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【一周年】進水記念日

 目下六月八日をもって、兄弟航路の旅は一周年を迎えた。これも偏に、フォロワーの方々を始めとする読者諸賢のお蔭に他ならない。心より感謝申し上げる。

 一年前を述べる上で鮮明に思い出されるのは、兄弟航路と名乗るに至った経緯である。
 まず筆者がいくつか候補名を提示した。いずれも兄弟を意味する言葉が含まれていたこともあり、我ながら野暮臭い名前ばかりであったが、それを見た弟は一切異を唱えなかった。兄弟を冠する名前こそが相応しいと暗黙に通じ合っていた。
 そして、話し合いの中で作品の公開を「航海」に準える着想を得た。同時に兆したのは、内陸県に住まうが故の、大海原への眩しい憧憬である。兄弟航路であれば音の響きも悪くないと、短詩型文学を専攻する弟が言った。俳句や短歌の世界は、意味を超えた音の響きが極めて重要である。

 近代言語学の父と称されるフェルディナン・ド・ソシュール(1857-1913)の「言葉は元来あったものの名前ではない」という考えに、筆者は改めて共感を覚える。人は言葉によってものの存在を区切り、その概念を認識する。言い換えれば、紡がれた言葉が新たな世界を創造する。
 兄弟航路と名前を定めたことにより、深遠なる大海原が立ち現れ、先んじて弟の建てたアカウントは「舟」となった。小さく漕ぎ出した際の初心を刻み、あえて船とは表記しない。

 後付けになるが、兄弟二人のそれぞれの本名は、KORO(航路)の「K」と「R」がイニシャルである。何やら偶然とは思えない。意図していなかったが故に、なるべくしてなったような運命的なものを感じる。

 個人名だと誤解されている方がいらっしゃれば申し訳ない限りだが、確かな出航と定義する昨年六月二十六日の五作目以降は、兄弟が交互に作品を航海している。即ち、書き手と最初の読み手が入れ替わり、後者は編集としての役割を担う。
 本稿の筆者は、これまでに小説、童話を中心に、自己紹介も執筆した。前回はタイトルの頭語を私論として、図書館のあり様について述べた。
 片や弟は、俳句や短歌、子育ての随筆などである。

 兄弟航路が標榜するのは、プロフィールにも掲げている通り、自由闊達に航路を拓くことである。潮流に左右されず、航海の流れにも拘らない。
 故に今後も、気の向くままに奇妙且つ愉快な舵取りをする恐れがあると、この機会に改めて申し上げておく。

 当方に限らず、書き手は遍く自由であるが、それは読み手とて同じである。誰が、どこで、何を、どのように読んでも、本来は自由であり、例えばこの国であの国の本は相応しくないなどと社会的な圧力が生じたら、声高らかに読む自由を叫ばなければならない。

 幸い今日の我が国においては、自由を殊更叫ぶ必要に迫られてはいない。寧ろ自由自由と言うほど、我が儘や身勝手と同義になり、些かおかしな人になる。無論子どもとて、数学の授業中に国語の教科書を読む自由はない。

 それを踏まえて私見を述べると、真の自由とは他人の自由を認めることである。要するに、家族や友人の自由をそっくり認める、或いは許す生き方こそが、真の自由人だと考える。自分だけ自由は横暴に過ぎず、やがて孤独に名誉欲を掻き立てられ、自滅を迎える。
 筆者の知る限りでは、真の自由人は数えるほどしかいない。必ず他人の認めがたい点が生じる為、非常に厳しい生き方である。

 だが、自由は言葉によってその範囲を区切り、日常生活と切り分けられる。先に述べた通り、ここでは書く自由と読む自由の承認を前提に、筆者は読者諸賢と向かい合っている。同時に欠かせないのは、互いに対する敬意である。敬意なくして、書き手が真意を伝えることも、読み手が作品の魅力を感じ取ることもなく、いわゆる文学は成立しない。

 文学とは作品そのものというより、書く行為、及び読む行為にあると、筆者は考える。どうだ凄いだろうと言わんばかりの、読み手を見下したような作品ならば、書き手は文学性を欠いている。文芸と言い換えた方が分かりやすいが、芸術とは全般そういうものであろう。

 兄弟航路の二人は、どちらかが必ず書き手であり、読み手である。そして、どちらが書いたと区別することなく、「私たち」は「私」として作品を航海している。無論そこには最大限の敬意が互いにあり、認め合っているからに他ならない。

 筆者は十三年前、地元を離れ就職する弟に一通の電子メールを送った。正直すっかり忘れていたが、先日その激励の文章を弟が見せてくれた。驚いたのは、散文詩のような短文が連なる中に、自身の行く先を空、弟の行く先を海に準え、大海原という言葉を用いていたことである。
 「情熱をコンパスにして大志の帆を広げよ、君に必ず追い風が吹く」
 そのように鼓舞した上で、「君の航海に幸あれ」と結んでいる。
 君などと気取った表現をしているのは、若者らしく歌謡曲の影響を受けてのことであろう。

 かくして、兄弟は一時別々の道を進んだが、十年余りの紆余曲折を経て、卓上の航海のみならず、実は海の外においても同じグループ会社に在籍している。

 外の世界と言えば、衣替えの時期である。筆者の住まう甲府盆地も汗ばむ陽気になり、道行く人の装いは軽やかになった。
 改めて舟の外観に目を向けると、兄弟航路の名前に添えられた~文学の海を行く~という副題が重ったるい。これは初見の方に対する行き先案内のような意図であったが、旗揚げに当たる進水から丸一年を経て、多くの方々にこの旅を知っていただくことができた為、副題の衣を脱ぎ捨て軽やかに進む時が来たように感じる。

 一両日中にすっきり脱がなければ、弟が暑苦しく難色を示したことになる。本稿をここまでお読みいただいた方は、自由に異論も認め合っているが故と推察した上で、次のように思われるであろう。
 お兄さんの方は爽やかだな。

 いずれにせよ、爽やかな方(自称)が未婚とは実に皮肉な話であり、事実は小説よりも奇なりであるが、筆者は更なる未知を幻想に求め、実物よりもイケメンの字面を志し、海風に髪を靡かせてゆく。

 水平線の向こう側へ。引き続きご愛読いただけたら幸いである。

                          令和三年六月八日

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