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家族をつれてくる(永田泰大)

生活のたのしみ展には、家族をつれてくる人が多い。生活のたのしみ展に限らず、そもそもほぼ日のイベントは、家族といっしょにやって来る人が多いような気がするけど、やっぱりこの生活のたのしみ展というイベントがいちばん家族といっしょにやってくる率が高いと思う。

同僚が、仕事先の人が、旧友が、後輩が、前職の上司が、家族をつれてやってくる。ぼくはそれがとても好きである。

その人とその人の家族が別々のたのしみや動機を持っていて、結果的にいっしょにやってくる場合もあるし、一方が一方を誘って、誘われたほうもまんざらでもないので一緒に来るということもある。家族に自分の好きな世界を見せたいという感じのときもあるだろうし、そこに来ているであろう誰かに自分の家族を会わせたいということもあるだろう。

どういうパターンでもかまわない。父でも母でも妹でも、なんなら従兄弟とかでもかまわない。ぼくは知り合いが自分の家族をつれてくるというシチュエーションが好きで、述べたように生活のたのしみ展というイベントには家族をつれてくる人が多いから、なんだかしょっちゅうにやにやしてしまう。

たとえば何度も仕事をしているフリーランスの人が、ご無沙汰してます、と挨拶してきて、ああどうも来てくださったんですか、なんて言ってるとその人の反応がぎこちなくて後ろの微妙な距離感のところに感じのいい女性が立っていて「妻です」かなんか言われると、ああこれはどうもどうもとか言いながら、妙にテンションが上がってしまう。

たとえば同僚が自分の持ち場でご婦人と話していて、お客さんと話している感じじゃないし、なんだか照れくさそうにしているなと思っていると目が合って、ちょっと声を張った感じで「うちの母です」とか言ったりすると、ああ、そうですかはじめましてなどと言いながら、ぼくは瞬間的に強い喜びを感じてことばとことばの間のところでアハハと声に出して笑ってしまったりする。

たとえば、何年か前に退職した同僚がベビーカーを押してきたりする。「旦那はカレーに並んでます」とか、訊いてもないのに答えたりする。前にほぼ日に出てくださった学者さんが意外な私服姿で奥さんと子どもといっしょに現れたりする。いつも読んでます! とものすごい笑顔で話しかけてくださる読者の方の横に、いつも読んでなさそうだけどいい人そうな旦那さんが微笑んでいたりする。

そういう状況が、ぼくは妙に好きなのだ。

たぶん、それは、「家族に見せたい自分」の一部に、ほぼ日が含まれていることがうれしいのだろうと思う。「そうありたい」というビジョンの一部に自分たちの場が組み込まれているのを、最上のことと感じるのだと思う。

かつて糸井重里は「その人がひとりでいるときの自分が、ほんとうのその人だ」と言った。それと同じような意味で、「その人が家族といるときの自分が、ほんとうのその人」でもあるとぼくは思っている。「家族といるときの私は本当の私じゃありません!」って断言する人もいるかもしれないけど、そういう「ままならない自分」というのもほんとうの自分の姿なのだろうとぼくは思う。

「家族といる自分」が、たのしく買い物をしたり、おいしいものを食べたり、おもしろい体験をしたりする場として、生活のたのしみ展を選んでもらえるなら、それは、なんというか、とても光栄なことだと思う。

さて、最後に、なんだか昨日、妙に好評だったので、今日の森ッコを。

さあ、明日は3日目です。もう半分ですね。