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コミュニケーション:受け手として

小児科医の熊谷晋一郎先生が、「コミュニケーション不全は人と人の間に生じ、一方だけの責任ではないと学びました、相手のコミュニケーションを受け入れない自分に問題がないのか、と考えることが基本だと思います」とおっしゃっている記事を読み、これだ!とひざをうちました。

過去に一緒に仕事をした上司のうち、マレーシア出身でオーストラリアに移住し育った女子が、わたしがぼそぼそ業務報告をするときに、ぼそぼそと他人の発言に悩まされるようなことを吐露すると、こんな風に言ってたんですよね。

国籍も育ちも年代も違う同僚が、「(仕事もさほどしないくせに)嬉しそうにブランド物を買って(似合いもしない)ブランド服をきて、定時前に帰っちゃった」とわたしが愚痴ると、「そんなのあたりまえよ(日本に来てお給料の桁も変わって)そうじゃなかったらおかしいわよ (Anything else can you expect? She is in Tokyo! 」と言ったこととか。社長が言ったことが言外に暗喩してそうな感じがして、返事をするのに困る、とわたしが白状すると、「社長はただそう言ってるだけ(he is just stating it, that's all)」。わたしが受け手として勝手に仮定して、勝手に推測して、勝手に判断している。そこにわたしの受け手としての技量のなさや器の小ささが如実に顕われているわけです。

チェンジマネジメントの概念や対応策には、コミュニケーションにかかわることが多く出てきます。KYとか深読みとかコミュ障とかあれこれ言う前に、推測や仮定や行間を読まなくてはならないというコミュニケーション環境を変えていきたいと思うのがわたしのたどり着いたところです。

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