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「地方で探究の場を作る」イベントレポート

コロナによって、様々な探究的な学びのプログラムをオンラインで受けることができるようになりました。家にいながらでも学べることがある一方で、自然と触れ合い、地域の人との繋がりがあるからこそ学べることもあります。

探究メディアQでは、11月22日に開催された“未来の先生フォーラム”で「地方で探究の場を作る」をテーマにしたセッションを行いました。セッションでは、秋田県・五城目町で、廃校や朝市を活用した学びの場作りに取り組んでいる柳澤龍さん(一般社団法人ドチャベンジャーズ)、鹿児島県・屋久島の大自然の中で子どもと大人が一緒に探究する場を作っている今村祐樹さん(合同会社モスガイドクラブ代表)と、長く神戸で探究的な学びを実践してきたメディアQ責任編集・炭谷俊樹がディスカッションしました。

柳澤 龍(やなぎさわ・りゅう)/一般社団法人ドチャベンジャーズ代表理事
1986年生まれ。東京都練馬区出身。東京大学大学院を卒業後、 株式会社ガイアックス(IT企業)に入社。2014年に秋田県五城目町へ移住し、五城目町地域おこし協力隊として着任。「五城目町地域活性化支援センター BABAME-BASE」(旧馬場目小学校)を拠点に、村の概念をひっくり返すシェアビレッジプロジェクトの立ち上げや高齢社会をデザインすAkitaAgeLabの設立に参画。1次産業と伝統産業のコンサルティング、高校生と地域の未来を描くソーシャルラボ、秋田公立美術大学アートマネジメント育成プログラムの五城目プロジェクトのコーディネーターなどを担当する。2017年11月、五城目町内の土着企業・個人が集まり、一般社団法人ドチャベンジャーズを設立、代表理事に就任する。2018年4月、「五城目町地域活性化支援センター BABAME-BASE」(旧馬場目小学校)の指定管理を担う。

今村 祐樹(いまむら・ゆうき)/合同会社モスガイドクラブ代表・イマジン屋久島実行委員・屋久島ウェルネスツーリズム協会会長
1978年大阪府吹田市生まれ。都市に近いベッドタウンで、わずかにのこっていた田んぼや雑木林で秘密基地づくりや化石探しにあけくれる幼少期を過ごす。2002年、大学卒業後、就職した仕事をやめ「自然の中で生きる力を身につけよう」と23歳の時に屋久島に移住。2003年、屋久島の自然を楽しく遊びつつもサスティナブルな視点でプロデュースするエコツアーカンパニー「モスガイドクラブ」を仲間と創業。1000年を超す樹々が生きる深い森の中での年間230日を超えるガイドの場で、探求し学び培った屋久島の自然の仕組みや、島に自然とともに暮らす人々の生活文化を伝える場所として、2006年、島で暮らす宿泊体験を提供するモスオーシャンハウスの運営を開始する。2009年には「暮らしの中に自然を取り戻す」をテーマに、yoga、呼吸法、料理、アーユルヴェーダ、コーチング、パーマカルチャー、環境活動など、自然体で生きる様々なスペシャリストたちとコラボ合宿や研修、リトリートプログラムを企画、運営。2014年、長男誕生を機に、それまで島の外から訪れる人へと注いでいた目線から「屋久島は観光地としての魅力をこのまま追いかけるだけでいいのか?」との問いが芽生え、「自分たちが暮らしたい、子育てをしたいと心から思う島の暮らしの魅力を磨きたい!」と思い、島の友人や団体、友人が経営する企業と共に、子供も大人も親子も、また企業で働く人々も、屋久島の1000年つづく自然の生態系から学びを得ることができる教育研修プログラムの開発をすすめ、暮らしたくなる島の魅力づくりとと共に、人が訪れれば訪れるほど島の自然がますます美しくなっていくような仕組みづくりに奔走している。

炭谷 俊樹(すみたに・としき)/ 神戸情報大学院大学学長、ラーンネットグローバルスクール代表
1960年神戸市生まれ。マッキンゼーにて10 年間日本企業及び北欧企業のコンサルティングに携わる。 新人コンサルタント採用・研修の責任者も担当。デンマークの社会や教育に感銘したことがきっかけとなり、阪神・ 淡路大震災後の1996年、神戸で子どもの個性を活かす 「ラーンネット・グローバルスクール」を開校。1997 年、大前研一氏とともに企業のビジネスリーダー育成事業を創業、2005年よりビジネス・ブレークスルー大学大学院経営学研究科教授(2010年より客員教授)。2010年に神戸情報大学院大学学長に就任。3歳の幼児から 企業のエグゼクティブまで幅広い年齢対象で、探究型の教育を実践している。東京大学大学院理学系研究科修士(物理学専攻)。著書に『第3の教育』(角川書店)『ゼロからはじめる社会起業』(日本能率協会マネジメントセンタ ー)などがある。学びを探究するメディア『Q』責任編集 。

地域づくりの根幹は「子どもが育つ」ということ

── まずは柳澤さんの、五城目町での取り組みについて聞かせてください。

柳澤:2014年に東京から秋田県五城目町へ引越して、まちづくりと学びをテーマに活動しています。僕がいる五城目町地域活性化支援センターでは、廃校になった小学校をシェアオフィスにして運営しています。教育系のベンチャー企業や、デザイン、ドローンの会社など、大学機関も含めて18社が入っています。学びや遊びも仕事や暮らしの中に取り入れていくような、地域に根ざした事業にチャレンジしていける場にしたいと思っています。

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やっぱり地域づくりの根幹にあるべきものは、「子どもが育つ」ということだと思っているんです。子どもが育つからこそ、その地域はそこにある意味があるし、人が集うことにも繋がる。そう言った意味でも、廃校は大きな可能性を持った場所であると思っています。

ただ、この町には観光できるような場所も資源も何もありません。ここにあるものと言うと、「雪」なんですね。地元の農家さんにお願いして、雪を3mくらい積み上げて滑り台を作りました。そうすると、日々子ども達が集まって来る。季節ごとにいろんな企画を催していて、基本は手作り。誰もが気楽に来れる場にしています。僕らは場を開いていくことに重点を置いていて、小学校の運動会なんかも町内会と一緒になってやっています。

あと秋田は自然が多い場所ではありますが、田植えをしたことがない子ども達も結構いる。そこで、田植えや稲刈りを体験できる機会も作っています。田んぼをつくっている農家さんにお願いして、きれいに直線状に田植えができるように指導してもらったり、稲刈りで刃物を使う指導をしてもらったりしています。

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あとは町の取り組みでは、朝市があります。秋田は日本で一番高齢化率が高くて、五城目町は秋田県の25市町村の中では3番目に高齢化率が高く、今は48%を超えています。平日に町を歩けば、会う人はほとんどおじいさんおばあさん(笑)。この町には500年続く朝市があるんですが、高齢化の影響もあり参加者は年々減っていたんですね。

そこで、町作りにおいて一番大事なのは、女性が住みやすい町であることではないかと考え、朝市でお母さん達が自分を表現する場を作ることになりました。お母さんたちが、自分で作ったアクセサリーやお菓子を販売できたらいいなと。

お母さんがワクワクしていたら、子どももそれに付いて来る。その連鎖が始まって、それまではおじいさんおばあさんしか物を売っていなかった朝市で、子ども達まで自分でプラ板を作って売り始めたんです。子どもたちも、自分たちで作った物を自分たちで売る体験ができたらいいよねという話になり、子どもマルシェも始まりました。

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大人が学ぶから子どもも学ぶ。そんな循環を起こしたい

柳澤:五城目では2020年に小学校が新しくなることをきっかけに、3年前から住民と一緒に学校建築を考えるワークショップを行ってきました。子ども達も参加してもらって、どんな学校で学びたいかを考えてもらっています。一緒にレゴで校舎を作ったり、ポストイットを使ってアイディアを出し合ったり、森を散策したりと、小学校でできることを考えてきました。

新しい学校は、学校という存在を越えた場所になればいいなと思っています。それは、子どものためだけの学校ではなくて、大人も学べる場所です。学校というフィールドを出て、川や山で大人も一緒に学びを築き、大人が学ぶから子どもも学ぶような、そういう循環を僕たちは起こしていきたいと思っています。

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── 学校や子どもと地域の距離感がすごく近く、一緒に活動している感じが伝わってきました。柳澤さんは、東京から五城目町に移住したそうですね。何を求めて移住されたのか聞かせてもらえますか。

柳澤:移住した理由は2つあって、1つは友人であるハバタク株式会社の丑田さんといつか一緒に仕事がしたかったんです。彼が秋田に行くと聞いて、それは面白そうだなと思ったことがきっかけです。もう1つは、町作りにずっと興味があったからです。民間だけで回していけるような探究的な学びが、五城目町ではできるのではないかと思って移住しました。移住してまだ7年なんですけど、いい意味でいろんな人に頼りながら、民間で、この場所だからこそできる学びを作っていきたいなと思っています。

── お金をかけるよりも、地元のリソースを使っていくという発想がすごく良いと思います。実際に7年間住まれてみて、「五城目町ってこんなリソースがあるんだ」とか「こんなところが良いな」とか、発見したり感じたことはありますか?

柳澤:高齢者が多いことは負担だと捉えられがちですが、「子どもを見守ってくれる人の数が多い」とも捉えることができるんですよね。地域の高齢者達は、少しのお小遣いとたくさんの生きがいを求めている。子ども達と関わることは、この町全体としての生きがいに繋がるんじゃないかと思っています。高齢者からは昔からの色んな遊びを教わることができますし、それを軸にして、そこからビジネスを起こせたらいいなと思っています。

今村:高齢者からは、どんな遊びを教わるんですか?

柳澤:雪がたくさん降った頃は大きなたらいに氷を張って、その氷に穴を開けて紐を通して、それを屋根の上に持ってきて雪ぞりをしていたって言うんですよ。それは流石に怖いんですけど(笑) でも、ブランコとかは作ってみたいねと子ども達と話しています。

今村:危険と隣り合わせっていうのは、一番学びがあるんですよね。危険な中で、いかに怪我をしないで体を使うかを考える。危ないから止めるっていうのは勿体ないなと思いますね。五城目町の取り組みは、想像を超えていました。

── ラーンネット・グローバルスクールも森の中にあり、遊び場作りも子ども達が自分でやっています。危険なこともありますし、それをどう避けるかというところにも学びと工夫があります。

自分がどこでどう学ぶかを決められる時代に

柳澤:ADDressという多拠点生活サービスがあるんですが、月4万で日本各地の拠点に泊まれるんですね。五城目町にある空き家もそこに入ってもらう予定です。また、教育留学協定をADDressと学校教育課と僕らで話しています。

今、転校届を出すことなく、小学生が自分の通いたい学校に通えるように全国で規制緩和が進んでいます。これからの学びを変えるきっかけをくれるのではないかと思っていて、僕らも教育留学を後押ししていきたいと思っています。

家族単位で移動して、小学生が夏は屋久島で、冬は雪がある五城目町で学ぶ、ということがこれからはできる。僕は昭和生まれで、小学校を選ぶなんて考えたことがありませんでしたが、これからの子ども達は自分の学びを自分で決められる。そういう時代が来るんじゃないかと思っています。

── 選べるということは探究においてすごく重要で、選ぶときにいろいろ考えるんですよね。自分はどこで何を学びたいんだろう、どこに住みたいんだろうと。それは大人も子どももそうだと思います。決められて与えられるのではなくて、「どういう学校に行くか」「何を学ぶか」そこから考えられるところが探究的で素晴らしいですね。

地球の歴史を感じさせてくれる場所

── 今村さんは屋久島で活動されていますが、何か印象的なエピソードはありますか?

今村:5歳の男の子に「屋久島って一言で言うとなんだと思う?」と聞いた時に、彼なりにすごく考えて出てきた言葉が「屋久島から地球がみえる」でした。これが、すごく屋久島という場所を表現しているなと思っていて、島なんだけど大きな広がりを感じさせる場所なんですよね。

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ある3歳の女の子は、屋久島の海外近くの草原で珊瑚のかけらを発見したんです。今は天然の芝が広がっている草原なんですけど、5000年前は海底だったんです。地球の歴史を感じさせるものが落ちている。それを発見していく楽しさがある場所です。

僕らが運営している宿の周辺の森を散策して赤土を探し、それで染め物をしようというプログラムがあります。7300年前の噴火の火山灰でできた、赤土なんです。その土を使って染める。

人は頑張っても100年くらいしか生きられないけど、屋久島では1000年、1万年の歴史を感じ、人の時間感覚をすぐに越えてきます。長い歴史の中に自分達がいて、その中で地球に属しているという体験をすることができる。僕らは時間を越えていくような体験をプログラムの中で提供していきたいと思っています。

森の赤土で染めた物を定着させるために、最後は海水に浸しに行きます。あまり大きな言葉では語りませんが、いろんな繋がりの中で生きているんだなというのを体で感じてもらう時間を大切にしています。繋がりを感じる、そして、繋がりを生み出していく。

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言葉で語りかけなくても、子どもは何かを感じ、考える

今村:屋久島には樹齢何千年の杉があって、その杉を育んでいる自然環境があるわけですね。それを学ぶための絵本「雨つぶくんの大冒険」を、実際に水が流れている色んな場所で読みます。ある時は海で読んだり、ある時は高い山で読んだり。雨つぶくんは一体どこにいるんだろうね、という話をしながら読んでいます。ずっと水が循環していて、巡り続けているから色んな生き物が生まれ、その自然環境があるから人が暮らせる。それを体験してもらうのが、プログラムのテーマになっています。

大人がいるとつい子どもは甘えてしまうので、子どもだけの時間をつくるようにしています。子どもだけで森に冒険に出かける。そうすると、年上の子が小さい子に手を貸したり、みんなで力を合わせようとします。森の中を歩いて、雨つぶくんはどこにいるだろうねと探したりもします。森の中から海が見えてボーッと景色を眺め、自然と触れ、対話する。言葉で語りかけなくても、子どもが何かを感じている瞬間はいっぱいあって、その時間が大事だなと思います。

自然に触れていくと、子ども達は体の使い方をみんなで学んで考え出します。「丸い石の上を歩くには、こういう風にしたらまっすぐ歩けるね」とか、最終的には「靴を脱いで裸足になるのが一番歩きやすいね」とか(笑)。 親がいるとついお父さんが抱っこして歩いたりしますが、子ども達はどうやったら歩けるか話し、自分でどんどん探究していく。

あと、大事にしているのは親の学びの時間です。子どもが成長するには親が成長しないといけない。これからどういう家族を目指していくのか、子どもと夫婦を含めてどういう未来を作っていくのか、子どもが寝てから家族で考える時間を設けています。

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それぞれが自分の中にある自然に意識を向けること

今村:いろんな巡りや繋がりを体験した後に、どういう森だったかを子ども達に表現してもらいます。森の絵を描いてもらった時に、子ども達は、土の中に水を描いていたんですね。土の中の世界って普段はあまり考えないけど、見えない世界を子ども達が感じて表現してくれたことを、僕らはとても嬉しく思いました。

「心に自然を宿そう」というのが僕らの会社のテーマなんですけど、それぞれの中に自然があって、自分の中にある自然にしっかり意識を向けられた時に、生きる力が湧いてくる。そういう体験に繋がるなと思って、この言葉を大事にしています。

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── 自然の中で子ども達が体験しながら様々なことを感じ取っていることがすごくリアルに伝わってきました。都会ではただでさえ自然との繋がりが感じづらいのに今年はコロナでさらに分断されてしまい、こういう環境は羨ましいですね(笑)

もう15年くらい前だったと思いますが、ラーンネット・グローバルスクールの生徒とその保護者も一緒にパラオに行ったことがありました。パラオの大自然の海で魚や果物を取って食べて。その中で、子ども達ははものすごく色んなことを感じ取っていましたね。僕自身、その後1年くらいは物欲がなくなって(笑)、本当に体が自然との繋がりを求めている感じがしました。

今村さんは大阪から移住されたのですよね。そのきっかけは何だったんでしょうか。

今村:僕は大阪で生まれて、小さい頃はまだ畑や里山もあって、化石を探したりザリガニを採ったりして遊んでいました。それが、大人になるにつれて畑がなくなり、ビルが建っていった。僕は自然と触れ合う中で色んなことを発見してきたので、自然の中に身を置いていたいなという思いが強くありました。あとは、表面的にしか自然を知らないこともあり、もっと自然を知ってみたいという探究心や好奇心がありました。それで旅をする中で、僕の場合は屋久島に辿り着いたんです。

── 現実的には、そこに住んで仕事になるのかとかは気になりますね。その辺りはどうなんでしょうか。心配なこととかはありませんでしたか?

今村:その辺は、あまり考えないタイプだから今こうしていますね(笑)

屋久島に住むきっかけになったのは川の美しさです。最初に泊まった宿のおじさんが連れて行ってくれた川で、「飲めるから飲んでみろ」と言われて。僕は大阪で生まれ育っているので、川の水なんて汚くて飲んだらお腹を壊すイメージしかなかったんですが、飲んだらすごく美味しかった。

それで、探究心に火が付いたんです。こんなに綺麗な水が流れる川ってどうやって存在してるのかなと思って、自然の仕組みを知りたくなりました。その中で、森や川、海の繋がりや循環があることで水が飲めるようになる、というところに辿り着きました。僕らはそれを伝えられるようなプログラムを作っていきたいと思っています。

柳澤:逗子にある「海のようちえん」に行ったことがあって、僕はそこにいる子ども達にかなう気がしなかったんですよ。常に波に揺られて、自然に逆らえない中で自分の体を支えていくような動きをしていて。彼らは使う言葉が違うと思った。今村さんは、移住してから言葉遣いが変わったなと体感することはありますか?

今村:言葉というか、生き方の違いは感じますね。自然をどうにかしようとか、みんな思っていない。台風や雨に文句を言う人はいないです。自然はそういうものだと思っているし、自然に属しているから感謝が多いと思います。屋久島は優しさと荒々しさが共存していて、天国のような瞬間があってもよく見ると雨雲が近づいてくることもある。自然の中で、自分の感覚がどんどん研ぎ澄まされていく感じはしています。そういう感覚が、今の時代には大切だなと思っています。

柳澤:いろんなお子さんを見られていると思いますが、屋久島と、大阪など都会の子どもとの違いはありますか?

今村:屋久島の子は、自然の中に行くとバーっと蜘蛛の子を散らすようにいなくなるんですよ。都会の子ども達は、ずっとその場にいる。大きな木にも、都会から来る子ども達はまず登らないですね。「登っていいよ」と言ったら登る。屋久島の子ども達は、「危ないから降りて」と言わないと降りてこない。そういう違いはありますね。大きな怪我はしないように見守っていますが、小さな怪我をして学んでもらえたらいいと思っています。

「今の人は横の繋がりはすぐにできるけど、縦の繋がりはなかなかできていない」という課題を最近投げかけられたことがありました。柳澤さんもされているような縦の繋がり作りは大事だなと思っています。僕らはお年寄りとの関係性が深められるプログラムをもっと増やしていきたいと思っています。屋久島には自然資源がいっぱいあるし、教育資源もたくさんあるので、そういう学びはこれからもっと広げていきたいなと思っています。

── 2人のお話を聞いて、机の上での学びではなくて、自ら体験して学ぶことの重要性を改めて感じました。コロナの環境の中で繋がりを持つことが難しくなっている今、自然や地域の方との繋がりがあることの重要性を問われているなと思います。ありがとうございました。

(文章:建石尚子、編集:田村真菜)


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