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琵琶湖で『廃墟』を走る ” 旅先で『日常』を走る ~episode20~ 滋賀編 ”

前回のあらすじ

大垣で『奥の細道』を走る

“ ただ走れればよいわけではなく、走ることによってなにか得るものがあったり、楽しみを見出せなければ意味がない。このことは、前回岐阜を雑に走ってしまったことに対する反省点として持ち帰った教訓だ。”


琵琶湖で『廃墟』を走る

滋賀県を走るきっかけになった出来事がある。2019年9月、シルバーウィークのこと。前回の記事でも書いた ↓ の小旅行がきっかけだった。

当時私が全力で推していた沖田彩華という名の(元)アイドルが、卒業一周年を記念して大阪でライブを開催する運びになった。なにしろ一年ぶりに彼女が舞台に立つのである。もちろん私は東京から参戦することにした。
当時の私は『日本全国47都道府県を走る』ことに燃えており、東京から深夜バスで京都に向かい、そこから →奈良(ラン)→大阪(ライブ)→滋賀(ラン)→岐阜(ラン)→名古屋(ナナちゃん)→東京(仕事) というかなり無茶な旅程を組み、決行した。

47都道府県を走るには、もちろん滋賀県のどこかで走ることが必須条件となる。さて、どこがよいのだろうか?滋賀といえば琵琶湖。他に思いつくのは琵琶湖と琵琶湖と琵琶湖くらいか… なにしろ琵琶湖の存在がないと京阪神に水道水が供給できないのだ。近畿地方にとって抜群の存在感を誇示している。

それまでの人生で私が滋賀県に足を踏み入れたのはおそらく一度きり。1995年4月だったと記憶している。私は当時大学生だった。旅行中に米原での乗り継ぎ時間がけっこう空いたので、「ちょっと琵琶湖でも見に行こうか」と、軽い気持ちで琵琶湖を見に行ったのだった。

以上

ということで、「まあ。琵琶湖だろうな」との結論に達したのである。
そうと決まったらさっそく走ることにしよう。小旅行の目的地大阪でライブを楽しんだその足で滋賀に向かった。

湖西線堅田駅に降り立った。時刻は17:00過ぎ。急いで準備しないと日が暮れてしまう。駅のトイレで着替え、コインロッカーに荷物を預けて、出発した。幹線道路沿いを途中で右折しながら1kmほど進む。すると『琵琶湖大橋』の標識が見えてきた。

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今までに地元でも旅先でも川沿いや海沿いを何度も走ってきた。琵琶湖ランといってもただ湖畔を走るのでは面白くないと思い、今回はあの巨大な琵琶湖を渡るランを試みたのだ。琵琶湖大橋は有料道路だが、歩道も整備されており、こちらは無料となっている。
琵琶湖大橋の全長はおよそ1,400mで、わかりやすく表現すると、大人が手をつないで850人くらいの長さだそうだ。

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せっかくだから、琵琶湖大橋の上で夕陽を眺めたい。日が暮れる前に橋にたどり着こうと、はやる気持ちを抑えつつも、足取りは早くなっている。ほどなく琵琶湖大橋に足を踏み入れた。
眼前の視界いっぱいに広がる琵琶湖の夕凪。湖畔から見るよりも迫力を持って迫ってくる。橋を渡る選択をして正解だった。そう確信したのだ、その時までは。

ここで一枚の画像を見ていただきたい。

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お分かりであろうか?この橋の傾斜が特徴的であることを。この画像は琵琶湖大橋を対岸から写している。ということは、私が琵琶湖大橋を渡り始めてすぐのあたりで急速に傾斜がキツくなっていることが分かるだろう。琵琶湖大橋は大型船がくぐれるように最大で26mの高さを取っているそうだ。なかなか罪作りな設計をしてくれたものだ。軽快に走っていたつもりが、スタミナを急速に奪われ、早くもバテバテである。こんなことなら大人しく湖岸を走っていれば良かったのではないか?

橋の頂点で一旦小休止して、息を整える。そして橋の欄干越しに琵琶湖を眺める。

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対岸から徐々に日が暮れかかっている。残念なことに曇天模様であるため、夕陽を見ることは出来なかったが、これはこれで良い光景だ。しばしの休息を終え、再び走り出そう。
ここから先は下る一方で、今までとは打って変わって快適に走ることができる。橋の向こう、守山の街を一望でき、なかなかの眺めだ。

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オーバー ザ レイク トワイライト ラン。黄昏時のちょっとムーディーでおしゃれな感じを表現したかったのだが、私の拙い英語力ではこのレベルの表現が限界である。眼前の夜景を眺めながら、前半戦のバテ具合がまるで嘘のように坂を一気に下り、そのまま対岸に到着した。

琵琶湖大橋を渡り切った先の左手に目的地がある。交差点を左折したいのだが、信号に引っ掛かった。夕方の帰宅ラッシュだろうか? 交通量が多く、しかもかなりのスピードで飛ばしている。気をつけて渡ろう。歩行者用信号が青になった。右を見て左を見てもう一度右を確認した上で、念には念を入れて右手を上げて横断歩道を渡る。まるで小学生のように。

ここまで注意深く横断したのにも関わらず、にも関わらず、私の存在などハナから無視しているかの如く、右折車が横断歩道に突っ込んできた。『客死』の二文字が脳裏をよぎる。しかし、身を翻して間一髪で接触を避けた。すごい俺。運動神経抜群。和製ジャッキー・チェン。
恐るべし、滋賀のドライバーの運転マナーよ。もしかしたら滋賀県だけ交通法規が違うのかと思ったくらいである。

まあ、過ぎたことに腹を立てても仕方がない。目的地はすぐそこだ。気を取り直して進もう。

目的地は『ピエリ守山』。2008年に開業したショッピングセンターだ。詳しくは ↓ を参考にされたい。

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開業時は約200の店舗があった。景気の悪化やその後開業・増築した周囲の大型商業施設との競合で店舗数の減少が進み、売却報道がされた2012年3月時点で約70店舗、2013年2月時点で約60店舗に減少。同年9月23日限りでサンマルクカフェとアクアネームが閉店したことで8店舗、同年11月4日時点では4店舗にまで減少した。
照明が明るく点灯しエスカレーターなどの各種設備も作動している一方で、大半の店舗スペースが空き店舗となり、買物客も少なく閑散とした様子がインターネット上で話題を呼び、「明るい廃墟」「生きる廃墟」「ネオ廃墟」などと呼ばれるようになった

どうですか? ちょっと楽しみじゃないですか? ちなみにこの日は日曜日、多くのショッピングセンターは、夕方のこの時間帯は家族連れで賑わっているであろうことが予想される。しかし、ピエリ守山の呼び名は『明るい廃墟』だ。明るい照明が灯り軽快なBGMが流れる館内にほとんど客がいない、このミスマッチを目の当たりにできるのではないか? いよいよ期待感が高まる。さっそく潜入しよう。

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あれっ?
もぬけの殻だと思っていたテナントがけっこう埋まってるし。GAPとか入ってるし。人も多いとは言えないが、いるっちゃいるし。廃墟というには物足りない… 調べたところ、どうやら運営会社が何社か入れ替わったあげく、2014年にリニューアルして一時期の苦境は脱した模様だ。

一瞬残念だと思ったが気を取り直す。これでいいのだ。私はあてもなく館内を一周した後、堅田駅行きの無料送迎バスに乗り込んだ。

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琵琶湖を走ってからちょうど一年、再び滋賀県を訪れる機会があった。

2020年9月20日、私は京都から電車に乗って滋賀県甲賀市信楽町にある美術館『MIHO MUSEUM』に向かっていた。そこに収蔵されている美術品に興味があったというよりも、その建築物や敷地内のレイアウトなど『場』としての存在に興味を持ち、足を運ぼうと思い立ったのだ。道中「少し予習しておこうかな」とスマホでMIHO MUSEUMのサイトを開いた。そこで初めて明らかになった衝撃の事実が!
なんとチケットは予約制であり、今日の分はすでに売り切れていたのだった。

という顛末は前回書いた。結局翌日のチケットを予約し、リベンジすることにしたのだが、そもそも、なぜMIHO MUSEUMに行こうと思ったのか?

遡ること一ヶ月くらい前のこと。ある夜、ZOOM会にオンライン参加して、本題が終わった後も深夜に至るまでダラダラと数人で雑談を続けていた。その時にあるメンバーの方からその存在を教えてもらったのだ。

信楽の自然豊かな山中に佇むMIHO MUSEUMは、ルーブル美術館ガラスのピラミッドで知られる中国系アメリカ人のI.M.ペイによって設計されました。 中国の詩人、陶淵明の『桃花源記』に描かれた理想郷である桃源郷をモチーフにした構想は、しだれ桜の並木道に導かれ、トンネルと吊り橋を越えて美術館に至るという大らかで詩情あるアプローチを生みました。 美しく弧を描くトンネルを進むと、谷に架かる橋の向こう側に、入母屋型の屋根をしたエントランスが姿をあらわします。

どうですか? ちょっと楽しみじゃないですか?
このミュージアムの存在を教えてもらった時に真っ先に思ったのが、「このトンネルやその周囲を走りたい。だが、ここを走ることは許されるのだろうか?」ということだった。

ちょうど時を同じくして、私は隔週で京都に出張することになった。京都での勤務からそのままシルバーウィークの三連休に入ることになった。この機会に、去年のこの時期に走った県、岐阜・滋賀・奈良をまた走ることにしたのだ。
「これは走りに行くしかない」。許されるかどうかはわからないが、見切り発車でMIHO MUSEUMに向かった。

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美術館というよりリゾートホテルのフロントのようなレセプション棟に立ち寄り、受付を済ませ、トイレでランニングウェアに着替える。大型のコインロッカーが無料で用意されていた。特に近畿地方のコインロッカーの価格の高さと不便さに幻滅することしきりだったので、旅人にとってはこの心遣いが嬉しい。
そしてこのような、いかにも「これから走りに行きまっす!」といったいでたちの不審なおっさんにも、特に訝しがることなく接してくれる。素晴らしいホスピタリティだ。どうやら走っても大丈夫な雰囲気だ。外に出て隅っこで準備体操を済ませ、出発しよう。

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まずは緩やかな登り坂を走り抜ける。想定していたよりも3倍くらい道幅が広い。これは他のお客さんの邪魔にならずに走れるのではないか?道の左右には鬱蒼と緑が生い茂っている。一見そうは感じられないがこの通りは桜並木らしく、春には道の両側にきれいな桜のアーチが誕生するようだ。坂道を緩やかに左折すると、その先にトンネルが現れた。

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遠目に見るとなんの変哲もない、ごく普通のトンネルだ。特に気負うこともなく、その中に足を踏み入れる。

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トンネルの中はなおも緩やかに左カーブを描いている。トンネルを抜けた先はまだ伺いしれない。このトンネルの特色は内部全体がステンレス貼りであることだ。そこに照らされる照明の効果も相まって、緑豊かな土地の中に突如現れる近未来感というか、宇宙船の滑走路感を感じる。このロケーションならば、ここをテクテクと歩くよりも、疾走感を感じながら一気に進む方が正解だと確信した。足取りを早めて一気に駆け抜ける。

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すると、「トンネルを抜けると、そこは桃源郷だった」などと表現したくなるような構図の光景が目に飛び込んできた。設計者の思惑通りだ。建築上の制約で建物の8割が地中に埋没され、山に溶け込んでいる美術館棟の存在感が際立っている。

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トンネルを抜けたところに掛かっている吊り橋を渡り切ったところでフィニッシュだ。もっと走りたかったが、この敷地内にはこれ以上走ることができるスペースは存在しなかった。片道550mの儚いランではあったが、充実感は半端なかった。大満足。

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美術館棟に入る。展示作品を鑑賞するのはもちろんだが、それよりも熱心に見入ってしまうのは、この類まれな建築である。

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窓から見える風景は一枚の優れた絵画のように構図が計算され尽くしている。絶妙な配置に松の木が植えられている。

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そしてこの建物の中にいて最も感じるのは、天井から降り注ぐ柔らかな光である。木目調のルーバーがガラス張りの天井に張り巡らされており、心地よい空気感を演出している。

すっかり上機嫌で、日本やアジア各国の掛け軸や食器など展示を一通り眺めた後、モニターで『ミュージアムの足跡』を鑑賞した。特筆すべきは2点あり、一つは設計者のI.M.ペイ氏が昨年102歳の天寿を全うしたということ。そしてもうひとつは、この建物の設計段階で作られた完成をイメージした模型である。そこにはトンネル内を行き来する多数の電気自動車があったのだ。ということは、やはり当初からあのトンネルは内部を疾走する事を前提に設計されたのだと確信した。私の勘は当たったのだ。

すっかり自己満足に浸ったところで、さっき来た道のりをまた走って戻ることにした。

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電気自動車は15分1本のダイヤで、この経路を優雅に運行してる。

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今までの人生でとんと縁がなかった滋賀県を2年連続で走った結果、私が持ち帰った結論、それは「滋賀県には琵琶湖以外の名所もある」の一言である。

「なにを当たり前のことを言ってるんだ」と思われるかもしれないが、圧倒的な存在感を放つ物の影に隠れている物の中にも、意外に良質な存在はあるのだ。それを見つけることができるのは、常にアンテナを高く掲げて探求をやめない、好奇心や感性を持ち続けられる者だけだ。
そして湖岸をなぞるように走るだけではなく、たまには橋を渡ったり、廃墟となったショッピングセンターへ探検に行こうとする冒険心も必要なのだ。

かなり無理やり感が強いが、これが今回の結論である 笑。


次回予告

奈良で『修学旅行』を走る

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