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父の写真と今の自分と

カレンダーを作った時、母の荷物の中から昔の写真を探し出して使えるものを見つけました。

その中に父が亡くなる前に夢中になっていた社交ダンスの写真がありました。

亡くなってしまう少し前、父は急に社交ダンスを始めて熱心に練習をしていました。 私も何度か家や手伝っていた店で父の練習に付き合って、うまいなと言われました。 一緒に踊っていて軽く感じる人は上手な人なのだそうです。

その写真のイメージとその前に見た夢のイメージを合わせて今月の初め頃に幻のダンスホール というnoteを書きました。

父が亡くなった後で私もいつか踊りを習ってみたいと思うようになりましたが、時間もお金もたくさんかかるので今のところは諦めています。

母のカレンダーには父が踊っている写真は入れていません。

自分以外の女性と踊っている父を毎日見て過ごすのはかわいそうかなと思ったからです。

母は本当に働く以外に何もしない人でした。

趣味といえるのは野菜や花を育てることくらいでほかには何もなかったように思います。

だから、幻のダンスホールのお話は父と母の踊っているシーンでもあり、夢の中で自分が踊っていたシーンでもあり(多分父の写真を見たからそんな夢を見たのだと思います)、美しい夢という意味で幻という言葉をつけたような気もします。

現実の中ではできないことも夢の中なら自由にできてしまいます。

そのすぐ後に女の子が初めてパーティーに行くようなお話を書いてみました。 12月が始まったから、キラキラを作ってみたくなって書きました。

赤い靴 は、目が覚めた時、ふっと浮かんできたので書いてみました。

サボテンの群生 は、今住んでいる場所のご近所の方に困らされていることを詩という形にして書いてみました。 別の形だと書くのは難しいと思ったからです。

今月は特別な一か月だという気持ちが強かったので、最初に沢山書いてみたんです。

写真の中の父は背筋を伸ばして美しいドレスを着た人と踊っていました。

父は自分では職業も選べず、長男という立場からも自由になれず、つらい時期もたくさんあったはずなのに前向きに生きていました。

そういう父の考え方が私にも少し入っていたらいいのになと思います。

私は気質も顔立ちも母よりも父に似ているような気がします。

カレンダーに使った父と母の写真には、若かった頃の二人が仲良く映っていました。 母がどんな気持ちでその写真を毎日見るのかはわかりません。 でも、それくらいのことしか今の私にできることはありません。 

最初ここに来た頃、デイサービスに通うのも怖がっていた母が自分で施設に入所すると決めたとき、不安で眠れなくなってしまいました。

ちゃんとうまくそこにいてくれるのか。 そう思うと心配で、つらかったです。

そして施設に移ってから最初に電話で話した時、二回目に話した時、母に家に帰りたいと言われてしまってものすごく困りました。

どうしても入りたいと言って待ちかねるようなことを毎日言っていたのは母だったからです。

施設の方にも大変ご迷惑をおかけしてしまって用事があって伺った時何回も頭を下げてきました。

大変でした。

この間久しぶりに母に会った時、施設に入ったばかりの時はとても混乱していたけれど、今はもう落ち着いているから大丈夫だ と言われてほっとしました。 

おかげさまで施設長さんも職員の方たちも親切で優しくて母を大切にしてくださっています。

だから本当に安心です。

母が施設に入った頃、母のために施設に持っていく服や靴下などを買っただけで、近所の方たちからおかしなことを言いふらされたり嫌がらせを受けるようになりました。 それだけではなくて自分のものを買った時もいちいち見張られています。 自由に普段の買い物もできないような状況になってしまってストレスに苦しむような毎日が続いています。 

これから母がいつかどこかの段階で認知機能が落ちてしまった時のために、家族みんなが困らないですむように、家族信託という制度を使うことにして司法書士さんに助けていただいたのですが、その時も事前におかしなことをそちらで言いふらされていてとても困惑しました。 一度そちらで言われたことがあまりにもショックで、帰りの切符を機械から取り忘れてきてしまって困ったこともありました。

こういう環境にはもう居続けなくてもいいのではないか?と考えるようになったのはその頃からです。

子どもの学校のことがあるので今はここにいますが、そのあとは引っ越してしまえばいいと思っています。 

母がここに来るまで、ずっと一緒に暮らしていた弟に母のことで助けを求めた時、自分だけが解放されるために、私に母を押し付けるようなやり方で逃げてしまいました。 そのことは主人にも子どもにも母本人にも話せなくてものすごく苦しみました。 弟のことを信じていたのでショックがとても大きくて立ち直れないと思いました。

その頃主人は家に全然帰ってきてはくれなくなっていて、ものすごく不安でした。 母のこともバカにしていました。 母は病気のせいで顔の表情が普通に作れなくなっていたんです。 動くのも普通にはできないような状態でした。 主人が優しくできるのは自分の身内だけなんです。 誰にでも優しいわけではないことを知ってしまってショックでした。

だからもうみんなバラバラに生活すればいい、と思うようになったんです。

私に味方してくれる人なんてその時誰もいませんでした。

振り返ってみると、この一年は私にとって本当に何もかもから逃げ出してしまいたいほど苦しくて、つらいことばかりの一年でした。

だけどnoteを始めたことで素敵な人にたくさん出会えて、夢もできて、本当に心から嬉しくて楽しいこともありました。

大好きなバンドの配信ライブも見ることができました。

だけどもう、何もなかった時と同じ気持ちにはなれないとどうしても思ってしまうのです。

私はただの人間で特別な存在なんかじゃありません。

何もかも許すことなんてできません。

普通につらいときはつらいし、嫌な時は嫌です。

でも、最近なぜだか急に主人が優しいんです。

ほんとかな?

信じていいのかな?

わかりません。




 



ありがとうございます。 嬉しいです。 みなさまにもいいことがたくさんたくさんありますように。