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イルカ好きの”不登校児”が、イルカツアーガイドに。中学生からラーンネットに入学した彼女が、歩んできたキャリア。

探究型スクールに行った子どもたちは、その後にどんな進路を選択するのだろう? どんな大人になり、どんな人生を歩んでいるのだろう? 「探究育ち」第4回は、ラーンネット・グローバルスクール卒業生の河口真弓さんにお話を聞きました。

多くの生徒が小学校低学年で入学するなか、中学生からラーンネットに入学した真弓さん。学校に行かずに”不登校児”とまわりから見られていた時期もあったといいます。学校やラーンネットの学びから、彼女はどんなことを考えていたのでしょうか。

河口真弓(かわぐち まゆみ)
公立小学校を卒業後、中学校はラーンネット・グローバルスクールに入学。3年間通ったのち、私立高校に進学。小学生の頃からイルカが大好きで、イルカに携わる職業に進むため、専門学校に進学し、その後ハワイの大学でイルカについて学ぶ。2019年現在、ハワイで暮らしながら、イルカと観光客の交流をうながすツアーガイドとして活躍している。

炭谷俊樹(すみたに としき)
神戸情報大学院大学学長、ラーンネットグローバルスクール代表。1960年神戸市生まれ。マッキンゼーにて10 年間日本企業及び北欧企業のコンサルティングに携わる。 新人コンサルタント採用・研修の責任者も担当。デンマークの社会や教育に感銘したことがきっかけとなり、阪神・ 淡路大震災後の1996年、神戸で子どもの個性を活かす 「ラーンネット・グローバルスクール」を開校。1997 年、大前研一氏とともに企業のビジネスリーダー育成事業を創業、2005年よりビジネス・ブレークスルー大学大学院経営学研究科教授(2010年より客員教授)。2010年に神戸情報大学院大学学長に就任。3歳の幼児から 企業のエグゼクティブまで幅広い年齢対象で、探究型の教育を実践している。東京大学大学院理学系研究科修士(物理学専攻)。著書に『第3の教育』(角川書店)『ゼロからはじめる社会起業』(日本能率協会マネジメントセンタ ー)などがある。学びを探究するメディア『Q』責任編集 。

1.水族館に親と通う、前向きな”不登校児”

── 真弓さんは、中学生からラーンネットに入学したよね。小学校から来ている子が多かったから、結構珍しかったかもしれない。ラーンネットに行き着いたきっかけを、聞かせて欲しいです。

小学校5年生の時に転入した学校が、学級崩壊を起こしている学校で。とても酷い状態だったので、両親から教育委員会にお願いして以前の小学校に通えるようにしてもらいました。小学校はそれで卒業まで通えたのですが、中学校は引っ越し先の学区で通わないといけなくて。でもやっぱり荒れた雰囲気は変わらなかった。

あと私は、幼い頃から英語と触れ合える環境で育っていたんです。小学生の頃には父の仕事の関係でアメリカの知人の家に滞在したこともありますし、中学生になる頃には英会話がある程度は身についていた。でも中学校の英語の先生は、明らかに自分より英会話ができなかったんです。

そういうことが重なって「ああもうこの学校行く意味ないな」と、意欲を失って行かなくなっちゃったんです。勉強は好きだったし、行かなくても自分でやってました。でも当時は「学校に行かない」ことは「すごく悪いこと」と思われていたので、親は心配してましたね。

── いまは”積極的不登校”みたいな言葉も出てきたけど、昔はそんな言葉もなかったよね。

まわりの人も「何で?」「将来大丈夫?」って。私は「学校には行かない」と自分で決めたので、そのことは良かったんです。ただ偏った目でみる周囲の反応に、気持ちが折れてしまうことはありました。

その時にカウンセリングも行ったんです。でもどこに行っても「こんなに明るい不登校児は見たことない」と言われましたね。「だから不登校じゃないんだってば」と言い返したりして。

両親は心配して、動物園とか水族館とかによく連れて行ってくれてましたね。家にいても仕方ないし、私がイルカが好きだからって。

── 普通は「学校行け」って言う人が多い。好きなイルカを見に連れてってくれるって、すごいご両親ですよね。

両親は、自分たちがトラディショナルな価値観をもった親に育てられて窮屈な想いをしたらしくて。父の仕事についてアメリカに行く間も、学校の宿題を先にもらって「全部自分で計画を立てて自分でやるように」というのが条件でした。「自分で決めて自分でやれ」って。

だからやっぱり、自分で決めた前向きな不登校でしたね。そしてそのうち、親がどこからかラーンネットを見つけてきて「行ってみれば」って。

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2.「自分で決める」場と「ただついていくだけ」の場

── 中学校から入ってみたラーンネット、どうでした? 一番お姉さんだったよね。

のびのび過ごしましたね。私だけ中学生でしたけど、気が合う子とは休みの日も一緒に遊びました。年齢が気になったことはなかったです。

ただ小学校3年生からサッカーをやっていたので、スポーツだけは小学生が相手では物足りませんでした。なのでラーンネットが休みの月曜日は、地元の「適応指導教室」という不登校の子ども達が通う施設に行って。適応教室とラーンネットで、全く違うタイプの子どもや大人と関われる経験は面白かったですね。

キャンプのやり方なんて、対照的でした。ラーンネットでは小学生でも火は自分でおこして、食べるものも自分で決めて、何時に寝るかも相談して決める。でも適応教室では、ボランティアの大学生が全部やってくれるんですよ。私たちはとにかくそれについていくだけ。「こうやって人に決められてやってもらう環境は面白くないなぁ」と思ってましたね。

── 同じキャンプというイベントだけど、全く違う体験になるよね。学校は全部学校がやってくれるけど、ラーンネットは全部自分でやれっていう場所だから。

真弓さんは、もともと「自分で決めて自分でやる」ということに慣れていたんだろうね。だから中学生からラーンネットに来ても馴染めた。普通の小学校に行って「学校にやってもらう体験」をいっぱいしちゃってると、そこからラーンネットに来るのは難しかったりする人もいます。

「なんでも自分で決めてやれる環境」と「人に決められついていくだけの環境」の差が、逆にすごい刺激になったかな。「育つ環境でこんなに人間って違うんだ」と思って見てました。

── ナビゲーターも僕も、真弓さんはほわっとしてて、自由で囚われがないイメージだった。こうして当時のことを聞いてみると、いろいろ考えてたんだね。

「なんも考えてなさそう」ってよく言われます(笑) 人を観察するのはラーンネットにいた時から好きだったかな。ラーンネットに取材や視察でくる人たちのことも、観察してました。職業的に「偉い」とされている立場の人がたくさん来たけど、子どもが知りたいことを聞いた時にちゃんと反応してくれる人は少なかった。

ラーンネットのナビゲーターは、そういうのは絶対になかったですね。何か投げかけたら、ちゃんと反応してより深い内容を返してくれる。疑問を投げかけて、自分が考えてもいなかった視点を教えてくれたら面白いですよね。

ナビゲーターって、一見ふざけてるようにしか見えないんですよ。ワーって一緒に遊んでくれる。でも実は自分の分野の知識はすごくて、ちゃんと教えてくれるっていう絶対の安心感があった。

── 大人をちゃんと見極めてるんだ。

その部分でも、ラーンネットと適応教室ですごい差を感じてたかな。「これが人生の差かな」っていうのも、その時に思ってた。「生き方が違うんだなあ」って。

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3.夢をもてたのは、潰されなかったから

── 今はイルカのツアーの仕事をしているんだよね。子どもの頃の話を聞くと、ずっとイルカが好きなんですね。20年以上、イルカ一筋。全く迷いがないね。

やっぱり両親や祖父母に動物園や水族館に連れて行ってもらったのが楽しくて。イルカを見てる時が一番いいなあって。小学校高学年くらいには、ドルフィントレーナーや研究者になりたいと思ってました。

決定的だったのは、中学生でハワイの水族館に行ったとき。「ハワイの大学で海洋生物学を勉強して、イルカと関われる仕事に就く働く」って、夢のスイッチがパチッと入ってしまった。そこからもうそのまま来ちゃった。

── 今は具体的にはどんなことをしているの?

ハワイの野生のイルカと泳ぐ、観光客向けのツアーガイドをしています。ハワイの水族館での仕事は、世界中の海好きの若者の夢なので、倍率がとっても高くて。インターンまでは入ることが出来たのですが、水族館に就職することは出来ませんでした。でもビザの関係もあって仕事は絶対に必要だったので、イルカに携わる仕事として決めました。

今の仕事についてから、日本の観光客と話す機会が多くて「どうしてハワイに来たんですか?」とよく質問されます。「とにかくイルカが好きで昔から決めてた」って言ったら、すごく感激されるんです。

逆に私が仕事を聞くと「事務です」と。「やりたかったことですか?」と聞いても、「安定しているので」という返事ばかりなんですよ。私から見ると興味がないことを毎日続けられる方がすごい。「夢を叶えてすごいね」とよく言われますが、逆に「夢はなかったのかな?」と不思議に思ってしまいます。

── 夢がある人はあると思うんだけど、親や先生から「無理だ」とか「こっちの方が良い」とか言われる中で夢を諦めていく人は多いよね。本当に好きなことがない訳じゃなくて、それを出せない環境が長いからだと僕は思ってるんです。やりたいことや好きなことや夢を言える、そして言った時に絶対に否定したり潰そうとしたりしない、応援する環境があればみんな出てくるんですよ。

高校を出た後は、日本で動物の専門学校に進学したんです。4つの専門分野があって、私はマリンアニマルコースでした。マリンアニマルコースには研究をしたい人、ドルフィントレーナーや飼育員になりたい人、ペットショップで働きたい人や水槽のメンテナンスやデザインなどをやりたい人たちがいました。

同級生は30人程でしたが、今もイルカに携わる仕事をしているのは、私ともう1人だけ。みんなイルカとの仕事を目指して入ったけど、男の子は収入のことを考えて就職すら諦めた子がすっごく多かったですね。

── 真弓さんのご両親はずっと応援してくれてる?

そうですね。両親もイルカが好きだし「まあ好きなことをやったらいい」と言っています。私が言うことを聞かないことも分かってる。幼稚園も自分でどこに行くか決めたんですよ。母親は違う所に行って欲しかったようなんですが、私が「ここに行く」と言って聞かなかったそうです。

── 自分で決めることをずっとやってきたんですね。ご両親は真弓さんの意志を尊重して、無理やり変えたり反対したりはしなかった。だから夢が潰されずに、今まで続いているんでしょうね。

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4.「好き」という気持ちから、次の目標がきまる

── 「夢が潰れずに叶えられた」のは、親御さんの応援はもちろん、真弓さんの努力もあったよね。

私はもともとイルカと仕事はしたかったけど「マイクのお姉さん」にはなりたくなかった。でもツアーガイドなので、当然その「マイクのお姉さん」をしなければいけない。最初は全然人前で喋ることができなくて、どんどん仕事も減って。でも嫌なことを克服しないとイルカの近くに寄れないという状況でした。

好きなことをやるためには、とにかくその嫌いなことを頑張るしかないし、自分を変えるしかないですよね。そのための努力は惜しみませんでした。自分の休日に、他のスタッフの仕事を見に行って、自分のガイドに活かしたり。1年くらい頑張ったら段々評価されるようになって、今では他のスタッフに「教えて」と言われるようになりました。

── 好きなことがあって自分で「これをやる」と決められれば、そのために必要なことは大体身につけていけるんだよね。これからはどういうことをしたい?

これからは会社を動かす方になりたいな。どうやって会社を回していくか、会社に利益を出していくかを考えたい。

これを違う会社でやりたいかと言われたら、そうでもないんですけどね。やっぱり今の会社が好きなんです。まだまだ新しいし、どこを節約してどこに使うべきか、どうやって経営したらお客さんも働いてる人もうまく回るのかという改善点が沢山あると思っています。

この会社で働いていると、私たちの働き方を見て「こういう働き方もあるんだ」と言って帰っていく日本人が結構いるんです。「チームで働く」ということが当たり前にできる会社で、それに感動してくれる日本人がたくさんいます。そういう自分たちの働き方を、もっと知ってもらいたいです。

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5.親にしてもらって良かった2つのこと

── 改めて、ご両親にしてもらって良かったなと思うことはありますか?

自由にしてもらったかな。とにかく私が「これをやりたい」と言ったら、「ダメ」と言われたことはないですね。

私、専門学校を卒業してハワイの大学に行くまでの準備期間に、1人でメキシコのイルカのトレーニングセミナーに行ったんです。メキシコのセミナーは自分で見つけて、「行く」と言ってホテルも予約した。

父は驚いたし、初めての1人旅でメキシコはハードルが高いと思ったそうなんです。でも、反対はしなかった。私が「やる」と言ったら、とにかく応援はしてくれます。

自分も子どもには、自分で生きていく力は絶対つけてほしい。型にはまった感じでは育って欲しくないかな。それと、英語に触れられる環境は作りたいとは思っています。

── 小さい頃から日本以外の世界も知ってて英語を学べたのが、すごく自分にとっていい経験なんだね。

英語を”勉強した”とは思っていないんです。両親のおかげですね。英語は生きるためのツールだと思うので、身につけられた方がいい。

── コミュニケーションの道具だもんね。無理やり勉強って感じじゃなくて、ホームステイ行ったり来てもらったりで自然の中で英語を学んでるから、それが自然にできたっていうのはいいですよね。

ラーンネットにいた時に、あとから入ってきた中学生の女の子達とすごく揉めちゃった経験があるんです。それまで小学生とばかりいたのに、急に中学生の女の子たちとの関わりが出てきて、中学生独特のゴタゴタに巻き込まれちゃった。

その時にちょうど英語しか話せない女の子も入ってきてて、その子と仲良くなれたんですよね。そこで結構英語を学べたのもあったし、彼女たちと一緒にいるのは楽しかった。

── 最初はやっぱり言葉が通じないから、結構喧嘩もしてたよね。でも一緒に英語劇をやったりする中で、段々とお互いの言葉を理解しようという気持ちが生まれてきて。それで結構仲良くなって、あれはいい経験だったな。これからの活躍も楽しみにしています。

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(執筆:齊藤香惠子  編集・写真:田村真菜)

編集後記:本取材は、2019年に真弓さんが一時帰国された際に行いました。ハワイに戻るつもりだった真弓さんですが、COVID-19によって厳しい状態になり、現在は魚やサンゴの飼育用品を輸入する国内の会社で働いているそう。事態が収束し、彼女がまたイルカと泳げる日がくるといいですね。

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