谷崎潤一郎「法成寺物語」

私は谷崎の「歴史モノ」は
正直あまり得意ではない。
目は通すが、自身の教養のなさも相まって
読みながら眠くなることもしばしある。

とはいえ、最初から最後まで眠い話だけではなく、
ポツポツと面白い場面のある話や
途中から覚醒したかのように読みふける話もある。

今回触れる戯曲(演劇の台本)の「法成寺物語」なんかは、
読者側が途中から覚醒するタイプの作品である。
書き出しとオチのギャップが激しい。

「法成寺物語」は、法成寺の工事の場面から始まる。
この工事現場の会話や描写が私にはものすごく長く感じられ、
初読の際、結構読むのが苦痛であった。

この話は正直、
藤原道長が登場するまであまり面白くないかもしれない。
個人的には第二幕の密会シーンから
話が始まった方が面白いような気がする。

別の見方をすると、第二幕の密会シーンから
我々は覚醒しだす、とも言えるのだが……

ここで「えっ、密会シーンがあるの?」と食らいついてきた方向けに
あらすじを紹介しよう。
例によって『谷崎潤一郎讀本』から
あらすじを引用させていただく。

「藤原道長が造営する法成寺が完成間近となった春、
日本一の仏師・定朝は、阿弥陀堂内で
本尊・阿弥陀如来を作り悩んでいる。
一方、弟子の定雲は、
生きているような観音像を彫り上げ、評判になる。
実は、道長は定雲に、秘密の愛人で絶世の美女である
四の御方そのままに、仏像を造らせていたのである。
しかし道長の恋は四の御方には通ぜず、
四の御方は、崇拝できる理想の恋人に
出会えぬことに苦しみ、
定雲は四の御方に恋い焦がれつつ、
自らの醜さを嘆いていた。
四の御方が目撃されたことから、定雲の菩薩が
夜な夜な徘徊するという噂が立ち、
比叡山から見に来た高僧・院源律師は、
定朝に、定雲の菩薩には
浅ましい女人の魂しかないことを教え、
煩悩を持たない若く美しい弟子の僧・良円をモデルにさせる。
良円は定雲の菩薩像を見てたちまち恋に落ちてしまうが、
定朝は恋に落ちる前の顔を胸に刻み付け、
阿弥陀像を完成させる。
四の御方は、道長の禁止にもかかわらず、
定雲に命じて定朝の阿弥陀像を見、」
(五味渕 典嗣、日高 佳紀 2016『谷崎潤一郎讀本』 翰林書房)

……この先のラストのオチは
ぜひ直接原文の戯曲を読み、お確かめいただきたい。

オチを知った上でもう1度、
この戯曲を読むのもありかもしれない。

あと個人的に、
密会シーンで四の御方が道長に向かって

「妾の胸が清しう見えるのは、
いまだに恋を知らないためでござります。
たとへ一遍でも恋の甘さを教はつたなら、
妾とてもいつまで冷たい女子ではござんせぬ。」

……と遠回し道長をフッているようなシーンに
面白さを感じている。
密会中にフるって。

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