに食事だと思う。
あまりの雑食ぶりにゲンナリすることがあるが、恐らく向こうからしたら私の読書も似たようなものなのだろう。
今回のインタビューテーマについて話を振ったところ、「趣味」として定義された「楽しくて」「続けていること」についてもらった彼なりの見解と私のふりかえり。
楽しみと継続性は両立させる必要があるか?
ようは、「趣味」というからには「何らかの形で続けている」、「継続性がある」のが前提になっている、という定義づけについて、「そもそもそれは両立するの?」という疑問がある様子。
つまり、「継続していないならば趣味ではない」という仮説は成り立たないんじゃないの、と言いたいのであろう。
そうだなぁ、少なくともゲームをやっていない時期は年に2~3か月、場合によってはもう少しあるわけだから、継続性が絶対条件とされてしまうと趣味としてのゲームは少し弱いかもしれない。
そういうこと?と聞き返したところ、そういうことでもない、と。
要は、
継続は習慣であって楽しみとは別カテゴリ
に該当するから、同じ土俵で話をすることがそもそも違うんじゃないの?
ということが言いたかったらしい。
つまり、意識的であれ無意識的であれ、継続する行動が伴う活動、それは趣味ではなくただの習慣ではないのか?
ということらしい。
なるほどなるほど。言われてみれば納得。
たとえば早寝早起きとか、歯磨きとか、それも習慣だよね。
そこに快感情が乗っかるかどうかが趣味の境目ではないの?と思ったり…
そうするとこの場合の「趣味」において継続性は十分条件ではないけれど、「楽しい」という感情は絶対条件…?
だんだんこんがらがってきたので整理。
AならばB、BならばA?
今回の趣味の定義は「楽しくて」「続けている」
楽しければ趣味である、継続性があれば趣味である
が正しいとそれぞれ仮定したとき、
「趣味であれば楽しい」、「継続性があれば趣味である」が成立するか?
うーん。前者は前者で物議を醸しそうだけど、後者はあきらかに趣味の必要条件ではないよなぁ。
定義づけがそもそもピントがずれていた説。
というわけで困った時のGoogleさん。
goo辞書によると、趣味とは、「1 仕事・職業としてでなく、個人が楽しみとしてしている事柄。「趣味は読書です」「趣味と実益を兼ねる」「多趣味」
ランチは平日17時まで
…ちがう!!!
まぁ、確かに、継続性については問われてないなぁ…
継続性ではなくむしろ「仕事・職業としてではなく」って文言のほうがむしろ必要条件かなぁ。
そしてやはり私にとっての読書はこの趣味の範疇からは外れるな…
ということだけ確認して、この毒にも薬にもならないやりとりは終了したのでした。
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