2-5 進路指導に悩むボク(前編)
●進路指導のノウハウは…?
今年は高校3年生の担任。ウチの学校は,いわゆる進路多様校。大学もいれば専門学校もいれば就職もいればフリーター希望もいる。
3年生の担任がはじめてのボクにとって,本格的に進路指導と向き合うのも,もちろんはじめて。進路指導をする際に,手がかりとなるのは,やはり仮説実験授業研究会。今回は『たのしい進路指導』(中一夫著・仮説社)や『たのしい授業』を頼りに進めている。特に,「自分の進路は自分で決める」という大原則に都度立ち返りながら進めていると,比較的,教師や世間の「エゴ」だったり,「押しつけ」をなるべく少なくできている(ような気もする)。
とは言っても,悩むことがある。たとえば「自分から相談に来ない生徒たち」について。ウチのクラスの子たちは比較的うまくやっていたけれど,それでも「準備や進路方針を考えなくちゃいけないのに,生徒からはまったく相談に来ない子」がいる。他のクラスにはもっといる。そういった子たちに対して,ウチの学年は基本的に「放任主義」である。一番若い先生は「アイツらが相談に来ない限り,絶対に面接練習なんかやってやるもんか!って思っているんですよ」という。実際に,まったく相談に来ないまま,受験報告もしてこない生徒もいるようである。
それは極端な例だとしても,基本的にウチの学年は「生徒にお任せ傾向」が強い。一方で,他の学年の担任や,進路指導経験者は「もっとぐいぐい引っ張らないとダメだ」という考え方で,よく愚痴をこぼしている。愚痴をこぼすぐらいなら,ちょっとは当事者になって生徒を応援してあげる・サポートしてあげる一人になって欲しいのだけれど,そうはならない。若いボクには,「ダメだ」「もっとこうしろ」とアドバイスなんだか文句なんだかを飛ばしてくる人がやはりいる。ありがたい時もあるけれど,イラっとするときもある。「じゃあお前がやれ」と思ってしまう(辛口…)。
でも,悩ましい問題のような気もする。生徒の自主性を尊重すると「放置」しているようにも思えるし,なんでもかんでも面倒見ると,「過保護」「正義の押しつけ」のような気もしてくる。これは,仮説実験授業的?組織論的?にはどう考えたらよいのだろうか…。「自由と束縛の矛盾論」なのか…!?そもそも束縛って…!?うーん。
悩み1.「放任」と「過保護(正義の押しつけ?)」をどう考えたら…?
●面接練習のノウハウは?
一方,「面接練習してくださ~い」「相談乗って下さ~い」と気軽に来る生徒もいる。こういう子は見てて,ホッコリ…というか,うらやましく感じる。ボクは「人に頼る」「人に甘える」というのがニガテ。そんな自分の性格に対して,短所にも感じるけれど,「だからこそ<本>を読むようになった」と言って自分を納得させてきた。けれど,高校生の様子を見ていると刺激を受けることも多い。
けれど,じゃあ具体的にどうやって「志望理由書」「小論文」「面接練習」をしていったらいいのだろうか。「自分の進路は自分で決める」「教師は情報提供者」という進路指導の原理・原則は本で学んだけれど,提出書類や面接に対して具体的なアドバイス,指導は『たのしい進路指導』にも『たのしい授業』にも見つからなかった。進路が決まって「あとは練習・準備あるのみ!」という子たちに対して,どんな接し方や具体的にどんなフォローをしていったらいいのかな。
●<糧>なのか<トラウマ>なのか。
ところで,先日,ウチのクラスで「友達と共謀してカンニングをさせた子」が1週間停学になった。まぁそれはいい。高校生だって間違いはするし,ある意味友達想いではあるけれど(笑),その後で悩んだ。指定校推薦で専門学校への入学が決まった(合格して,あとはお金を振り込むだけ)生徒に対して,「推薦を取り消すべき」「取り消さないべき」で職場の先生方がとにかく揉めた(意見が分かれた)のだ(2週間も揉めた)。
会議で登場した意見として印象的だったのが,「生徒にとって,推薦を取り消してしまったら人生のトラウマになる」(校長)という考えに対して,「取り消されても入学はきっとできる。推薦を取り消された経験が,これからの人生の糧になる。彼にとって一番良いこと=推薦取消である」という考えが真っ向から対立したのだ。同じ出来事(推薦取り消し)に対して,ベテランの教員ですら,「トラウマ」ととらえるか「糧」ととらえるかで違うのだ。
担任として,ボクはどうすればよかったのだろう。ボクの対応は,なんだか守りに入っているようだけれど,「どっちに転がっても良いように」と,学校判断に応じて対応を3パターン,保護者や本人と話し合っていた。これなら,どう転んでもイケる!と思っていた(まぁその後もいろいろあるのだけれど)。
でも,担任として(子ども中心主義として?),「子どもが不利益にならない=推薦取り消しなんて反対!をガツガツ主張!!」というスタンスが正しいのだろうか…。
そもそも,「糧」なのか「トラウマ」なのかは,誰が判断するのか。それは生徒本人の問題だから「どっちに転んでもシメタ」と考え,「どっちでもいいだろう」と思っていいのだろうか。決定権がまだボクら(教師側)にある場合,何かできることがあるような気もするし…。
(話は飛ぶけれど,この資料をコンビニで印刷する際,「小学1年生の子どもに一人でレジに行かせたい母親」と「一緒に行ってあげたい父親」が揉めるシーンに出会った。「一人でやらせた方がこの子のためになる!」と怒る母親。これは「正義の押しつけ」なのだろうか。「本人がやりたがる」まで待てば良いのだろうか…。それこそ「甘やかす」ような気もするし…。レジに行きたくなるような魅力的な教材…とか考えればいいのか?なんじゃそりゃ。)
●こんなこともありました ―作用・反作用―
そういえば,こんなことも…。専門学校(歯科衛生学科)を決める際に,「指定校推薦」のA校か,一般受験のB校かで迷っている柏野さんという女子生徒。もう「校内選考(指定校)」の希望しめ切りは迫っているけれど,本人はB校にオープンキャンパスに行ったあと決めたい…。というわけで,「両方の手続きを進めつつ,ギリギリまで選べるように」と,両方の出願準備をすることに…。けれど,いざはじめてみたら,この子は「高野や他の先生はA校に行かせるような空気を出している」と1年生の頃の元担任に文句(心配?)を言うことに…。これには,瞬間的にはボクもイラッと。「説明しただろが!!!」と。こういう「言ったでしょ!なんでわからないの!!」と思ってしまう。今回に限らず教育現場ではたくさんあるけれど,最近読んだ板倉聖宣さんの言葉を思い出して,なんとか落ち着いて対応することができたのでした。
つまり,「反力で判断しよう」というわけです。口だけで伝えるのでは反力が見られなかったら,文字にして伝える。一度でダメだったら何回も伝える。無機質に伝えてダメだったら,感情的に伝える。そうやって「反力が見える工夫」が必要なのだと感じました(進路選択という悩む時期ならなおさらね)。
結局,彼女は,B校のオープンキャンパスに行き,「ここは違う」と判断して自他ともに進めるA校の指定校推薦で無事合格したのでした。
●急な進路変更を言い出した!
そんな柏野さん。そういえば,歯科衛生士の進路を決める前,部活を夏に引退した頃は「私,CA(キャビンアテンダンド)にもなりたい!」と言い出しました。でも,本人はどんな風に目指したら良いかわからない様子。CAになるための道のりがよくわかっていないボクは,職員室で隣の席に座っている進路指導部の先生に相談すると,「あの子の身長150cmちょっとしかないじゃない!英語だってできないし,ムリに決まってるじゃない!」という反応。うーむ,そうなのかな?それに,この先生の言葉通り,実現が難しいとしても,この台詞のまま生徒に伝えても「ただ夢をつぶすだけの教師だな…」と思います。一体どうしたらいいのかな?(みなさんだったらどうしますか?)
(つづく)
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