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「共に生きる」ことこそが教師の仕事。27歳で大学に入学した私が、イエナプランスクールの教員になるまで。


高卒で就職し、複数の仕事を経験されてから27歳で大学に進学。教員免許を取得されて、東京都公立小学校での図工専科教員から、長野県佐久穂町に開校した日本で初めてのイエナプランスクール認定校・大日向小学校の教員となられた原田友美さんにお話を伺いました。

社会人になってから「子どもの育ち」に関心を持つようになったという原田さん。学校教育に携わるまでに、どのような道のりを歩んでこられたのでしょうか。

原田友美(はらだ ともみ)
高校を卒業後、音楽事務所など複数の企業で勤務。27歳で東京都立大学に進学し、心理学を専攻。教員免許取得のため武蔵野美術大学に3年次編入し、卒業後は東京都公立小学校で図工専科教員に。その後2017年3月に退職し、佐久穂町イエナプランスクール設立準備財団職員に転職。同年オランダで開催された日蘭イエナプラン教育専門教員研修に参加、オランダ・イエナプラン教育専門教員資格を取得した。2019年、大日向小学校開校と同時に教員として勤務を始める。

「何だか違う」違和感が拭えなかった社会人の日々。一念発起した留学が転機に

── 原田さんが教師になろうと思ったきっかけを教えてください。

私は大学に入学したのが27歳のときなんです。高校時代は一切教育に関心がなくて、学校も勉強も好きではなかったし、教師になることなんて考えたこともありませんでした。

夢もないまま高校を卒業して、なんとなく音楽業界に就職したのですが、働き出して「何だか違う」という気持ちが拭えなくて。

芸能関係の仕事だということもあり、自分のやりたいことを突き詰めている人たちが周囲に大勢いて、何か熱中するものが欲しいのに見つからない自分が恥ずかしくて、とてもコンプレックスを感じていました。

そこから25歳で一念発起して、5年間勤めた会社を辞めてイギリスへ2ヶ月間の語学留学にいくことに決めたんです。これが私の人生の転機になりました。

初めて外国に行ったのですが、いろんな国の人に会ったときに「なぜこんなにも価値感が違うんだろう?」と感じて。自分が当たり前だと思っていたことは、とても狭い世界の当たり前だったのだと気づかされました。

環境や文化によって人がつくられているのだということを実感して、「どんな環境で育てば豊かでよい人生を送ることができるのだろうか」と、人が育つことに興味を持ち始めたんです。

また、その留学期間中に読んでいた黒柳徹子さんの著書『窓際のトットちゃん』の存在も大きかったです。朝、通学中のバスの中で読んでいたら、「私こういうことがしたい!」と全身の細胞が動き出すような感覚になって。

黒柳さんが通われていた小学校のお話なのですが、なぜ自分は学校が好きではなかったのか理解することができましたし、その子らしく生きるということがどういった環境でどう扱われることなのか知ることができました。

帰国して、最初は生活のために再就職して働き始めましたが、やっぱり留学中に感じたことに取り組みたくてしょうがなくなってしまって。

まずは大学にいこうと思い立って、教育学か心理学かで専攻に迷ったのですが、東京都立大学の人文学部に心理教育学科を見つけて、会社を辞め1年間受験勉強をして無事に進学することができました。

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「子どもたちの日常に関わりたい」。教員免許を取るために、美大に編入

── そこから教師を目指し始めたのですね。

いえ、実はその時点では「子どもが育つ環境について知りたい」と発達心理学に関心を持っていて、教職に就くつもりはまったくなかったんです。進学した学科も、小学校の教員免許は取得できないところでした。

転機のひとつは、大学1年生のときから始めたボランティアサークルでの経験です。子どもたちと遊ぶサークルだったのですが、そこでの時間を通して子どもたちと接することがすごく面白いなと思うようになって。

また、近くの小学校の通級指導教室に週2回通うようになり、そこでの先生方との出会いや子どもたちとのやりとりで気付かされたことがありました。それは、自分がやりたいことは心理学が扱う範囲ではないということでした。

たとえば臨床心理士やスクールカウンセラーは、不登校など何らかの問題を抱えている子どもたちや保護者のカウンセリングやサポートがメインの役割です。

もちろん、心理学の知識は、教育現場ではとても重要な役割を果たします。しかし私が関心があることは、日常をどのように過ごし、どんな日々を重ねていくのか、ということでした。それが、心理臨床ではなく、教育現場なのだと考えたのです。

そうして教育現場への思いが強くなっていき、教授に紹介してもらうなどして、いろんな教育現場を訪ねるようになりました。その時期に出会ったのが、神戸の探究型スクール「ラーンネットグローバルスクール(以下、ラーンネット)」です。

カルチャーマガジン『SWITCH』でその存在を知って、「行くしかない!」と調べたら、ナビゲータ(※ラーンネットにおける教職の名称)育成講座があったので、大学2年生のときに参加しました。参加後も、春休みの2ヶ月間インターンさせていただきました。

ラーンネットでの子どもたちとの関わり方は、自分にとって心からいいなぁと感じるもので、ここでの体験が教師になる後押しをしてくれたなと感じています。

── では、なぜ図工専科(学級を持たず、複数の学年、学級の図工だけを担任する教員)を選択されたのでしょうか。

自分自身の子ども時代に、勉強が好きではなく得意でもなかった私には、正直、担任の先生の仕事は無理なんじゃないかと思ったんです。けれど美術がすごく得意なので、大学3年生くらいから図工の先生になりたいと思うようになりました。

教職の授業は東京都立大学でも受けられるだけ受けていて、その単位をそのまま次の大学に持っていける制度を見つけたので、卒業後に武蔵野美術大学に3年次編入して美術教員の免許を取り、無事に東京都の公立小学校で図工専科として働き始めることができました。

子どもたちが置かれている現状を、まずは自分の目で見たかった

── ラーンネットなど公立校以外のさまざまな学び場を知りつつも、公立校の教員を選んだ理由は何だったのでしょうか。

すべてが悪いとは思わないのですが、全国の様々な学び場を見てきて、公立校の現在のシステムには疑問を持っていました。

まずはその疑問の根源がどんなものか自分の目で見るしかないと思って、おもしろい取り組みをしている私立校からのお誘いもいただいたのですが、公立校の教員になることに決めたんです。

── 実際に働いてみて、どんな感想を抱きましたか?

正直、子どもの成長や幸せのためとは何か違う力学が働いているなと感じ続けていました。この仕組みは何のためにあるんだろうとか、こうでなければ子どもたちはもっと成長できるのにとか、たくさんの疑問を抱えつつの5年間でした。

イエナプラン教育について知ったのはこの時期のことです。いろんな勉強会に参加したり本を読んだりする中で、日本におけるイエナプラン教育研究の第一人者であるリヒテルズ直子さんの来日イベントを知り、参加したことがきっかけでした。

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イエナプラン教育に、日本の子どもを取り巻く問題解決の可能性を感じて

── イエナプラン教育のどのような部分に惹かれたのでしょうか。

自分が教師として大切にしたいと思っていた価値観と、イエナプラン教育が大切にしている考え方がとてもフィットしたんです。

イエナプラン教育は、一言で表現するとしたら「自律と共生」という理念を掲げているのですが、それを体現するための手法はかっちりと決められていません。自分の感性や直感を大切にしながら、自分自身であること(authentic:真正)でその理念を体現してくださいと語っているんですね。

そうした、何かを学ぶだけではなく人間性を磨いていかなければならないあり方が、とても本質的で魅力的だなと感じました。

またその本質的な魅力は、イエナプランが語っているものすべてから感じられるのです。それは、”いのち”を大切にしているとも言えるものです。

人を含めた”いのち”というもの、そしてそれを包含する”自然界”というものは、膨大な時間をかけて、自然の摂理に沿って織りなされてきた、細やかでたおやかでしなやかな、美しいネットワークです。

そのネットワークシステムを無視するような形では、そのいのちはいずれ破綻していくでしょう。イエナプランは、そのいのちのネットワークシステムに沿っていると感じました。

もちろん、すべての学校がイエナプランスクールになったらいいとは思っていなくて、イエナプラン教育を参考にすることで、いまの日本の子どもたちを取り巻く問題に対して新しい視点を持って取り組めるのではないかと思っていて。

勉強会に通い始めて、長期休暇を利用してリヒテルズさん主催のオランダでの1週間の研修にも参加しました。そのときに見学に行った学校で見たものは、子どもたちを中心にした本当に心地よい環境で、オランダの文化の影響も感じ取ることができました。

1週間では全然時間が足りないと思って、「1年間ぐらいのコースを作ってください」とリヒテルズさんにお願いをしたら、なんと検討してくださって。ビザの関係で1年は難しかったのですが、3ヶ月の研修機会を作ってくださったんです。そして、公立小の教員を退職してその研修に参加することになりました。

その研修期間中に改めて触れることができた、オランダの人々の人間に対する考え方・接し方が本当に素晴らしくて。

私にとって「学校」とは、その国の社会や文化をつくる場所でもあります。イエナプラン教育で育った子ども達が、この民主主義が成熟したオランダ社会を支えているのかと、ますますイエナプラン教育にのめり込んでいきました。

会社勤めも含め、経験すべてが子どもと接するうえで活きる

── そんな中、日本で初めてのイエナプランスクール認定校である大日向小学校とはどのように出会われたのでしょうか。

オランダでの3ヶ月の研修は、実は退職した年の9〜12月での開催だったんです。春から研修までどう過ごそうかと思っていたところに、勉強会の主催者だった現大日向小学校理事の中川綾さんから、イエナプランスクール設立の準備財団参画へのお誘いをいただきました。

また、この期間に、小学校の教員免許を取得しました。隣接免許(小学校なら幼稚園・中学校免許、中学校なら小学校・高校免許)での勤務年数といくつかの単位取得で普通免許が取得できる「別表第8による申請」という制度があり、そちらを利用して小学校免許を取得しました。

私の場合は小学校に勤務していましたが、中学校美術科の免許での採用だったので、この制度を利用することができました。

── 準備期間から参画されていたのですね。どのようなお仕事をされていたのでしょうか。

会社勤めをしていたときに経理の経験があったので、開校するまでの2年間は経理や学校設立の申請書類作成などの業務を担当していました。

── ビジネスでの経験が活かされたんですね。

会社で働いていた経験は、子どもたちと接していも本当に活きているなと感じます。教師って、自分の全人生を投入するようなところがあるんですよ。

公立校では知識を教えることが教師の仕事として捉えられがちですが、イエナプラン教育では「共に生きる」ことこそが教師の仕事だと思っています。子どもたちと一緒に生活する大人として、自分のこれまでの経験すべてを背負って、一緒に過ごしているんですよね。

たとえばエクセルが使えるかなどの事務能力はとても役立っていますし、私はいくつかの職種を経験しているのですが、一時期本作りの会社で働いていたことがあって、子どもたちと図工の時間にちょっとした本を作るときアイディアを出すこともできました。

たとえば、部活でバスケをずっと続けてきた人は子どもたちとバスケを楽むことができますし、読書が好きな人は子どもたちと読書について深く探究できます。活かされるのは、ビジネス経験だけでなく、これまでの自分の全経験なんですよね。

教師を続けるなかで、大学を出てからずっと教師を続けていらっしゃる方の凄さというものを何度も感じることがありました。教師を始めたのは遅いけれど、私は私で、学校以外での経験を子どもたちと分かち合えることの強みを活かせていけたら幸せだなと感じています。

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「誰もが、豊かに、そして幸せに生きることのできる世界をつくる」ことを目指して

── 大日向小学校は、どのような学校なのでしょうか。

「誰もが、豊かに、そして幸せに生きることのできる世界をつくる」ことを建学の精神として設立された学校です。

すべての人が「個」として大切にされ、それぞれの違いを認め合い、互いに協働することを通して世界平和に貢献する、自由と責任のある共同体となることを目指しています。

オルタナティブ教育の1つとして知られているイエナプラン教育が大切にしてきたことには、「児童が自分の特性を活かしながら学ぶこと」「自分自身の学びに責任を持つこと」「年齢も考え方も違う集団の中で協働し、お互いに助け合いながら成長すること」などが挙げられます。

私たちの学校は、こうしたイエナプラン教育の理念と、今までイエナプラン教育を実践してきた方たちの智慧に学びつつ、日本の教育ならではの豊かさを活かすことで、新たな価値を提供することができると考えています。

また、限られた一部の人のためだけに特殊な教育を行う学校ではなく、学習指導要領に基づいた教育を行う一条校である小学校の新たな在り方を示すことも、私たちが目指すことのひとつです。

── 原田さんは大日向小学校でどの学年を担当されているのでしょうか。

大日向小学校は3学年の異年齢混合学級になっていて、現在は1,2,3年生の学級を担当しています。

基本1クラスに各学年10人ずつが配置されるかたちで、現在1,2,3年生の学級は3クラスあります。私が担当しているクラスでは、1年生が10人、2年生が7人、3年生が8人在籍しています。

生徒数は2021年3月現在、120名ほど。開校2年目ということもあり上の学年の人数がまだ少なく、全体で30名ほどの4,5,6年生は、例外的に1クラス15人、2クラスで運営しています(2020年12月取材時点)。

── 教師は1クラスに何人がつくのでしょうか。

1クラス1名を目指していますが、まだ開校間もないこともあり、今は複数名つくこともあります。しかし、1クラスを1人の目でみるのではなく、教職員全員ですべての子どもたちを見る、という前提で学校運営を行っています。

教師は「仕事」ではなく、子どもたちと共に「生きる」ということ

── 大日向小学校での日々の中で、「学びを変えた」かもしれないと実感したエピソードはありますか?

まだまだ立ち上げ期なので、本当に様々な困難があります。それでも、たとえば以前通っていた学校が合わず転校してきた子どもが生き生き元気に通ってくれている姿をみると、この学校が本来のその子自身を認める場所になれているのだなと感じます。

また、クラスの誰かがみんなとまったく違う視点でものを見たり発言したとしても、それが自然にクラス中に受け入れられていることもよく見られます。人はみんな違うということが、子どもたちにとっての“普通”や“当たり前”になっているなと感じます。

そんな子どもたちの姿を見ていると、卒業の頃には本当に相手を尊重できる人になっているのではないのかなと思うことができるんです。

また、大日向小学校では週ごとに課題が決まっているのですが、子どもたちは自分でスケジュールを立てて、自立的に課題を進めていきます。

たまにやらない子もいるのですが、「あなたがやらないと誰もやってくれないよ」「あなたの学びは私たちは代わりにできないよ」と教師が繰り返し伝えていくことで、自分で進めることが当たり前になっていきます。

テストは自分の学習理解度を測るために行われ、1年生でも自分で課題を進められています。これが当たり前になった子どもたちは、本当にすごいなと思います。

── 最後に、これから「学びを変える」ことを始めていきたいという方に向けて、メッセージをいただければ幸いです。

「探究する」ということは、生きていくことそのものだと感じています。私は教師として、子どもたちの“生きている”姿を日々そばで見させてもらっているんです。

子どもたちのそうしたエネルギーに触れる日々は、仕事とかプライベートとか、まったく分けることのできない人生を生きるということです。子どもたちが生きている瞬間瞬間の一部を、毎日体験する場が「学校」だと感じています。

そうしたことに関心を持つ人が増えてほしいですし、そういう場で一緒に過ごしたいと思う人にとっては、学校は本当にエネルギーに満ちた場所だと思いますよ。

── ありがとうございました!

(文:桐田理恵、編集:田村真菜)

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