第三回 / わたしの(芝居への)異常な愛情/その4
スタニスラフスキー師の著作は当初「俳優修業」というタイトルで日本語訳が出てました。
それにあやかって「(令和の50代の)俳優修行」をつらつら書きます!
そのうち本にしたいなあ。
2021年5月
再び6人編成でアトリエ公演。
前回は本番直前に骨折したが、今回は丸ノコという電動工具で、人差し指の先っちょを縦にスライスした。15針縫った。
コロナ禍なのに、相変わらずお客様は大入り満員であった。コロ助ごときに芝居創りを邪魔されてたまるかと、私はますます意固地になった。
前回のアトリエ公演「神々の黄昏」に続いて、今回も加藤氏の短編を幕間劇でつないで「飽食」という一つの作品として上演した。
私は漠然と、加藤氏の昭和アングラ臭プンプンのホンを、スタニスラフスキー由来のリアリズム演技で表現すれば、それはひとつの芸として成り立つのではないか、と思っていた。
確かラジオで山下達郎氏が「芸がなければお客さん来てもらえませんからね。私はドゥワップのアカペラってのが芸になるかもしれないなあと思ったわけです」と言っていた。
ドゥワップのアカペラ、でわかりやすいのが「高気圧ガール」のイントロ。
確かにこれは他では見かけない。
そしてもっと大事なのは、自分の「芸」でお客様をハッピーにするという目的に貢献すること。私ごときが言及するのも烏滸がましいが、達郎さんの素晴らしさは頑固な職人肌と商道徳が直結してるところだと思う。
5月にはPrayers Studioの配信作品「かもめ」の2幕3幕の収録に、引き続きシャムラエフ役として呼んで貰った。
切断した人差し指の先っちょに包帯を巻いて参加し、またもや呆れられた。
この収録は大変充実していた。
私は実は「かもめは演るものじゃなくて読むもの」と密かに思っていた。舞台も映像も面白かったためしがない。
ところが….Prayersのカモメの収録現場で、トレープレフやトリゴーリンの苦悩に涙が止まらなくなってしまったのだ。ちょっと特別な体験だった。
あの時間のあの場所には確かに何かがあった。
2021年8月
SAKU氏を共同演出共同脚本およびアクティングコーチとして招聘し、作品創りを始めた。
外部からスタッフを招聘するのは小林組初の試み。
稽古の初日にSAKU氏は「ではまず皆さん、変わった職業をリストアップしてください」と言った。
私は「フレームキーパー、街のガス灯を管理する点灯夫」と言った。
すると加藤氏が「じゃあおれ、アタマにロウソク乗せた歩行街灯」と言った。
私は「それ職業じゃねえだろ!」とツッコんだ。
菅原氏は「すげええなああ」と言って大笑いしていた。
歩行街灯が登場する戯曲を加藤氏が一晩で書き上げた。
SAKU氏と劇団小林組との共同作業は「点灯虫」という映像作品になった。
舞台でやろうと思っていたことをえっちらおっちら映像に残した。
タイトルはAya氏の発案である。
1,500円で売ってます!
この時SAKU氏から学んだノウハウのあれこれ、芝居はどうあるべきかという心構えの数々は、今でも小林組の財産である。何年経っても加藤氏は時々「SAKUさんどう思うかな」「SAKUさんこういう時どうするかな」と、なぜか私の前だけで言う。
2022年4月
「点灯虫」が一段落したある日私は突然「次は3人芝居だ!」と思った。Aya氏、岡ゆかり氏、桑原文子氏を加えての6人組は一休み。旗揚げ公演の「烏賊ホテル」の時のように、またオッサンだけで芝居をするのだ。原点回帰&アップデート。私は早速ホンを探し始めたが、これが地獄であった。見つからないんだもの。
やっとのことでライルケスラー先生の「Orphans」にたどり着いて読み始めたときは小躍りした。これだ!と思った。
日本語訳は出版されてないので、DeepLを使って翻訳して、さらにそれを翻案した。舞台も登場人物も日本にして、いくつかのエピソードをガツンとカットして、結末も変えた。
この翻案の作業は加藤さんが先頭に立ってやった。「奇術師の子」というタイトルも彼によるもの。
著作権を管理してるエージェントにちゃんと使用料を払った。コロナ禍の小劇場演劇に400ドルは痛かった。慣れない海外送金は本当に大変だった。UFJに3回受付拒否を食らった。みずほはちゃちゃっとやってくれた。
演者は我々三人だけ。音響照明場面転換とかのスタッフワークは岡氏と桑原氏に甘えることにした。
私はこの公演を通じて「海外戯曲を翻訳して上演する」ことの困難さに思い至った。
翻訳の段階ですでに翻訳者による解釈が入るのだ。上演しようと思って翻訳するのだから、どうしても作者の意図を離れてしまう部分が出てくる。
ましてや、書物として出版されればそれは「読み物」であり、「演じるための物」にするには、翻訳から原典に当たり、原典を読み解いて自分たちなりに解釈する、というプロセスが必須ではないだろうか。
だって、翻訳の時点で翻訳者の意図が入り込むのだ。上演を前提としない意図が。邪魔である。
なぜ今この戯曲を上演するのか?この戯曲は何の話か?それを今ここで演ることにどんな意味があるのか?現在の日本のお客様のどんな心象にどう刺さるのか?
我々がいま創ろうとしている作品は、我々のお客様にとってどこがどう面白いのか?
それは翻訳者ではなくて、実際に作品を上演するカンパニー全員が考えることだ。演出家や主宰や脚本執筆者が一方通行で役者やスタッフに意図を伝えるのではなく、カンパニー全体で作品の根幹をきちんと共有し、稽古の過程で育てるべきだ。
たとえば牛丼の吉野屋さんに「あなた方のバリューは何ですか?」と聞いたら「牛丼!美味い安い早い!」と、即答するだろう。社長から最前線のアルバイトさんまでその返答にブレはないだろうと思う。
ココイチやサイゼリヤもしかり。
どんなお客様に、どんな味の何を、いくらぐらいで売るのか?
飲食店ならばそれを決めないと開業すら出来ない。
演劇はどうだろうか。どんな思いで日常を送っているお客様に、どんな芝居を観て貰って、どんな気分になってもらって、その日家に帰って眠りにつくときどんな風にその芝居を思い出してほしいのか?
そういう計算がきちんとされてて、明確に言葉で座組全員に共有されてる作品がどれだけあるだろう?
日本の二大産業である「マンガ」と「ゲーム」でそこんとこ軽んじてるひとがいるだろうか?
小規模演劇は、碌な計算もせずに闇鍋出してドヤってないだろうか?
劇団四季や宝塚は「良質の娯楽とは何か?」という問いに対する答えを実装しているように見える。闇鍋を提供してはいない。
では、それ以外の演劇はちゃんと「自分たちの売り物はコレだ!」って即答できるか?
小林組は何を誰に提供するのか?
自問自答し続けてなんだか果てしない気持ちになった。
SAKU氏によると「それはCORE MAKINGと云って海外では市民劇団でも演劇専攻の大学教授をドラマトゥルクとして雇ってやったりします。必ず」だそうだった。
コアメイキング。なるほど。コアをメイクするか。
私にとっての「奇術師の子」は加藤氏の羞恥心との戦いだった気がする。
原作の「orphans」は80年代らしい非常にストレートなラストなのだが、それを加藤氏は断固拒否して、コミカルなオチに書き換えた。
結果、なんの作品かわからなくなり、稽古場での議論が大いに紛糾した。
「お前のオチだと風船がぽんっっと舞台からお客さんの頭上を飛んでっちゃってぽかーーんって感じになるだろうが」
「それがやりたいの!」
最終的にはジャンケンもしくは菅原氏に決定権を委ねる。
(そしてそれで大概うまくいく)
「奇術師の子」の公演は実に楽しかった。
稽古場ではすったもんだしたり、コロナ禍の煽りで延期をしたりしたが、
いつもの地元の友人達兼お客様には大層楽しんで貰えた手応えがあった。
普段は大劇場で商業演劇しか見ない、という人が大興奮で褒めてくれて、本当に嬉しかった。
1を聞いて1000を知る天才Aya氏が「加藤さんと小林さんのやりたいことが正面衝突してる」と、内情を何も知らないのに喝破して、またもや私を驚かせた。
残念だったのは、私の芝居は相変わらずいまひとつ冴えないままの不完全燃焼だった気がすることだ。どうだったんだろうなあ。自分では見れないからなあ。
加藤氏と菅原氏が面白すぎるんである。本当にズルい人たちだ。
以下に、お客様のご感想を。
概ね好評だったようで、ほっとした。
個人的には、奇跡の大傑作だったと思っている。今でも。
(続く)
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