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【随筆】結婚談義

 結婚は、なかなか勇気の要ることだ。なぜなら、良い面ばかりではなく、悪い面も想定されるからである。そして、結婚という社会的契約は、容易に後戻りはできないため、真面目な人ほど躊躇してしまうだろう。
 人類の未来ため、連綿と続く命のために、と思って結婚できる人は偉大だ。私の場合は後付けである。相手やその家を尊敬できたから、が最大の要因である。そして、経済的、社会的な”物質的”な理由も肝要である。愛だけで結婚する英雄的決断は文学を志す者として理想なのだが、他者を含めた客観的・冷静な判断なくして、うまくはいかなかっただろう。
 相手への尊敬という精神面、経済や社会という物質面、その両者があわさってはじめて夫婦・両家の魂は”継続”して結びつくのだ。

 本稿は、私個人の経験から得た結婚観を述べるものである。誰が得するのか分からないが、もし、独身の方々の参考になれば、嬉しい限りである。

 結婚について、まず、ネガティブな面を挙げてみる。

 ・独身時における自由の大半は失われる。
 ・結婚相手との関係性。共に暮らしてみるまで分からないこともある。
 ・家と家が一緒になるから、相手の親族との関係性。

 他にもあるかもしれないが、おおよそこの三点が大きい要素だろうか。

 ポジティブな面を挙げてみる。

 ・僅かな時間の自由がとても嬉しく感じる。時間の有効活用ができる。
 ・結婚相手を尊敬でき、お互いを高めあうことができる。趣味、仕事、人格など、その人全体を尊敬できれば生涯を共に歩める師である。
 ・子どもを授かれば、親子・夫婦の関係性はより密接になり、お互いの人生に不可欠な「生きるちから」を得る。
 ・家と家が一緒になることで、義理の親・兄弟との相互支援、人生の幅、豊かさが増す。

 実は、ポジティブな面は挙げればキリがない。いっぽう、ネガティブな面は多そうで少ない。時間が経てば、ネガティブな点がポジティブだったなんてこともある。

 結婚する前は、いろいろ考えてしまい、ネガティブな面ばかりが気になってしまう。
 特に、私の場合は家族不要の趣味、つまり、読書や将棋が好きだから、ひとりの時間が失われてしまう恐れは一番大きかった。
 また、妻の家は、全員経営者もしくはそれに準ずる者という、優秀な一家だから、特技の何一つなく、稼ぎも悪い私、(私は二年毎に転職するような流れ者、兄もまだ売れていない作家だしなぁ・・)が結婚するのは如何なものかと自分でも思ったものである。

 それでも、結婚後、何も問題は起きず、むしろ、お互いの社会的・精神的・肉体的(健康的)な向上は、お互い尊敬し合っていたからではないかと思う。

 結婚は、「尊敬」が最重要と確信している。妻をどれほど尊敬できるのか、私自身が妻にとってどれほど尊敬できる存在なのか。家同士も然り。

 しかし、尊敬されるためには努力せねばならないだろうか。キリストや釈迦のような人格であれば、誰しも尊敬されるだろうが、生涯そうであり続けることはたいへん難しい。少なくとも私にはできない。

 幸いにも、我が家の成功は、自然体の状態でお互いを尊敬できる点にある。

 私の趣味は、俳句や読書をはじめとする文学一般。そして、将棋などの盤上遊戯。料理・・等。インドア派だ。尊敬してもらえる要素は少ないが、尊敬をすべて失うほどのマイナス点(酒乱、暴力、色欲、怠惰、浪費など)が皆無だった点は大きいのではないか。

 妻の趣味は、ない。生まれた時から個ではなく公に生きるような人である。常に自己犠牲しての人助け。妻の自慢はするべきではないが、失礼を承知で申し上げれば、釈迦のような立派な人格者である。
 意識は外へ出ていくタイプなので、どちらかといえばアウトドア派だ。買い物は好きなようだが、浪費はしない。
 また、自己のなかにしっかりと芯をもちつつも、相手の意見を寛容に聞く耳をもっている。
 妻やその両親との出会いは小学生の頃だったが、そのころから何も変わっていない。

 趣味も、価値観も細かくみれば異なることは多いのだが、やはり、自然体で尊敬し合える関係性は極めて大きいだろう。
 喧嘩もするし、妻が実家に帰りそうになったことは何回もあるのだが、それでも、尊敬の念は強く、別れるという悲劇には到底行きつかない。むしろ、喧嘩後に、お互いの非を客観的に指摘し合い、成長の糧にできた。結婚当初は毎週喧嘩していたような気もするが、今はかなり稀なことだ。それも、お互いが成長したことの証だろう。

 勿論、いまだに価値観の違いはある。生きてきた環境が異なるし、違う人格なのだから。また、育児の大変さにイライラもする。それらの壁を乗り越えるのは、愛だけでもなく、お金だけでもなく、尊敬なのである。

 以上述べてきたが、そもそも私は幸運な出会いだったとしても、誰しもが自然体で尊敬できるような人と出会えるのだろうか。

 私は出会えると考えている。ただし、無理して出会うことはないだろう。結婚前に、カッコつけず、腹を割って、自分自身の趣味、価値観、人生観、病気、家族の経歴すべてを話し合い、相手の親もよし、と思ってくれた場合のみ、冷静に考えた上で結婚すればよいのである。
 文学好きの私でさえも、結婚となれば、冷静だった。それも、家同士の合意という最も客観的な評価があったからなのだ。ふたりだけで燃え上がった愛のみで渡る橋は危ういように思う。

 以上、説教じみて、わたしの結婚観を押し付けているような話だった。数ある結婚論のなかの、ひとつの参考としてご理解いただければ幸いである。
 結婚が人生の全てではなく、独身も楽しいだろうし、離婚するかたも不幸になるとは限らない。

 それでも、ひとりの時間が好きで、実家が心地よくて、子ども嫌いな私でさえも結婚してよかったと思っているのだから、結婚も悪くないのではないだろうか。

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