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『灰のもと、色を探して。』第7話:帰還

 眼を開くと、灰色の空が見えた。輪郭の定まらない頭で、ミリアはまず少女のことを考えた。無事なのだろうか。

「アッシュさん、ミリアさんが起きました」

 こちらを、覗いてくる顔がある。少女だった。肩まで届きそうな金色の髪に、透き通った、大きな青い瞳。年齢は弟と同じくらいだろうか。ミリアたちの住む街には、ちょっといない種類の美貌だ。

 少し暗くなっていた。結構な時間、眠ってしまっていたのかもしれない。

「あなた、無事だったのね。よかった」

「ミリアさんのお蔭です。ありがとうございました。命の恩人です」

「わたしは、なにも。やられちゃったし」

 ふと思い、上体を起こす。あの、身悶えるような熱と痛みは、綺麗になくなっていた。獣に噛まれた箇所をさする。出血していたはずだったが、その痕も見当たらなかった。

「姉ちゃん」

 弟が、駆け寄ってきていた。返事しようと思ったのも束の間、弟に力強く抱き締められる。勢いを殺しきれず、ミリアは再び仰むけになった。

「どうしたの、アッシュ。大袈裟ね」

「どこが大袈裟なもんか。ずっと血が止まらなかったんだよ。俺が間に合わなければ、もしかしたら」

 言われてみれば確かに、あの裂傷では、時間の経過で致死となったかもしれない。

 あの時助けに来てくれたのは、弟だったようだ。なにか、叫んでいたような気もするが、どうやって救ってくれたのかはわからない。

「なんでわたし、傷がないの?」

「ヒューが、付きっきりで治してくれたんだ」

 ヒューとは、と思ってから、それが少女の名だとわかる。くっついたままの弟を、大丈夫だから、と引き剥がす。弟の顔は、涙で濡れていた。そこまで心配をかけてしまったのか、と申し訳ない心地になる。

「あなた、ヒューというのね。あまりよくわかっていないんだけど、治してくれてありがとう」

「いえ、できることをしただけです。助けてもらった恩を、少しでも返せればと」

「恩なんて、でも結局」

 その先を言おうとして、ミリアはやめる。この思いは、自分までで留めておいた方がいい。

 結局、わたしはだれかの助けを求めた。

 自分の身体能力に酔い、正体のない自信を抱いて接敵し、負けるところだった。いや、負けたのだ、と思う。弟が間に合ったのも、幸運でしかない。来なければ、とは考えたくなかった。

「ミリアさん、どうかしました?」

「いえ、なんでもないの。それよりもヒュー、あなた、どうして逃げなかったの? どう見ても、あなたの槍では勝ち目はなかったでしょう?」

 問いに、ヒューは面食らったようだった。思案しているのか、返答がない。

「姉ちゃん、なんか冷たくない?」

「ただ、気になっただけよ」

「ミリアさんは、どうしてわたしを助けようと思ったんですか?」

「それは」

 言い淀む。眼の前で、ひとが危険な状況になっていた。命に関わりそうだと思った。そのあと、気づいたら前へ出ていたのだ。

「今、ミリアさんが考えている理由と、同じだと思います、多分」

 言ってから、ヒューは笑顔を見せた。屈託がなく可愛らしい。

「それと、実はある予感がありました」

「予感?」

「俺たちが、使徒なんじゃないかってさ」

「アッシュ、あなたなにか知っているみたいね」

「姉ちゃんが寝ている間に、ヒューから聞いた。ほかにも、いくつかね。さっきもあっちで魔法の練習をしていたんだよ」

「待って。これ以上、新しい情報を増やさないで」

 手で弟を制する。それにしても、弟とヒューは少し親密になったようだ。

「ミリアさんたちは、使徒と呼ばれる存在です。別の世界から、こちらの世界へとやってくる旅人。わたしたちにとって、なくてはならないひとたちです」

 この世界、と言っていた声をミリアは思い返す。別の世界、と教えられても、実感はまったく湧かない。それでも、現時点では、そういうものとして受け止めるほかはないのだろう。

「なぜ、使徒は大切なの?」

「色々とありますが、まず、この世界を作ったのが使徒だからですね。その使途が決めた規則により、我々は役割を与えられ、生活を営んでいます」

「つまり、ここはわたしたちのような人間が作った世界、ということ?」

「そうなります。まあ、お二人にとっては変な話に聞こえるとは思いますが、わたしにとっては、わたしが普通に住んでいる世界ですから、別段気にはなりません」

 ヒューは、笑みを崩さない。もとから朗らかな性格なのだろうか。それとも、こちらに不安を与えないよう、彼女なりに努力しているのかもしれない。

「この世界は、使徒がいないとはじまりません。躰に流れる血液のようなものです。もちろん、たまには悪漢も来ますが、そういう者は追放され、二度と来られなくなります。使命を心得ていませんから」

「使命? ここに来る途中で、選ばされたやつかしら」

「それです。その目的に沿って、使徒は鍛錬を積んだり、旅をしたりします。そして、使徒がいなくてはならない理由のひとつは、その過程でさまざまな人助けをしていくことです」

「その結果が、この灰の空なんだってさ」

「違います。使徒のいない状態が、続いた結果です」

 空を仰いだ弟につられ、ミリアも顔をあげる。ほのかに暗い、曇った空。やみそうにない灰が、さらに上空を見づらくしていた。

「灰の空に限らず、ここいらの建造物が朽ちてしまったのも、同じ原因でしょう。もっとも、わたしが見たわけではないので、推測でしかありませんが」

「それが、使徒によるものだと」

「遠因です」

 ヒューは、ミリアの顔を覗きこんできた。先ほどまでの笑顔は消え、事実を機械的に述べているような表情を見せる。

「長きに渡る使徒の不在で、この世界は崩壊しかけているのです」

「崩壊って、そんな」

「ミリアさんたちが来る前は、およそ数百年の間、使徒は入ってこなかったようです。そして、その使徒も何度か行き来を繰り返したのち、ぱたりと消息を絶ちました。腕輪も、アッシュさんが拾いあげるまで、だれの眼にも留まることはなかったようです」

 話の規模に、ミリアは口を開けてしまう。自分たちが、その悠久とも思える時間を超え、来訪を担うことになったのか。

「昔、この世界は使徒で溢れていたそうです。街はにぎやかで、魔物は討伐され、経済は回る。今となっては、廃墟と灰の空、そして狩られることなく、好き放題に暴れる魔物です。ああ、ええと、魔物というのは、悪意や狂気で生まれた、平和に仇なす禍々しい生命たちのことです」

「姉ちゃんたちを襲ったのも、魔物だよ」

 魔物。心の中で、その言葉を読む。あのような存在が、この世界にはたくさんいるということなのか。そう思い、ミリアは心胆に寒気を感じる。

「使徒が数多いることで維持できる世界は、その存在が恒久的になくなったことで、誤作動を起こしています。我々は役割を忘れ、あるいは誤解し、環境は荒れるに任せ、やがて消滅する。まあ、それぞれによってその速度に差はあると思いますが」

「ここに来る時に話した声も、我々という言い方をしていたわ」

「でしたら、もう聞いているかもしれませんね。わたしたちは、眷属と呼ばれます」

「そう、その言葉」

「俺も聞いたよ。ヒューも、そうなんだね。外見は俺たちと変わらないのに」

 どことなく、弟は悲しげな表情をしていた。

「中身も、ほとんど変わらないと思います。感情もありますし、子も作れます」

 少し間を置いて、弟が真っ赤になった。分かっていて、ヒューはこういう表現を用いたのだろう。場の空気を、和ませたかったのかもしれない。

「まあ、あまり違うとは、思わないでくれると嬉しいです。変に距離を置かれるのは、悲しいですから」

「そうするわ。眷属だから、と言われてもなんだか分からないし。でも、わたしを治したのは、眷属だからできたことなのかしら?」

 一度、ヒューは面食らったような顔をしてから、口を開いた。

「いえ、それはわたしの技能によるものです。治癒の魔法を、使いました」

 今度は、こちらが反応を示せない。

「ええと、魔法とは、出せない力を出せること、そう考えてください。使徒や眷属に、それぞれ固有のものが備わっています」

「俺の場合、それが炎ってことみたい」

 得意気な顔を、弟は見せる。得意ぶるところかどうかも、ミリアには判断がつかなかった。

「ミリアさん、この世界へ来る時に、なにを選びまましたか?」

 力、と言おうとした時、妙な感覚にミリアは襲われた。眩暈にも似た、世界が遠のく感覚。そして、はじめてではない。

 思い当たる予感に、反射的に弟を見る。その躰から、青い光がにじみ出ていた。遺跡の時のものと、まったく一緒だった。

「ミリアさん、これは」

 おそらく、自分も同様に発光しているのだろう。ヒューはその丸い瞳を、交互にミリアたちへむけていた。驚きを、隠せないといった表情だった。

「ヒュー、ここにいろよ」

 弟に、慌てた様子はなかった。力強ささえ感じる声を、ヒューにかける。それを受け、ヒューはどこか苦しそうな顔を作り、両手を組み合わせた。

「はい、待っています」

 ヒューに声をかける余裕はあった。それでも、ミリアには言うべき言葉が浮かばなかった。また会えるのか。いや、再び会いたい、と自分は望んでいるのか。

 閉じた瞼の裏側さえも、眩む青さに満たされていく。



 暗い。天井を見ながら、ミリアはそう思った。

 知っている。ここは、自分たちの部屋だ。

 隣から息遣いが聞こえ、ミリアは首を曲げる。気持ちよさそうに、弟が眠っていた。

「起きたか」

 暗がりから、スミスが姿を現す。どことなく、やわらかい表情をしているように見えた。

「スミス、さん」

「今はスミスでいい。それより、躰はなんともないか」

「うん、なんともなさそう」

 起きあがりながら、躰の節々に違和感がないことを確認する。

「そうか」

「わたし、どうして」

「その話をするなら、アッシュを起こした方がいい。今後のことも含めて、対応を決めなければ。遅い時間だが、ゆっくりしてもいられない」

 言い終えると、スミスは手で下を示しながら、出ていった。階下の工房で話し合いをする、ということだろう。

「アッシュ、起きて」

 肩を揺さぶる。静かに瞼があがったと思った瞬間、アッシュは勢いよく跳ね起きた。

「ヒュー」

 大声をあげたまま、額がミリアの額とぶつかる。鈍い音が、骨を通じて聞こえた。

「痛い。もう、なにするのよ」

「あれ、姉ちゃん。ここは」

 額をさすり、痛さを和らげるようとするミリアをよそに、弟は赤味の差していく額をそのままに平然としている。痛いはずだが、脳がそう認識していないのか。

「わたしたちの部屋」

「ということは、あれ?」

「混乱しているところ悪いけど、行くわよ。スミスが、下に降りてこいってさ」

 立ちあがり、弟に手を差しだす。眼を擦りながらも、弟はしっかりと掴んできた。ぐいと引っ張り、持ちあげる。

「ヒューは?」

「いいから、行きましょう。話し合う必要があるわ」

 手を離し、先に廊下へ出る。正直なところ、自分にも説明はできないのだ。

 ただ、ひとつだけわかったこと。弟の口から、ヒューという名が出た。できることなら、そうはならないでほしかった。

 自分が見ていたものは、夢ではない。

 階下には、スミスとギマライだけがいた。工房や協会はとうに閉まっているのだから、当然と言える。

 スミスへ報告を終え、情報を交換した。

 遺跡の最奥で光が満ちた時、ミリアたちは消えていたらしい。神隠しのように突然いなくなり、スミスとギマライだけがその場に立ち尽くしていた。部屋の仕掛けで、別の場所へ瞬間的に移動させられたのかもと思ったが、隅々まで調べたところ、その可能性はなさそうだった。

 ミリアたちを吸い込んだ球体を、持って帰ろうと提案したのはギマライだった。ミリアたちの安否が確認できない以上、現状を維持すべきとスミスは反論したが、ギマライは、ミリアたちがその球体に吸いこまれたように見えたと言い、球体が無事なら、二人も無事だと考えたようだ。ミリアたちの消えた原因らしき球体をこの場に置いておくことより、工房で保全しておくほうが二人にとってよい結果になる。スミスはその論に納得し、球体を持ち帰った。また、その装置が発動したせいかは不明だが、遺跡全体がなにかの光によって明るく照らされたらしい。

 しかし、手の届くところにあれど、手を出せるような代物ではない。工房の床に置くと、また浮遊をはじめた球体を前に、ギマライとスミスは待つことしかできなかった。

 そして、突如青い光が消えたと思ったら、ミリアたちが現れたのだ。驚くスミスたちを前に、二人はそのまま倒れこんだ。同時に、球体は力なく床に転がった。

 工房は騒然としたが、スミスの一喝で静まり返った。それでも、噂は流れるだろうし、明日の朝、物見遊山で見にくる者もいるだろう。スミスはそう予測していた。とはいえ、そういう連中を相手にしている暇はない、と付け加えて。

「夢のような、話だな」

 スミスは、短く息をつく。ほかの会員は、皆退勤していた。明かりをひとつだけ灯し、ミリアたちは椅子に腰かけていた。

 球体は、スミスの机の上、急ごしらえの台座に置かれている。落ちた時に衝撃を与えないよう、台座の球体に面した部分には布が幾重にも敷かれていた。

「アッシュもわたしも、同じことを、別々の視点から見ていたの。それは、夢というものでは説明がつかない」

「そうなると、ヒューという少女の言うように、別の世界と考えるしかない、か」

「それもまた、だいぶ変な世界ですよね。魔法でしたっけ? そんなものがここにあったら、世界の技術はひっくり返りますよ」

 ギマライも、工房に残っていた。ひとりだけ、座らずに壁に背を預けている。彼がいることにいい気分はしないが、倒れた自分を部屋まで運んでくれたのだから、文句は言えない。

「ヒューは治癒で、俺は火。剣の形状を火炎で作って、相手に投擲する魔法が、今使える技だよ。火尖剣って言うんだけど」

 剣は獣に刺さり、燃えあがった。かなり遠くから投げていたように、ミリアには思える。当然炎は出ないが、弟は技の一連を躰で表現してみせた。

「名づけたのかい?」

「それが、違うんだよね。なんか知ってるんだよ。姉ちゃんも、そうじゃなかった?」

「ううん、わたしには、知っている魔法はなかった」

「でも、姉ちゃん、すごい大きな斧を振り回していたじゃん。あれは、魔法なんじゃないの?」

 言われて、確かにそうかもしれない、と思った。あの時、自分は戦い方を知っていた。

「躰が、信じられないほど軽かった」

「それが、姉ちゃんの魔法なんだよ、きっと。あの斧、持とうとしたけど無理だったもん」

「ミリアが、斧?」

 スミスが、呟くように訊いてきた。

「遠くにヒューと姉ちゃんが見えた時には、獣は一体しかいなかったけど、あとでヒューに聞いたらさ、ほかに四体いて、それは全部姉ちゃんが斧でやっつけたって」

「ここでその動きはできるの、ミリア?」

「いいえ、できないわ。あの世界にいた時の軽さが、綺麗になくなっているからね」

 ギマライの問いに、首を横に振る。考える仕草を、ギマライは見せた。

「スミスさん、私なりの推測を、言っていいでしょうか」

 なにも言わず、スミスは視線で先を促す。

「その前に、都度むこうやあちらの世界と言うのでは効率がよくないので、世界の名称を決めたいです。ミリア、なにか案はない?」

「そんな、出てこないよ。アッシュはどう?」

 話かけてこないで、と思いながら、ミリアは弟に振る。

「都合がいいなあ」

「アッシュ、むこうでなにか印象的だったことはある? こちらにはないような、鮮烈に記憶に残っているものとか」

 眼を閉じて、弟は腕を組む。いかにも考えている、といった風だ。

「灰」

「灰。それは、なにかが燃えたあとに残る灰で合ってる?」

「うん。これ、多分報告してなかったと思うんだけど、あそこはずっと曇っててさ、太陽なんて見えないんだ。それで、雪のように灰が降り続けていた」

「へえ、面白い。原因は?」

「さあ、ヒューなら、なにか知ってるかもしれないけど」

「そっか。じゃあ、灰の国にしよう」

「いいね、かっこいい」

 決まったようだ。名など、どうでもいいではないか、とミリアは少し思ってしまう。

「ギマライ、続きを」

「はい。まず、球体は移動装置だと考えられます。それも、長距離といったやさしいものではなく、環境や文化がまったく違うような、別の世界へ飛ばすような代物です。その移動に際して、必要となるのが腕輪です。それは、青い光が腕輪から出たこと、それを着けていたのが、消えたミリアとアッシュの二名だったことから、そう考えられます」

 ミリアたちに着いたままの腕輪を、ギマライは指す。腕輪は、暗がりに同化したかのようになにも発さず、かすかな冷たさをミリアは覚えた。

「腕輪を着けたよそ者を、灰の国では使徒と呼ぶのでしょう。ヒューという少女が二人に接触してきたのは、ミリアとアッシュが使徒だからです。そして使徒は、灰の国に入る時に、魔法という名の技能を授けられる。それが、アッシュの場合は火で、ミリアは力だった」

「ヒューも魔法を使えていた。姉ちゃんを治すの、大変そうだったけど」

 弟が、口を挟む。

「おそらく、程度の問題じゃないかな。灰の国の住人である眷属も、魔法は使える。けど、より強い魔法は、使徒のみに与えられる。だから、きみたちの来訪を喜んでいた」

「喜んでいた? そうなのかしら」

「魔物と呼ばれる、この世のものとは思えないような獣。ミリアがその魔物にやられそうな時、少女は助けに入ってきたんだろう? また、二人を前に逃げたり、攻撃してきたりということもなかった。それは、見知らぬ人間に対する態度としては、かなり友好的だと思うよ」

 ミリアは、獣に立ちむかったヒューの姿を思い出す。弱々しくも、毅然としていた。そして、ミリアの傷を治し、灰の国のことを教えてくれた。その時に彼女から感じた印象は、悪さや禍々しさといったものからは、かけ離れている。

「ここまでが、現状への考察です。スミスさん、どう思われます?」

「その先だ、気になるのはな」

「その先?」

 スミスの受けに、ギマライは頷き、弟はおうむ返しをした。

「なにか予期せぬ事態で、二人はこちらに戻ってきました。二人が再び光った時、ヒューは驚いていたと、さっき言ったね? それは裏を返せば、きみたちはもっと灰の国にいると思っていたわけです」

「待ってる。ヒューは、そう言った」

 ヒューが話題に出ると、アッシュはどことなく強さを見せる。弟ではなく、男らしさ、というものだろうか。

「使徒が長く不在だったことで、灰の国は荒れ果ててしまった。ヒューの表現を借りれば、誤作動と言うものです。であれば、彼女が二人に望むことはひとつしかありません」

「世界を、元に戻すこと」

 閃いたように、アッシュは立ちあがる。否定せず、ギマライは小さく笑みを作った。

「話が、大きすぎない?」

 水を差すわけではないが、ミリアにはどうも事が現実離れしているように思えてしまう。

「もちろん、推測だからね。はずれていることもある」

 言いながらも、ギマライは自信があるように見えた。

「そんなところか」

 ギマライとアッシュに比べ、スミスの声は重かった。いつも通りといえばそうだが、それでも、なにか含みがある。

「スミスさん、いけませんよ」

「なにも、言ってないだろう」

「この件を、もう終わらせようとしてますね?」

 思わず、スミスを見てしまう。アッシュも驚いているようだった。

「していない。ただ、調査を続けるのは、ミリアとアッシュの二人でなくともいいだろう、と考えているだけだ」

「スミス、嘘だよね。いくらなんでも」

「落ち着け、アッシュ」

 反射的に喰ってかかる弟にミリアはまた一瞬肝を冷やすが、スミスは普段の厳しさを見せなかった。今この場に会員たちがいない、という理由からかもしれないが、きっとスミスにとってさえも、日常から大きく遠ざかりつつある現実に、自身の会長としての立場を意識できなくなっているのかもしれない。

「お前ら二人には、危険すぎる。正直に言って、別の世界に行ける装置なんてのは、この協会がはじまってから例がない。俺の経験や勘も、まったく役に立ちそうにない。調査を続けるのなら、熟練した発掘者が然るべき対策を備えて、計画を立ててからだ。それでも、危険なことに変わりはないんだ」

「逆です、逆」

「どういうことだ、ギマライ」

 空気が張り詰める。アッシュも、怒りというよりは、先行きを不安がっているようだ。

「見当がつかないからこそ、ミリアとアッシュに行かせるべきです。冷たい言い方になりますが、スミスさんがそこまで危険と判断しているものに、熟練者を行かせる方が協会としての損失が大きいです」

 自分たちのような新人なら、なにかがあってもさほど問題ではない、とギマライは言っている。スミスは、なにも返さずギマライを見据えている。

「それに、だれも行かないと思います。この話をしたところで、引き受けるような会員はいないでしょう。発掘者と言いながら、みんな安定した遺跡で安心して仕事をしたいんです。そういうところです、この協会は」

 珍しいと、ミリアは思った。ギマライの口調は、丁寧でこそあれ、棘を感じさせていた。ミリアの知る限り、こういうギマライは、はじめてだった。

「行きたい、と心から言うのは、この二人だけです。いや」

 ギマライは、腰に着けている袋を探り、取り出したものをこちらに見せてきた。

「三人だけです」

「どうして」

 腕輪だった。意図せず、ミリアは言葉を漏らしてしまう。

「新人の時に、あの遺跡で拾ってね」

「スミスへの報告は?」

「してない」

「それは」

 不正ではないか。言いそうになり、ミリアは慌てて口を噤む。

「ギマライ、不正か」

「発掘者になって、最初に発掘したものだったんです。なんとなく記念にと思って、私物化しました。申し訳ありません」

 淡々と、ギマライは謝る。スミスはそちらを見ずに、視線を落としている。

「まあ、ずっと忘れていたんですけどね。二人が戻ってきて、眠っている間に、ふと思い出しまして」

 苦笑を浮かべるギマライに、ミリアが先ほど感じた棘はなくなっていた。普段の、飄々とした態度だ。

「ですので、ミリアとアッシュ、そして私の三人で行かせてはくれませんか。私は、まだ経験は浅いですが、二人より年齢が上である分、情報や問題に対して適切に思考と判断ができると思います。また、二人より三人の方が、単純に安定するでしょう。アッシュ、どうかな?」

「ギマライさんがいるなら、すごく頼もしいや。そうすることで、ほかの人が行くこともなくなるなら、俺は大賛成だよ」

「ありがとう。ミリアは賛成? 反対?」

 賛成するだろう弟に、先に訊くあたりが周到だと思った。ギマライらしいといえば、ギマライらしい。それでも、心強いと思ってしまう自分がどこかにいる。

「そもそも、わたしは行きたくないんだけど」

 息を吐きながら言う。本心だった。

「でも」

 手を握る。斧の感触が、まだ残っていた。屈強な男でも持てない大斧を、軽々しく振り回す。

 力に満ちた躰を自由に操る。

「ヒューに、また会いたいとも思う」

 これも、本心だった。弟は眼を輝かせ、ギマライは察したように歯を見せる。心の中で、スミスに謝った。彼の心配はいつだって、なみなみとミリアたちに注がれている。

「わかった」

 眼をあげ、スミスは呟くように言った。

「ギマライ、指揮はお前だ。ミリアとアッシュは、ギマライに従え」

「わかりました」

 ギマライの返事に、ミリアは弟と合わせて礼をする。

「あとは、この装置の動力についてだが、これはおそらく太陽が関係しているのはないかと俺は考えている。ギマライ、どう思う?」

「同意見です。二人が腕輪を発掘して、光が消えた時は、まさに日の入りでした。また、二人が戻ってきて、装置が発光をやめ、浮力を失した時もそうです。そして、遺跡の最奥部がなんらかの構造で集光を強めていたことも、わかっています」

「つまり」

「払暁(ふつぎょう)から薄暮(はくぼ)。その間が、灰の国にいられる時間。まずはそう考えて行動するべきです」

 ギマライの説明に、スミスは頷いた。それから煙草に火を点け、煙をくゆらす。

「散会とする。明日、夜明けに三人ともここへ来るように」

「わかりました。それでは、明朝に」

 かすかに笑みを浮かべたまま、ギマライは出て行った。

 弟が、こちらを見ている。なぜだか、ミリアは場を動けずにいた。

「どうした。部屋に戻って休め。もうすっかり夜も遅い」

 スミスは立ちあがり、灯りへと近づく。

「姉ちゃん、行かないの?」

「そうね」

 腰をあげ、椅子を整える。見倣うように、弟もぎこちなく続いた。

 扉に手をかけ、振り返る。スミスは、先ほどとなにも変わらず、灯りを見つめていた。

「スミス」

「なんだ」

「いつも、ありがとう。おやすみなさい」

 こちらをむいたスミスの瞳は、炎の反射か、揺らめいていた。

 階段をあがる。軋む音が、暗がりに反響していた。

「姉ちゃん」

「なあに?」

「きちんと終わらせようね、調査」

 弟を見つめ、ミリアは小さく頷いた。

「そうだ、アッシュ、言い忘れていたことがあった」

 なにも返さず、弟はただこちらを見てくる。いつもの、あどけない瞳だった。

「助けてくれて、ありがとう」

 少しして、獣に襲われた時のことだとわかったようだ。弟は一気に破顔し、手を振りあげた。

「守れて、よかった」

 恥ずかしいのか、言い終わる前に踵を返し、弟は先を行く。


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こちらのイラストは、秋吉様に描いていただきました。

改めまして、この度はご協力いただきありがとうございました。

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