ティッシュ箱と手巻き寿司

「あ、ねぇティッシュ。もうなかったよね」

店頭に並べられている箱ティッシュ5個パック198円の特売品を指さしてYが言った。自転車と歩行者がお見合いしながら行き交う祝日の商店街。店頭に並べられた特売のティッシュのすぐ前にも、駐輪スペースからあふれた自転車がひしめき合っていたものだから、わたしの視界にティッシュは入ってこなかった。
さすがY。普段から、ふつうの人なら見過ごしてしまうような物事をよく見つけては報告してくるだけある。Yのそういうところが一緒にいて楽しい。

「目が4つあるとやっぱ違うね~。だって、倍だもん。買い忘れを防げるっていうのも、一人暮らしじゃないメリットの一つだよね」
レジに並びながら、わたしが暇つぶしのような脈絡のない話を繰り広げても「目が4つか」と笑ってくれるんだから、ありがたい。

Yと一緒に暮らし始めて3年半。そろそろ、一人で暮らしていたころの休日を思い出せなくなってきた。

記録的な暖冬とはいっても2月。風は冷たい。そろそろ出番も終盤かしらという顔をしたダウンコートの人たちの間をすり抜けて自宅へ着けば、部屋に入るだけで暖かい。Yはスーパーの袋を冷蔵庫の前に置くと、上着を脱いで手を洗い、ソファーへ腰を下ろした。

選手交代バトンタッチ、という感じで、わたしは最近もう少し容量を大きくしたいと考えている冷蔵庫に、買ってきたばかりの食材を詰め込む。詰め込みながら、昨年亡くなった食通の大物俳優の孫娘が「冷蔵庫を開けた瞬間、泣いてしまった。祖父がいたころは冷蔵庫がいつもいっぱいだった」という話をしていたな…と思い返す。
そうしながらバターや豆腐、ヨーグルトに納豆を倉庫番ゲームのように入れていると、Yとわたしの好みのドレッシングが1本ずつ並んでいるのが目に入った。そう、好みなんて当たり前に違うのだ。

Yは、ソファーでテレビを眺めている。食材を冷蔵庫に詰め込みおわったわたしは、さぁ今夜は手巻き寿司だ、と心を弾ませた。スーパーで買い物をしていたら、なぜか突然手巻き寿司の神様が降りてきて、それをYに話すとYも大賛成してくれたから、なんだか嬉しくて楽しくなってしまう。夕食のメニュー提案に共鳴してくれる人がいると、食事の時間が一日を締めくくるびっきりの時間になる。

Yの気配を心地よく感じながらテレビをBGMにして、まずは酢飯を作ってしまおう。ついさっきピーっと合図を鳴らした炊き立てご飯だから、アツアツのうちに味を染み込ませて……と戸棚のボウルに手を伸ばした。

そのとき、床に重ねられたティッシュ箱が目に入った。

箱ティッシュ5個パックは、封がはずされ5つすべての箱も開封され、すぐ横に剥がした外装のビニールと箱蓋の残骸が几帳面に重ねられている。

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こういう、ことなんだよなぁ。一緒に暮らすことって。

買ってきた日用品の片づけをどちらがやるとか、話し合ったことなんてない。ましてや「ティッシュは買ってきたら仕舞う前に外装を外してすべてバラしておくこと」なんてマイルールを話題にしたことはない。一緒に暮らすうちに、Yがわたしのそれに従ってきたのだ。

しかもそこに、バラした箱も開封しておくというアレンジまで加えている。これはわたしへの提案なのか、それともYルール誕生なのか―。
どちらかというと、わたしは新品をおろすときに蓋をピリピリっといきたいんだけどな。

でも、そんなことは言わない。譲れないものだけ、伝えていけばいい。

手巻き寿司だって、どんなふうに具材を巻こうが結局は胃に入れば同じ。でも、胃に入るまでのプロセスがおいしい理由を生むことも知っている。だから今夜の手巻き寿司は、きっとおいしい。

そういえばわたし、「手巻き寿司は巻き寿司のように平行に巻かないで。クレープのようにちゃんと手巻き風にしてよね」と言ったことがあったなぁ。
ということは、バラしたティッシュの箱を最初にぜんぶ開封してしまうことよりも、それはわたしにとって譲れないもの……?

なんていう、どうでもよい考え事をしながら酢飯の支度をしていたら何だか少しあまったるい。

まぁいいだろう。こんな平和な生活が、いまはとても愛おしい。酸っぱさよりも甘みを舌先に残す酢飯を指でつまんで味見をしていると、Yがキッチンへやってきた。

「ねぇ~ママー!わたしもちょびっと食べたぁ~い!」


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