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偶然の十五夜のこと

きのう車の中から十五夜の月を見ました。

まんまるで黄色くてうさぎがおもちをついているのがみえました。

ぺったんこ、ぺったんこ、ぺったんこ、ぺったんこ。。。

おいしいおもちをたくさん食べて、うさぎのことをかんがえましょう。

なんて書いてしまいましたが、おもちは食べませんでした。

黄色い月って、上の方に上がっていくほど黄色みがうすくなって白っぽくなっていくってことも、きのう初めて知りました。

きのうが十五夜だったのも、千円弱で入ることのできる山の中の温泉施設の中庭にお月見団子のオブジェと、ススキとコスモスのいけばなと、サツマイモや柿や栗のお供えがが飾ってあって、十五夜のことが書かれたプリントが近くに置いてあるのを見て知りました。

目の前のことに追いかけられてばかりいて、十五夜やお月見のことなんてすっかり忘れていました。

偶然に満月をみられてよかったし、何よりお天気が良くて空気が澄んでいたからあんなにきれいに見えたこと、おまけにそこに子どももいたので嬉しさもひとしおでした。

子どもとちゃんと話をすることは、ずいぶん減ってきています。

外に出てのんびりしながら会話をすると、普段ならたぶんしないような話もたくさんきけて、いい経験になりました。

ちょうど十五夜だったのも良く晴れていたのも、とても運がよかったと思います。

浴槽はそんなに大きくありませんでしたが、つるつるとした触感の、透明なきもちのいいお湯でした。

ひともまばらでしたので、ゆっくりはいれてよかったです。

子どもの学校は秋休みでした。

おんせんしせつのなかで、家族と離れてひとりになって、屋外に出て椅子に腰かけて、露天風呂の中にお湯が注がれていくのをぼんやりとみていたら、注ぎ込まれていくお湯が陽の光に照らされて、浴槽のお湯のなかにひかりを伴った波の模様ができていくのがほんとうにうつくしくて、流れ込んでいくお湯が立てている音もなんだかとても優しくて、こころが洗われていくような気持ちになりました。

いろんなことを思いつめ過ぎて無意味に苦しんでいたことに、自分でぜんぜん気づけていませんでした。

おんせんしせつは清潔で、どこにいても心地よくお湯の流れる音がしていて、それとは別にオルゴールの音のBGMがずっと静かに流れていて、ちょうどいい日差しとちょうどいい風とちょうどいい気温と、ぜんぶがなんだかちょうどいい、眠たくなってしまいそうな、ゆるやかな一日でした。

お風呂に入っているときにとりとめもなく考えていたことを、家に帰ってからnoteに書いて、疲れ果てて眠りました。

おふろに何度もでたり入ったりを繰り返すと、とても疲れます。

だからこそいいのかな? 疲れ果てて、ぐっすりと眠れました。

無駄な力が抜けました。

いくときに何の気なしに、バックのポケットにマスクと一緒にミント味のガムを入れていたら、マスクにガムの香りが移って、おんせんしせつに入る前にマスクを口元に持って行った時、爽やかな香りがしていい気分でした。

爽やかな香りのマスクっていいなって思いました。

お団子のオブジェのあった中庭で出会ってなんとなく話をした女性も、うちと同じ年齢のこどもがいるということでした。

目の前のかびんに生けられていたススキの穂が、そよそよと風に揺られているのを見ていたら、なんだかとても可愛く思えて、そのことを誰かと話してみたくて仕方なくなってしまったのです。

たまらなくなってつい話しかけてしまったその人が、とても優しくて素敵な人でよかったです。

本当に、いい一日でした。

こんな日もたまにはあるんですね。

よかったな。

ありがとう。


ありがとうございます。 嬉しいです。 みなさまにもいいことがたくさんたくさんありますように。