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中園めぐみの人生遍歴 【小学校】

小学校時代〔網走市立潮見小学校〕
当時、マンモス校って呼ばれていたのを覚えています。
プールもあって、グラウンドもこんなに広くて
冬になれば、スキーもスケートも校舎の外でできました。
クリオネを教室に持ってきてる友達もいました。
今でも覚えている校歌。オホツークの海〜ひろーびーろーとー♩

私といえば、1年生から4年生までは本当ひっそりと生活しているおとなしい児童。
通知表には「もっと発表しましょう」みたいなことばかり書かれていました。
みんなの前で発言することがとにかく苦手で(これは今でも)
大きい声で「センセえーーーー」って言える人を尊敬していました。
あんな風になれたらなぁって。

小学校5年生の時に、今まで一番印象に残っている小笠原先生という先生に出会いました。
小笠原先生の一番最初の授業は
「先生は絶対にいじめは許さない!」という授業でした。
先生には自分を開示しても、大丈夫な気がする。と思った瞬間でした。

特に覚えているのは家庭学習ノートを提出した時のこと。
ノートを見た先生に、笑って欲しくて色々小ネタを入れて提出したら
「めぐみのノートは面白い!」と言ってくれたことを思い出します。
(褒められたことって、覚えてる。)
私が家族で旅行行った時だったかに、学校を休んで
その時先生に
「めぐみのノートが見れなくて寂しかったよ!」と言われたことも覚えています。先生!!

ここから少しずつ先生が
「めぐみって大人しいけど、結構面白いヤツだよ」
ていうイメージを他の児童にアピールしてくれて
友達が沢山出来て本当に楽しかったことを覚えています。



ずっとこのクラスでいられたら幸せだなぁって、思っていました。
ですが
三学期を迎える頃両親が離婚することになり
私は石狩市に引越しすることになりました。





「パパとママ、どっちについて行きたい?」

と心の準備もなく聞かれて
私はとっさに「ママ」と答えたけど
子供にとってはすごく残酷な質問で
「ママ」って答えた時に
部屋の隅の方で、パパの表情が沈むのがわかり
あぁ私はパパを傷つけてしまった。深い傷を負わせてしまった。
ごめんね、ごめんね…と自分を責めました。



この時に、パパとママ
二人共と一緒にいることって
当たり前じゃないんだなって知りました。



いよいよ、明日石狩に引っ越すという日。
家のピンポンが鳴り
玄関を出ると、小笠原先生がいました。

その日は確か冬休み真っ只中だった気がします。


お構いなく、、という先生と
母は玄関先で挨拶をしていて
私は母の隣でその様子を見ていました。

母との話が終わり
帰り際、小笠原先生は私の顔を見て
元気でやるんだよと、言葉をかけてくれました。

その表情が、私が今まで見た先生の表情の中で
一番寂しそうでした。

先生に、沢山
ありがとうを言いたかったけど
それっきりになりました。

小笠原先生、お元気ですか?


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