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「私ってスゲー」という幸せな思い込み。

 昨日の夜、大学時代の友達と電話で話していたら

「自分のコンフォートゾーンを抜け出して戦っている戦友として勇気がでた」と最後に言わてすごく嬉かった。

けど、”コンフォートゾーン”の意味がよく分かってなかったので後からググった(笑)。

 そうか私はコンフォートゾーンを抜け出したのか。

 2年前マレーシアに来るまで高校卒業してからずーっと、京都に18年間住んでいた。京都生まれでもないけど、私の馴染みっぷりは本当にすごくて、民生委員のおじさん家でコタツみかんしたり、大文字山の草イチゴの食べ頃を熟知していたり、近所の銭湯のおばさんテリトリー争いを知っていたり。まぎれもなくあの場所は私のコンフォートゾーンだった。

けど出てきたんだよね、なんでだか。

出て来て色々、気がついたんだけど、一番思ったのは「私ってスゲーやつかもしれない」ってこと。

 マレーシアに来たら、毎日なにかしら初めてのことをせざる終えなくて、気がついたらいつも新しいことに挑戦している。それはそんな大それたことでは全然なくて、「今日はマレー語で「パン三つ!」って注文できた」とか「市場で知らない魚を買って料理した」とかそんな程度のこと。けど、それを365×2=720日やったら、なんか根拠もない自分に対する自信がフツフツと沸いてきた。

「私ってスゲー」

生まれてきてから40年間、今の自分が一番イケてる気がする(笑)。

 けど、これはきっと思い込みだ。客観的に見れば私は全然たいしたヤツではない。中国語は二年間もここに住んでいるのに末子(3歳)以下だし、英語はネイティブ幼稚園児以下、マレー語にいたっては数字と挨拶で停まったまま。現地のマレーシア人と比べたら私はマレーシア人の幼稚園児並みのことしかこの国ではできてないことが多い。自室は常に「ここは児童館の遊技場ですか?」みたいにおもちゃで散らかっていて、もはや片付ける気は全くなく、だから義家族には毎日呆れられている。

確かにいろいろ難はあるけど、やっぱり私はスゲーのである。

この2年間大変なことも沢山あったけど、こんな幸せな思い込みができる自分になれたのは最高の収穫だった。

コンフォートゾーンを出るとその先には「スタディゾーン」というのが広がるらしい、そう言えばこの2年間、毎日何かしら学んでいた。それは片言の中国語だったり、中華料理の方法だったり、野菜の名前だったり、買い物仕方だったり。「いわゆる勉強」ではないけれど、生活の中の全てが私の学びだった。

新しいことを学ぶのは大変だけど、知らないことをまた一つ知り、できないことをまた一つできるようになることってやっぱり単純に嬉しい。それはまさに、自分の細胞がピチピチと喜んでいる感覚。

いずれ必ずこの場所もコンフォートゾーンになる日が来る。そうしたらまた抜け出そう。きっと細胞ピチピチな自分にもう一度、出会えるからはずだから。

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