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何者でもない(ときを楽しむ)|34歳 フリーランス

「何者でもない」ときを楽しむ。
情報過多社会では難しいことなのかもしれない。

望んでそうなったわけではなかった。
しかし、人生の神様はいとも簡単に、大好きな仕事を奪い取り、社会に放り出す。

今となっては、その「何者でもない」ときに、自分自身を見つめ直す時間をくれた神様に感謝してやまない。
(来年、何を言っているかはわからないけれど)

起:はじめての「何者でもない」とき

「なんで皆と同じことをしないといけないの?」

幼稚園に通い始めた私が、母親に投げかけた疑問らしい。小さい頃から、自分の好きなことが明確にあって、脇目も振らずそれに没頭する、一人遊びが大好きな子どもだったようだ。

「学校生活=みんなと同じ時間割」から解放されたのは、ロンドンでの語学留学。
語学留学生なんて、身分社会のロンドンでは存在も無いものに等しく、お金もないので毎日パスタかチャーハンを弁当につめて公園で食べる日々。

それでも、誰一人と知り合いのいない国で、自分の興味が趣くままに調べて、毎日毎日外に出て、働き先を見つけたり、友人をつくったり…英語力からか、スターバックスでのアルバイトは落ちてしまったが、何とか社会に溶け込むため、無罪証明書が必要と言われたら準備をして、まずはボランティアから取り組んだ。「移民」や「社会起業家」を最先端に扱うロンドンで、関連する施設にインタビューなども行わせてもらった。

チャンスはごろごろ転がっていて、やる気さえあれば受け入れてくれるロンドン生活は、本当に充実していた。毎日、自分の趣くままにスケジュールを組み立ててゆく生活はやみつきになった。

承:バーンアウトからの「何者でもない」自分

天国のような大学生活から就職活動が始まる。最低限の納得感をもって仕事を決めたかったので、長期インターンを経験し、ベンチャーにしぼって就職活動を行った。結果的に宿泊業界における新興企業へ入社。やる気あふれる個性的な同期に恵まれ、充実した日々を過ごしていた。

しかしどうしても海外で働く夢のあった私は、その先のキャリアを悩みだす。長期休暇で訪れたインドでは、急成長するアジア、若者のベンチャースピリットに大きな刺激を受け、体力のある若いうちにアジアで働いておきたい、と思うようになってフィリピンでの仕事を見つけて渡比。

予想の斜め上を行くハプニングばかりが起こる日々。そんな中でも、人生を思い切り楽しむことを心得ているフィリピン人との仕事は、刺激と多様な視点を与えてもらい、天職だと確信を持ち、この上ないやりがいをもって働いていた。

しかしベンチャー企業所以か、トラブルが多発し、その解決に奔走するために退職。

バーンアウト1回目。

大好きだった仕事ができなくなり、自分を見失う「何者でもない」時間を過ごすことになる。帰国してもフィリピンのこと忘れられずに転職活動は困難を極めた。日本での「何者でもない」身分は、周りを気にしてばかりの自分に恥ずかしさと情けなさがつもり、自分自身のことがわからなくなってしまった。結果、社会復帰には10ヶ月を要した。

なんとか決心して働き始め、数年間は仕事に奔走する日々。情熱ある仲間と一緒に働くことができ、とてもやりがいをもって仕事ができていた。その延長で、また素晴らしい事業会社に出会い、コロナ禍でも猛烈に働くも、身体を壊して離れることになった。

バーンアウト2回目。

どうして、こうなってしまうんだろう。また、時間だけが、無限に生まれた。
仕事が大好きな私は、仕事を最優先にして、余計なことまでしてバーンアウトして退職…というのをくり返す。
このまま就職活動をしてしまったら、また同じ問題に囚われるだろう。もう二度と同じような思いはしたくなかった。

アインシュタインの言葉で、「どんな問題も、それをつくり出したときの意識レベルでは解決できない。」というのがある。

そう、意識レベルを変えるしか無かった。

転:意識レベルを変えるために「何者でもないとき」にやってみたこと

意識レベルを変えるなんて、そんな簡単なことではなかったので大幅なライフスタイルの変更を試みた。

①十分な睡眠と規則正しい生活を続け、自律心を養う

社会人として働き始めてから、8時間睡眠なんてとったことがあっただろうか。小さい頃から、朝は母親に叩き起こされて隠れて自転車で通学する遅刻魔だった。無職の身分で生活のリズムが壊れたら、それこそ社会復帰できなくなる…そこで、毎日23時台に寝て6時に起きる生活を続けてみた。自分ひとりでは到底できないので、朝活コミュニティにお世話になり実践していった。

結果として恐ろしい体調の良さを感じることになる。体調が良いだけで、幸福感が増し始めた。また、朝早く起きられる自分への自信なんかも生まれてきたことに驚いた。(世界一眠らない国は日本の模様…)

②アドレスホッパーになり、物理的なものを極端に少なくしてみる

お世話になっている方にアドバイスをいただいて、荷物をスーツケースとリュックだけにして、多拠点居住プラットフォームに登録した。この、物理的にものを少なくなることが精神的にも大きく影響した。脳みそのキャパシティに余裕を感じ始めたのた。また多拠点居住プラットフォームのシステム上、強制的に移動を促されるので、自分で決断することに疲れていた自分には良い刺激となった。

結果、これだけのもので暮らせるんだという自信(もちろん現代の社会・経済システムがまわっているからのおかげ)が生まれると同時に、また脳みそのキャパシティに余裕が生まれたからか、自分自身のことを考えられるようになった。そして「モノは少なければ少ないほど幸せ」という、「10着しか服を持たない」パリジャンヌよろしく、謎の幸福感が増し始める...

③頭だけで考えすぎない自己理解

ピラティスのジムに通い始めてから1年が経過し、自分の身体を深く理解する体験ができていた。ピラティスは自分の筋肉の動きにとても敏感になる。自分の身体が、筋肉をはじめたくさんの仕組みでできていること、そしてそれらが関係し合って、自分の身体を構成してくれていたこと。そういった経緯と関係性に気づき、意識するようになると、自分の身体が味方になってくれているような不思議な感覚を持ち始めた。

結果、十分な睡眠時間から始まり、体調や健康に気を使いだしてからか、自分の「身体」を理解し、労るようになっていった。するとどうだろう、頭だけで考えず、自分の心と身体が喜ぶようなことをしよう、と考えられるようになった。

これが、女性特有の書籍に書いてある長年の謎であった「自分を大切にしましょう」ということなのでは…?!「自分を大切にする」というのは、何よりもまず「自分の体調を気にしましょう」だったのではないのか…?!

いわゆる「自分を大切にすると自己肯定感が上がる」を体感として理解できるようになったのだ。

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この、何者でも無い時間に、自分を労り、徹底的にモノを減らし、頭だけでなく自分の心と身体にも向き合うということを続けてみた。
きちんと寝たら、自然と活力が湧いてきた。自律出来始めると自信みたいなものも生まれ始めた。続けるうちに、あまり周りを気にせず、自分を中心に考えられるようになったり、自分の好きなものやコトが明確になってくる…意識レベルが変わり始めたことを感じた。
そうして、いろいろな方とお話を続けるうちに、お仕事の依頼をいただき、少しづつ働き始めたら…

まさにロンドン生活で行っていたように、自分で一日のスケジュールを作成し、自分の趣くままに仕事をし、精神的にも体力的にも無理のない暮らしを続けていきたい、そう強く願うようになった。

結:「何者でもない」自分自身で生きるには…

そうしたら…
総合的に考えて、今の自分に残された道はフリーランスなのであった。

私にとっては、恐ろしい決断だった。とうとう、フリーランスになってしまうのか…
周りのフリーランスで活躍される先輩たちが後押ししてくれ、何とか走り始めた今…

社会人になってから10年以上、がむしゃらに「目の前の問題解決」を続け、キャリア迷子だった自分が、ようやくたどり着いた大好きな業務はコミュニケーションであった。
大好きな人たちと大好きなものを無限大の手法で広めていくこのお仕事は、私にはとても合っていた。

ジェットコースターな私の人生。
来年はどうなっているかわからないし、何を言っているかはわからない。

ただ、一度でも感じられたこの体調の良さや自分を大切にする心がけ。「体感」としてわかっているのはとても心強いのだ。まさに一見は百聞にしかず。

何者でもない自分の時間。またここからスタートできれば、大丈夫。そう思って、今日も一日、自分の時間割をつくって大切に過ごす。

note Tapestory文集 Season 0 - credit


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