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「自粛を強制するな」デモをする人の語りから見えた自衛と自己決定

シェアされた記事に衝撃

 4月8日未明、私はSNSで、若者によるデモが激しくバッシングされているのを目にしました。デモは4月2日のまとめサイト「BUZZMEDIA」に「コロナ自粛反対デモin横浜。『横浜には騒ぎが必要だ!』」として掲載されたもので(トップ画像はBUZZMEDIAからスクショしたものを一部加工)、3月29日にTwitterに投稿された、デモを嘲笑するコメントと動画が取り上げられていました。
 動画の若者たちは神輿を担いでいて、仲間内で祭りをしているようにも見えます。記事はデモについて「大迷惑です」「目を覆いたくなるような動画が話題になっています」と非難、コメントにはデモに集まった若者に対して「死んでほしい」という批判というより中傷や、「武漢でやってほしい」という排外主義的なものも寄せられていました。
 数時間後、動画は非公開に、そして記事の元になったアカウントは非公開になりました。

デモに対して、揺れる気持ち「それは、今、必要なのか」

 それを見て、私は大変、複雑な感覚を味わいました。4月8日は緊急事態宣言が7都府県で出された頃です。世の中は自粛ムードが強まっていて、ニュースでは連日新たな感染者が発表されていました。私もその緊張感と無縁ではありませんでした。人に会う仕事もしているので、うつる・うつされるということに神経質にならざるを得ませんでした。多少体力には自信があるのですが、知らない間にお年寄りや持病のある人にうつす可能性があると思うと、本当に恐ろしく思えたのです。
 そういった社会状況において、デモをするのはナイーブだと感じました。もちろんデモそのものを否定しないし、参加することもあったくらいです。しかし、今行うことについてどうしても肯定的になれないのは、デモは人が複数集まって行う上に、実施する場所に行くまで、公共交通機関を使うことが少なくないからです。私には「わざわざ」「感染させ」に、「感染しに」行く行為のようにしか思えませんでした。
 でも、自分と異なる価値観の人を、激しく罵ることにも拒否感がありました。すぐに理解できない行動だって、その人たちの事情や想いでやっているのではないでしょうか。そして、自分と違う立場の人を罵り、晒しものにする行為は醜く思えました。
 また、緊急事態宣言が出たところで公共交通機関に乗って職場に行く人はいるでしょう。デモで給付などを要求することが「生きるため」であるならば、正当なことのように思えます。ただ、取り上げられていたデモに悲壮感はなく、「騒ぎが必要だ」というのは面白半分にも感じました。

関係者に話しかけてみた!

 私はもやもやした気持ちを残したまま「横浜」「デモ」で検索しました。すると、冒頭に登場したメディアと類似のものが多数ヒットしました。3月末から4月の掲載日で、一様にデモを非難しています。
 そのうちSNSでデモの動画を上げているアカウントの投稿に行き着きます。そのアカウントは様々なデモを撮影しており、横浜のデモを撮影していたようです。私はTwitterのリプライ機能で話しかけてみましたが、返事はありませんでした。しかし、デモに参加した和田さん(20代、介護職)がその様子を見ていて、「僕でよかったら話しましょうか」と申し出てくれました。

わざわざ炎上しやすい時期にアップされた!? 実施と炎上のタイムラグ

 私は和田さんに、デモの動機や背景、そして今の状況について話を聞くことにしました。まず、これほどまでにデモが炎上していることを、知っていたのでしょうか。
「3月16日に動画をアップした時は全く炎上しませんでした(デモ当日は3月14日)。僕が確認したのは4月1日。3月31日に仲間から炎上についてしていたことを知らされました」
 やはり、動画がアップされた当初には非難されることはなく、炎上したのは3月末になってからのようです。オリンピックが報道されたのは3月24日。非難の集中には自粛ムードが関係しているのかもしれません。和田さんはこうも言いました。
「より叩かれやすいタイミングで拡散されています。僕たちがしたデモだけじゃなくて、たとえば、3月21日に京都で行われたインフルエンザ特措法改正に反対したデモが、最近に(4月11日現在)なって叩かれています」
 意図的になされたものなのかどうかはわかりませんが、自粛の流れに沿わないものに対する激しいバッシングは、3月の終盤以降激しくなっているようです。和田さんらのデモは複数のまとめサイトで取り上げられ、非難されていましたが、それだけ強く人の心を揺さぶったのだから、たくさんアクセス数を稼げたことでしょう。
 「2019年の夏、6月に渋谷区で成立したハロウィン路上飲酒禁止条例に反対して、渋谷区の路上の自由を守るための街頭行動を行ったのですが、まとめサイトで『酒を飲みたいだけじゃないか』と炎上しました。でも、今の方が炎上は酷く感じます。去年は「飲む」「飲まない」だけの話だったけど、今年、コロナが流行ってからはみんな自粛モード(それに従わないと非難を受ける感じ)」
 コロナに対する恐怖やいつまで続くかわからない不安なのか、自分たちとは違う考えや行動をとる人たちに対して排他的、攻撃的になる傾向は強まっているのかもしれません。ちなみに和田さんはDMやリプライなどで直接攻撃的な言葉を浴びせられることはなかったそうです。「(バッシングする人は)仲間内で盛り上がっているだけでしょ」とのこと。

訴えたいこと、それは自粛への違和感

 否定的なものも含めて、多くの注目を集めた和田さんたちのデモ。どんな主張から行われたものなのでしょうか。「横浜には騒ぎが必要だ」という発言は、ウェブメディアがデモへの反感を強めるために書いたのではなく、和田さんたちによるもののようです。
「僕たちは特定の政治的な主張というより、『路上開放』を訴えています。駅前でストリートミュージシャンが演奏するとすぐに警察がきたり、通報されたりするでしょ。横浜でのデモは警察の許可は取ったのですが、騒いでもいい、たむろしてもいいというニュアンスで2回デモをしましたね」
 先述したハロウィン路上飲酒禁止条例は、飲酒による騒動を防ぐためハロウィンに加え、大晦日・元旦の飲酒を禁止しています。多くの人の賛成のなか成立したが、和田さんは今ある法律で違法行為を罰することができるのに、公共の空間での行動を新しく条例を作って制限することに否定的です。路上の自由を取り戻したいという気持ちのほか、自粛を強要する風潮に違和感があるといいます。
「最近、自粛をしない飲食店に投石するニュースを目にするのですが、『変だな』『おかしいな』と思う。今思うと自粛した方がよかったのかな。でも、自粛することは自分で決めることですよね。自粛に対する違和感の表明でもあります」
 路上飲酒を規制する、自粛を強いるなどという形で、人の行動を公共や同調圧力が過剰に抑制することに、和田さんは抵抗を示したかったのかもしれません。

神輿の持ち主にも話を聞いてみた! 「もっと気軽にデモできれば」

 和田さん曰く、「みこしデモ」の神輿は、一緒にデモをしたかとうさん(飲食・雑貨店店主と介護職の兼業)所有のものとのこと。野宿や盆踊りが好きだというZさんの話を聞くことを勧められ、私はかとうさんにもインタビューをさせて頂くことになりました。
 かとうさんも和田さん同様、デモが炎上している話を、友人から聞いたとのこと。友人は高須クリニックの委員長のツイートを見て炎上を知ったそうです。
「あれ、狙って3月末にやった感じで拡散されましたよね。(炎上しても)個人を特定して何か言ってきたりとか、意外と実害はないんだなとわかって、あんまり気にして自粛とかしちゃいかんなという気持ちにもなりました。ただデモの否定に定番の人種ヘイトとかからむのがほんと許せんのですが。あとは映像をクレジットなしで使っているっぽいのでけしからんなあとおもいます」
 神輿デモ、正しくは「勝手にみこしを担がせろ! デモ」をやろうと言いだしたのはかとうさんとのこと。デモの目的は一旦何だったのでしょうか。
「ひょんなことから神輿をもらったので、どうにかして路上で担ぎたかったのと、地元でデモもやってみたかったのです」
「訴えたいのは『横浜には騒ぎが必要だー! もっと路上で遊ばせろー!』ってのです……。あとは、もっと誰でも気軽にデモができるようになったらいいなっていう気持ちとか、言いたいことあったらすぐできるような感じとかがいいなと思っていて、その実践でしょうか」
「1回目のデモが面白かったので、またやろうねーって話をしていて、ドイツから知人が里帰りするから神輿を担ぎたいとのことで、それに合わせてやったのが第2回目(3月14日)です」
 あくまで神輿を担ぎたい、デモをしたいというのが理由としてあるようです。さらに、祭りの場合は申請が難しいが、デモなら比較的容易なので、神輿を担ぐデモをやってみたといういきさつもあったとのこと。一方で、
「1回目(2月2日)はカジノ誘致が騒がれていたので『カジノ反対』で、和田さんと警察にデモの申請をして、デモをしました」
「2回目はオリンピックの聖火リレーが始まるタイミングだったので(デモをするときに必要な警察への)申請は『オリンピック開催中止』にしたのですが、コロナ禍、というか自粛ムードが徐々にやばそうになっていたので、『自粛しねえぞ~』ってかんじのデモになりました……」
 など、政治的主張もなきにしもあらずなようです。
 かとうさんの話を聞いていると、政治的な主張を前面に押し出すというよりは、共通する政治的な意見を持つ仲間と集まり、神輿やお祭りという形をとって、誰に要請されるわけでもなく、自分たちで行動するということを体現しようとしているように思えました。

感染防止はすれど「押し付けない」「押し付けられない」

 2人がネットのバッシングになっていないことに胸をなでおろしたり、どのようなスタンスでデモをやったかについて興味深く聞いていたのですが、ふと、聞き忘れていたことを思い出しました。それは「感染するかもしれない」ことについてどう思うかです。
 かとうさんは介護職に就きつつ、店舗の運営をしています。かとうさん自ら接客に立つほか、曜日ごとに人に店舗を貸すスペースづくりみたいな側面もあるとのこと。野宿や盆踊りにも造詣が深いそうです。かとうさんのお店は、4月2日から所謂「コロナ休業」に入りました。
「狭くて換気悪くてみんな喋りに来る感じの酒場のようなところで、近所のご高齢の方がけっこうきていたので気になったのもありました。横浜の下町なのでみんなぜんぜん気にしてなくって、あけてたら来ちゃうなって思ったのがあります」
「曜日ごとに人に貸してる形だったので切りのいいところではやめに決めたほうがいいかなとか、上から言われる形で決めるの癪だなとか……」
 コロナウィルスの感染が広がり始めた頃には、基礎疾患のある人ともに、高齢者が重症化しやすいと盛んに言われていました。また、換気の悪い空間に人が密集することを避けるのは、感染拡大を防ぐために現在も推奨されています。かとうさんはコロナウィルスに関する常識に基づいて対処しているように思います。主たる収入がお店でないためか、堅苦しい雰囲気で、杓子定規に店舗営業をしていないという意味なのか、「わがままな感じです~。気楽です」という言葉を時々挟んでいたかとうさんですが、本人なりに場を守ろう考えて休業したことが伝わります。

 一方、個々人が判断して感染予防してほしい、と考えていることがうかがえる発言も。
「スペース作りみたいな気持ちで店のようなものはやっている面もあって、そういう人たちだけならまだいいけど、消費者感覚できてたり借りてる人たちもいて、なにか起こったらいやだな、という気持ちもあるし、野宿が好きなので店より、だったら野宿したいなってきもちもあるし、わがままな感じです~」
「うまく言えないのですが、開いてたら大丈夫だろうから行こうとか、だめって言われないから開けようとか、考えて決める感じじゃないっていうか。お金を介するからしょうがない面もあるし店なんだからそりゃそうだとは思うのですが、野宿しようって呼びかけたときに野宿に来るひとより、なにかあったときに、クレームとかありそう、判断をこちらにゆだねそうな感じでしょうか」
 もちろん感染を予防するのは当たり前だけど、誰かに禁止されたり、指示されたりするのを望むのではなく、自分で判断してほしい、という意思が感じ取れました。和田さんの「自粛することは自分で決めることですよね」という発言に通じるものがあるのではないでしょうか。かとうさんは「日々は自衛して、野宿したりデモしたり、したいです~」と言い、自分なりに感染には気をつけつつも、やりたいことを我慢しようという気はないようでした。

これからもデモを開催! メーデーで「怒りの可視化」 

 わださんとかとうさんは自粛を強いる風潮に逆らい、今後もデモに参加する予定だと言います。まずは5月1日のメーデーとのこと。コロナの影響で中止となった(オンラインのメーデーはあるそうです)横浜のメーデーに、よく一緒にデモをする仲間とともに、「自主メーデー」のデモを開催するとのこと。「自主メーデー」ではどのようなことを訴えるのか、かとうさんに聞いてみました。
「自粛自粛言うだけで、給付とか補償が脆弱すぎで、怒っております。5月1日にやるデモ(みこしなしで一揆)は、さっさと現金よこせってストレートな感じになるとおもいます。補償や給付がぜんぜんなってない中で自粛「要請」されても、そんなの聞いてらんねえ! って、怒りの表明(可視化)でしょうか」
 無粋な質問かもしれませんが、デモ中の感染防止策について聞いてみると……。
「自分は割と日々気を使って生活しているので、参加者の方は健康チェックのうえマスク付けて参加、デモ中はそれぞれが2m以上間隔あける(警察にもそのように要請する)形でデモしたいなあ……って個人的には考えています。一揆っぽく、2メートル以上の旗とか武器とか竹槍のようなもの(レプリカ)とかみんな持って参加したら、楽しく距離も測れると思う次第であります!」
  感染防止は基本自分たちで行い、人と人との距離をとるために、単に「離れて」「近づかないで」といった注意の形をとるのではなく、デモの趣旨に合った形で工夫をするそう。「個人の自主性に任せて押し付けない」という意味では、これまで言っていることからすると、筋が通っています。

今回は炎上なし! 一揆っぽい「自主メーデー」は成功!?

 では、実際自主メーデーはどのように行われたでのでしょうか。ネットでは炎上という勢いで取り上げられることはなく、もともとデモや社会運動に関係していた人だけが言及しているように見えます。私ははじめに話を聞いた和田さんに「自主メーデー」の様子について聞いてみました。
「(旗や幟を手にして)『給付くれ』って一揆っぽい感じになりました。神輿は三密になってしまうので、今回は使いませんでした。僕はチンドン屋みたいな感じで参加して、とってもにぎやかな雰囲気でした」(写真、動画では武器のレプリカは使用していない模様)
 当日のデモ参加者は15人程度。後から見た映像では手を振っている人もいたようですが、一方、YouTubeで「バカがいる」って拡散してる人がいたとのこと。  
 デモをするうえで、自分なりの感染予防や周囲への呼びかけについてきたところ、
「感染については気にしてなくはないです。だから、デモをする時に『マスクをしてください』とは言いました。でも、横浜でやると誰が来るかだいたい予測できるんです。それと、人(の行動)に対してがーがー言う資格はないと思っています。大人なんだし」

取材を振り返って

 コロナウィルスの感染拡大がいつ収まるのかわからない3月~4月ごろは、「自粛」や「休業」の要請」への反発には以下のようなものがあったと記憶しています。あくまで「要請」なのは政府や自治体の長が責任を現場に押し付けたいからだ、「自粛」に留めたのは給付したくないからだ。そうした「自粛」への不満や不信感は一方では給付を求める動きにつながり、もう一方では「自粛」なんて生易しい、ロックダウンすべきだ、という、より強い統制への要求につながっていったように思います。(追記:『外出禁止や休業を強制できる法改正必要62% NHK世論調査』)
 「具合が悪い時には誰かのお墨付きを求めず、自分で判断して休む」「自分の体のことを思って無理をしない」ということが、そして他人のそういった決断を許すことができない社会を私たちは生きています。
 和田さんや加藤さんが求めるのは、少し乱暴なやり方だけれども、それの真逆な世の中なのかな、と感じました。もちろん話を聞いた2人にも考えに揺らいだり悩んだりするのだけど、(和田さんの『今思うと自粛した方がよかったのかな』という発言や、かとうさんが店を一時休業にしたいきさつなど)、何かの権威に委ねることなく、自分なりに考えながら、デモと感染予防と日常を成立させているようでした。

「自粛」を内面化する自分を発見

 「(記事ができるのは)いつでもいいですよ」という言葉に甘えまくって、全て書き終えるのが6月の半ばになってしまいました。なので、だいぶ書き始めの4月半ばとは捉え方が変化してきています。5月15日には国会前の検察庁法改正反対デモが、また、6月14日には日本国内でのBlack Lives Matter デモがメディアで取り上げられるなど、規模の大きいデモが行われるようになりました(もちろん、それまでもメディアに取り上げられていないデモは多数行われていましたが)。
 さらに、5月25日には47都道府県で緊急事態措置が解除され、自粛を強いる向きも幾分弱まってきました。今、読み返しながら修正などしているのですが、2人が快く答えてくれているのに感染予防の事ばかり聞いて、本当に私は感じ悪いな、というのが書いた本人の正直な感想です。
 ただ、やっぱり介護の仕事していることを思うと不安を感じてしまうのだけど、2人が働いていた施設にクラスターが……って話は聞こえてこないので、結果的に大丈夫だったのでは、とも思え、そこはまだ、もやもやしています。


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