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いろんな層がクロスする(永田泰大)

昨日の夜だったか、そこまでの生活のたのしみ展を振り返って、糸井重里がこんなふうに言っていた。

「誰かと会っているときに、違う誰かがやって来るんだよ。で、『ああ、どうもどうも』って言ってるうちに、両方の人を忘れそうになるんだ」

ああ、そうそう、とぼくは共感した。もちろん、ぼくと糸井さんの知り合いの数はまったく違うし、厳密にいえばぼくは「知り合いと会ってるときに別の知り合いが来た」というような場面が何度もあったわけではない。

共感したのは、この生活のたのしみ展というイベントは、「会う人の層」がクロスしていて、なんだかよくわからなくなる瞬間がある、ということだ。

たとえば学校では学校の友だちと会う。会社では同僚と会う。家では家族と会い、地元では地元の友だちと会う。そこでは、それぞれの「層」は安定している。

ところが、同僚の結婚式の二次会に高校時代の友だちが偶然来てた、というようなことが起こると、一瞬混乱する。悪い意味で言うのではない。いや、むしろそれはたいへんおもしろい出来事だ。

生活のたのしみ展のおもしろさの要因のひとつも、そういう、ふだんは会わない「層」がクロスしているところにあると思う。

東北のおばあちゃんがつくっている竹かごを売っているお店と、前田知洋さんのクロースアップマジックがクロスすることは、たぶん、あまりないことだ。ずれにくくむれにくい丈夫な靴下の売っているお店のすぐそばで、ゆらゆら揺れて疲れないオフィス用のイスを体験できるなんて、なんだかよくわからない。AR技術を利用した地球儀に人が集まっている一方で、和田ラヂヲさんに似顔絵を描いてほしい人たちが列をつくっている。おいしいメルヘンのフルーツサンドイッチが変えるイベントで、ベストセラー作家がワゴンを押しながら自分の本を売っている。猫を虜にするマタタビのボールと、ノック式のキャップレス万年筆は、どちらも同じように売り切れてしまった。

小学校5年生のころから知っているあーちんに会場で会った。おそらく70歳を超えている知り合いは着物姿が素敵だった。石田ゆりこさんの写真を撮らせていただいた。大学時代の先輩でいまはいっしょに本をつくっている人と立ち話をした。会社をやめてフリーになった人がレジの列に並んでいた。大学教授になった人から名刺をもらった。ミグノンの友森玲子さんも来ていたらしいが会えなかった。書くことの尽きない仲間たちはそれぞれに何度も会場を訪れてくれた。18年前にぼくが出した本を持ってきてくれた人と一緒に写真を撮った。前職の後輩が彼女とやってきて似顔絵を描いてもらっていた。妻の友人の甥っ子が会場でアルバイトをしていると知って、お互いにはじめましてと挨拶した。写真家の幡野広志さんが撮影した土楽のマグカップが素敵だったので、売り場にそれを見に行った。

「誰かと会っているときに、違う誰かがやって来るんだよ。で、『ああ、どうもどうも』って言ってるうちに、両方の人を忘れそうになるんだ」

そんなふうに近づいたりすれ違ったりじゃあまたと手を振ったりしながら続いていくこの生活のたのしみ展というイベントは、やっぱり特別だなぁとぼくは思う。あと二日で終わってしまうのが、なんだかもったいない。

最後は恒例、「今日の森ッコ」の時間です。

今日の森ッコは、「スソアキコさんの帽子のお店はこちら」っていう看板をつくってくれって言われてつくって持ってきたんだけど、「こちら」の矢印が左右逆で、恥ずかしそうに持って帰って作り直した、という場面です。

かわいいだろう? 森ッコ。