第三回 / わたしの(芝居への)異常な愛情/その5
スタニスラフスキー師の著作は当初「俳優修業」というタイトルで日本語訳が出てました。
それにあやかって「(令和の50代の)俳優修行」をつらつら書きます!
そのうち本にしたいなあ。
2022年8月
「平原演劇祭」という、野外劇専門のプロジェクトに志願して客演。
ぼのぼのさんのtweetを観て、一回参加したいと思っていた。
会場は凄まじい神域。
演目は別役実先生の「踏切」。
素晴らしい会場とキレッキレの戯曲にテンション爆上がりであった。
この公演の様子を、平原演劇祭常連のお客様がまとめてくださっている。
2022年9月
岡ゆかり氏、桑原文子氏のレギュラー共演陣を加えての5人編成で、アトリエ公演「水泡の行方」
脚本の開発が地獄だった。「奇術師の子」は「orphans」を見つけるまでが地獄だったが、今回は何も見つからず、結局私が一本書いた。ヒドイできだった。へべれけだった。それを加藤氏がリファインしてくれた。菅原氏はいつものように「すげええなああ」と言って関わろうとしなかった。
私には文才がない。今後一生モノは書かない。堅く心に誓った。
2022年10月
コロナ禍で、私が通い詰めていたPrayersStudioのBasicクラスというワークショップは完全オンラインになり、私の足はちょっと遠くなった。
そんなある日「Basic経験者Lineグループ」に「NHK歴史バラエティの再現ドラマ部分の出演者募集」との告知が流れた。
私は甲冑の写真入りのプロフィールを送った。
書類審査に通って、NHKの「知恵泉」という番組で柴田勝家役が来た。
もちろんSAKU氏に相談した。どうしましょう、小林は勝家さんに要求されるような重厚さなど持ち合わせておりませぬ。
ぼかして書くが、「そんなんで人が斬れるかこのボケ」と静かにすごまれながらひたすらSAKU氏と殺し殺される訓練をやった。なかなかに強烈だった。いつもの小林よりは多少腹が据わった。完全に私が想像する演技トレーニングの域を超えていた。人殺しが当たり前だった時代の人間の心の有り様を実装するには、確かに普通では無理である。モノステの時以上に、SAKU氏が居てくれてよかったと思った。
腹を据えて貰ったので、初NHKでも全く緊張せずに楽しめた。驚いたのは、共演者に対して変なマウントとおかしなイジりで、芝居が出来なくなるような嫌がらせをするヤカラが居たことである。幸いそのヤカラはターゲットの選定を間違っており、現場的には何の問題もなかった。マトにされているH氏は嫌がらせを何とも思わずに素晴らしい芝居をぶっ飛ばしたのである。笑えた。
ところでその状況はSAKU氏に警告された通りであった。「現場にはいろんなのいますから、どんな状況でも自分を不利な立場においてはダメです」
私のように、シニアでフリーランスで素人同然の場合、そういう大事なことは誰からも教えて貰えない可能性も高い。今回は私がマトではなかったが、やはり助かった。
2022年11月
暖かい秋の日の夕暮れ時。鎌倉氏大町のビルの屋上で屋外公演。「戒厳令下の愛」
鎌倉在住の日本画家、大竹正芳氏の個展『花鳥画と美人画の流れ「ほとりの世界」展』が開催されてるギャラリーの屋上で演劇。
ちなみに大竹氏は、自分の個展でも私と一緒にジャミラに変身してしまうナイスガイだ。「個展やるから会場の屋上で芝居やってね」とのお誘いを頂いたのは些か驚いたが。
「戒厳令下の愛」の会場は控えめに言って最高のロケーションだった。
八雲神社の結界の中にあるビルで、またもや神域だったのだ。
芝居の準備段階で、私は加藤氏を会場であるビルの屋上に連れて行って「ここで"戒厳令下の愛"って芝居やるからね」とだけ言った。
彼は「マウマリ草の兄弟が居てね、それはおれと敬さんが演る。アタマから草が生えてるんじゃなくて、人間の形をした草なんだよ。それが売り買いされるの」というプロットを出してきた。
タイトルとは何の関係もない。しかし公演以降、「戒厳令下の愛」と言うタイトルは全員の記憶から消え、この演目は「マウマリ」と呼ばれるようになる。
変わった職業、と問われて「歩行街灯」と答えた時もそうだが、加藤氏の脳味噌の働きがよく分からない。「ビルの屋上で戒厳令下の愛」を入力したのに、なぜ「マウマリ草」が出力されるのだろうか。
「戒厳令下の愛」は正味20分ぐらいの小品。脚本も存在しない。加藤氏のプロットを元に、即興で作り上げていった。稽古期間もすごく短い。しかし、私は大いに手応えを感じていた。特に、ラストのシークエンスが完成したと時に「頂いたぜ!」と思った。しかしそれはどうやら私だけのようだった。私以外の全員、どうなるんだこれ、と思いながら本番を迎えたように思う。
蓋を開けたら、結成以来全ての演目を観ているコアなお客様(菅原氏の奥方)が「今まででいちばん良かった!」と大興奮なさり、加藤氏は鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしていた。
私は、思った通りの傑作になってよかった、と安堵していた。
菅原氏はいつものように「すげーーなああ」と言いながら誰の話も聞いていなかった。
ちなみに私と加藤氏がアタマから生やしたマウマリ草の葉っぱは、菅原氏の奥様が持ち帰り、鉢に植えて大切に世話をしているそうである。
(続く)
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