香水と英語とお引越しの話。

 こんばんは。何だか、すっごく久しぶりに文章を書いています。

 最近は思ったことをインターネットで発信することはあまりなくて、人に話したり、新しく本を読んたり、上着を表裏反対に着てしまったり、そんな風に過ごしています。皆様はお元気でしょうか?

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 最近、お家を引っ越しました。荷造りは時間がかかりましたが、究極的には「詰める」か「捨てる」の作業でした。

 はじめは "こんまり流 片付けメソッド" を試していたのですが、これはときめかないけど本当に捨てていいんだろうか…と悩み、むしろ時間がかかってしまいました。

※こんまり流 片付けメソッド…片付けの際、全てのものに「ときめく」か「ときめかないか」を考え、「ときめく」ものだけを残し、他をすべて捨てる片付け方法。物を捨てられない人に有効とされる。

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(図解するとこんな感じです)


 例えば、大量のもう読まない本。ときめくことはありませんが、メルカリに出せば売れるな…とか、参考書なんかは家族がまた使うかもしれない、ということで基本的には残す方針でした。

 逆に、昔の恋人からのプレゼントとかは、自分に嘘をつかなければ少し気持ちが揺れてしまいます。しかし、目をつぶって捨てました。

 昔入っていたサークルの合宿のしおり。これはときめくのか…ときめかないのか…?と逡巡している間にコーヒーポットが沸きました。


 したがって、「ときめき基準」では時間がいくらあっても足りず、あまり精度の高い判定ができません。

 それならば自分でやりやすい枠組みを作って自動化するしかないですね!?

 それが、ずばりこちらです。

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 何が楽しくてこんなことを考えていたのか覚えていませんが、おそらく段ボールに荷物を最密充填することにアドレナリンがばかばか出ていたのでしょう。

 最終的には10個の段ボールになり、無事に引っ越しが終わりました。

 自分のこれまで人生が段ボール10個分というのも不思議な気分でしたが、逆に言えば、自分がこれまで生きてきた時間の、段ボール10箱以外の部分は全て自分自身と周りの人たちに還元されているのかな、なんて思うと少し嬉しくなったりしました。


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 最近、香水をつけています。これは社会に飛び立つ前に慌ててデビューしたくなったとか、もっと大学生活の青春の香りを残したいなとか、香水をつけてても「ふーん」で終わる社会人になる前に競合優位性がある状態で香水を使いたいとか、決してそのようなやましい気持ちでつけているわけではありません。(ここまで早口)

 ひとつは仲の良い友達に香水を誕プレでもらったこと(クールでした)、そして仲の良い先輩に「大学生のうちに香水はしておいた方がいいよ~何かこう、えっちじゃない?」(大意)と言われたこと、さらに誘われて行った香水作り体験でオリジナル香水を作った事でした。これが急に重なったら、さすがに神も思し召さないレベルの偶然ですよね。

 友達から貰った香水が「Lazy Sunday Morning」で、まあこれがちょっとクールな香りがするのね。全然Lazyじゃないじゃん!?って小瓶につっこみました。ちなみにだいたいFridayかSaturdayにつけています。

 香水をつけていくと予想外に良かったことがいくつかありました。


 ひとつは、家でONモードになる時にスッと香水の香りで入れること。疲れ切った金曜日の朝に、眠たい土曜日の朝に、シュッとかけると、何だかこれからデート!?とか、これから大事な商談!?とか、これから大好きな先輩と会う!?みたいなテンションに突然なります。どこがLazyなんだか。ちなみに、だいたいその後良い香りに包まれて寝ます。

 もうひとつは、少し自信がつくこと。青汁王子がYouTubeで歌舞伎街にオタク姿で潜入した際、「良い匂いがした」で女性にバレてましたが、それです。「あ~あ、だからほっとけって言ったのに。がんばれ私、今日もかわいい」的なテンションですね。違います。(伝わらない)

 オリジナル香水は本当に最高です。とにかく自分が好きな香りを4,5種類ほどブレンドしたので、色々な大好きな香りを楽しんでいます。

※香水にはトップノート、ミドルノート、ラストノートのざっくり3種類の香りがあり、香るタイミングが違います。ブレンドすると、時間経過によって変化していく香りを様々に楽しむことができます。

 香水をつける、なんて少し遠い世界(だと勝手に思っていたの)でしたが、もっと早くつけておけば良かったです。世の中ってそういうことがいっぱいありますよね。アマプラとか、投資とか、失恋とか。


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 もっと早くやっておけばといえば、英語です。

 英語がほんとうに難しい。

 例えば、「あなたは休日に何をしているのが好きですか?」という質問があるとします。

 日本語だと、「そうですね、いつもは近所のなじみの喫茶店でゆっくりコーヒーを啜りながら、本を読んだり文章を書いたりしています。せわしない日常の中で、ゆったりとくつろぐ時間がたまらなく好きです」、という風に答えられます。

 ところが英語だと、

「うーん、ちょっと考えさせてね。喫茶店!喫茶店に行くのが好きです。喫茶店に行ってコーヒーを飲むのが好きです。コーヒーを飲むのはゆっくりした時間を過ごせることなので、だからコーヒーを喫茶店で飲むのがとても好きです」

 みたいな感じになります。

 おわかりいただけただろうか?


 主に問題が二つあります。

 一つ目は、純粋に言えることが減ること。英語で表現できるとなると、語彙や文章力の問題で、急に幼稚な文章しか作れなくなります。パパ!

 二つ目は、思考力が落ちることです。地味にこれが予想外に大きいです。発話に脳のキャパを使われているせいで、何を言っているかの構成ができないんですね。上の例を見ても明らかですし、もっと複雑な質問(Ex. 日本の政治システムはどうなっているか?)なんで、自分でも何を答えているのか分からずピポパポパ言語を喋ることになります。

 

 ただ興味深いのは、自分が英語ができない末に結果として出ている上のような状態が、家庭教師で子供たちに教える時に子供たちから出てくる反応と、いくぶん近いものがあることです。

 家庭教師をしていると「どうして相手が分からないのか、どうしたら分かってもらえるのか」という問題にひたすら向き合うことになるのですが、おそらくこれって脳のキャパがどこに使われているかの問題なのかな、なんて思ったりします。

 たまに、何をやるにしても勘所の良い人とか、センスがある人っているじゃないですか。これってたぶん、潜在的に脳のキャパを置く場所が上手なのだろうな、なんて思ったりしてます。


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 というわけで、最近ちらほら考えていたことを少しだけ綴らせていただきました。

 この1年はかなり色々刺激的な体験をして、新しいことを 知る / 感じる ことに振っていたので、これからは、せっかくですし書く方も細々としていこうかなと思っています。まだまだ書きたいテーマはたくさんあるので、お楽しみに。


(もし気に入っていただけましたら、いつも執筆をしている近所のお気に入りの喫茶店のコーヒーを1杯、奢ってくださるととっても嬉しいです笑。)

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