私がフェミニズムを話すときの話


しがない大学生太郎マッタニです。noteではお久しぶりです。しがなくねーよ!なんて言える日は来るのでしょうか。時が過ぎ季節は変わる。温度は下がって我らがヒートテックが出てくる冬になりましたね。

ミスiD2021のファイナリストになりましたヤッタネマッタニ。ありがとうございます。ひたすら泥を進むように、フランクな場での自己紹介には到底使えない 自己分析をした甲斐がありました。ありました?ありました。あったやろ。どう見てもあったやろ。知り合いの多くが『早く落ちるマッタニ』を望んでいたかもしれません。野心や他エントリー者への対抗心云々よりも、終始『自分ェ』だったマッタニ。終わってないけどな。見てる?


気づいてしまった社会に対して見て見ぬフリはできない。でももうしんどい。やめてしまいたい。知らないフリで生きていたい。夢みたいな花畑に帰りたい。帰れないのが現状で、それはいつだって私の目の前を塞いでいる。

なんて、自らが経験した過去の土台の上で。積み上げた知識と感情を矛や盾にしたツケを感じていました。『それだけが私ではない』の反発心じみたもので走っていました。いつも走っている。

ザックリと、私がフェミニズムを話すときの話をします。別の記事で既出しているものがあるかもしれませんが、メンソです。


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理解のある彼の理解て何


理解のある彼くん、一時話題になったりしましたが、理解のある彼くんの理解とは一体何なのでしょうか。

マッタニはひねくれパーソンと言われても致し方ありません。他人に対して閉鎖的な自覚もあります。よって、これからの意見は『理解のある彼くん』に対するヘイト等ではありません。いや否定かも。ただ、全否定ではないです。攻撃性を持ちたいわけでもないです。受け取り方が全てですが。その『彼くん』に救われた人は多いでしょう。素敵な関係は素敵以外何でもないですわ。

マッタニの経験上、『俺はわかってるよ』の言葉がわかっていたことがありません。適当な土足で踏み散らかされて『もういいので出てってください…』であったことしかありません。この『わかってるよ』は正直過信であり、なんなら『わかってる俺』に対してフォーカスが向きがちです。『俺、メンヘラに好かれるんだよね~』という人には大まかに2パターン存在すると思っています。

①本当に優しすぎて、情緒が不安定な人を放っておけない人。⇒共依存になるかカウンセラーみたいになる。

②悲劇のヒロインを救っている自分が好きな人。誰もヒーローにはなれない。

参考になったとあるブログのURLが引用できないぽいので、『俺メンヘラホイホイ』で検索してください。参考にさせて頂いた記事です。メンソ。


『じゃあどうしたらいいんですか』とか逆に言われそうですけど、『互いに勉強中』の姿勢を崩さずいたらいいんじゃないですかねデストロイ。そもそも『理解』という言葉でハイ終了~ってさせる意図さえ感じかねない。

前提として、今生理なわけでもなく、今の恋人に『こんなこと言われました』ってわけでもないのですが、こういう、こういうことを言いたい。

『女の人ってヒステリックだよね』と残した彼はとてつもないモラハラでした。どの界隈にも所謂やばやつは一定数存在する可能性はあり、『良い人』だけの世界なんてどこ探しても少数派であるのです。疑いは諍いや傷害を避ける。自衛姿勢常は可哀想な勘違い女でしょうか。

からの、マッタニが恋人にフェミニズムを説きに進んでいると思われていますでしょうか。受け答えは存在しますが、常として、プライベートな空間で急を要するように議題を持ち出す傾向は私にはありません。勿論、カップルで己のセクシュアリティだったりを真面目に話すことは大切だと思います。何故って逆に何故?おっと?マッタニが語るフェミニズムは、マッタニの全てでもないしフェミニズムの全てでもない。その着ぐるみでくるめようとするな。ちなみに着ぐるみだったら何着たいですか?マッタニはアニメ『けいおん』のりっちゃんが被ってたやつがいいです。シュガちゃんスッキ。

一方で、フェミニズムは確固として人生とアイデンティティに欠かせないものになったマッタニは、それを軽く扱うことはできません。ネタとして、その場しのぎのトークテーマとして扱われるのマジきちい。マッタニが引っかかるトピックみたいに扱われるのマジきちい。フェミニストが『好意を寄せる相手』=『フェミニズムに理解のある人』の方程式は、諸々の冒涜であるとすら思う。意味わかんね。

後最近、運動コミュニティ内の性被害率に関する記事を読みました。どうしたらいいねんな。ポォン


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各所に対して問題意識を持たなければならないのは皆でしょう


フェミニストとしての名の知れた方々が、一つ一つ細かに差別問題についてのニュースを拾っていないと激怒する方多すぎません?フェミニストは性による差別に対して全反対の位置を取ります。社会問題に格差をつけることは危険であり、『○○で悩んでるなんてお気楽』『私たちはもっと不幸』なんて言葉はNGNGGぐらいNGです。何が死活問題かをランキングしてはならない。一方で、それら全てを、進んで網羅⇒全てに対して労力を使って抗議する『義務』は無いでしょう。問題意識を感じないわけはないのです。感じないわけないでしょう。言及していない=黙認している=許容している までの道筋エグ早くないですか?

社会運動ってめちゃくちゃしんどいことだと思います。同じことを何度も繰り返して。何度も聞かれて。何度も一から説明して。説明するたびに、己の無力さと社会の残虐さを真っ向から見ざるを得ず。趣味というフランクな活動家もいらっしゃいます。彼/彼女の活動を『真面目にやれ』と非難するわけではありません。ただ、『好き』でやってるわけじゃない人々が大半だと思います。革命や一時代のブームが全てを解決するわけではないことは、歴史が証明しています。

『担当を分けましょう』の提言ではなく、その『これにはツッコまないんですか?』は彼/彼女の主張をガン無視してはいませんか?それが、例えば企業の当該問題であるならまだしも。

社会の一員として、目にしたり、議題にしたら考える必要はあると思います。でも私たちは全責任者ではない。広告塔でもない。責任の押し付けが激しすぎる。


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当事者と研究者


当初、マッタニは自分の意見に対して『客観性は?』って論理を常として求められ続けるのが嫌で、『学問』としてのフェミニズムを主張していました。これは今思うと、単なる私の怠惰でもあるのですが、(他の事例や数なんていくらでもある)

でも最近になって、自分がフェミニズムの最中にいすぎて、当事者でありすぎてシンプルな研究対象として見れる自信がなくなってきています。シンプルにしんどい。学ぶ度に、あちこちを見る度に自分の性の劣等性を突き付けられて惨めに思ってしまう。時に、憎らしく思ってしまう。純に『社会問題』として手に取ることができる彼も彼女も羨ましい。マッタニも、もっと真正面から手を繋ぎたかった。真っ新に持ち上げたかった。

他人事というと冷たい印象を植え付けかねませんが、真摯に向き合いたいがこそ、他人事として扱いたかった。

『私は感じたことはないけど』の彼女の言葉に安堵する雰囲気にも、誰かが解き明かす芸術や文化のジェンダーギャップにも。一つ一つに傷ついてしまう。泣きそうになってしまう。これは被害妄想でしょうか。

知識を得たはずの私たちがドンドン苦しんで、何も知らない彼女たちが笑っていることに対する劣等感が凄まじい。『考えすぎ』の言葉を信じたいとさえ思う。馬鹿を求められて、弱者であることに期待されるのが嫌で仕方ないのに、いっそ知らない頃に戻りたいと思う。夢みたいなお花畑に戻りたい。


戻れないし、馬鹿にされたくないので今日も立ちますが。無能な女性が前提にされて、結果として歴史が紡いだ席の欠く状況が続いていいわけがない。

当事者である私が、論理を駆使して研究や学問を継続する体力を望んでいます。悔しいのでなんとか、なんとか潜り抜けたいと思っていますが。疲弊がえぐち。


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わかりやすさのメリット/デメリット


わかりやすさの利便性を重要視しすぎた社会は、読解力と想像力を奪っていきました。わかりやすさは大事です。誰もが手に取る権利があって、誰もが取っつきやすいというのは大衆社会で大切です。一人の声より多数の声で、一人の知より多数の知です。

ただ、秒読み可能のわかりやすさに紐づけられる誤解と新たなステレオタイプの誕生数がえぐち。もう世界はえぐち。え、ッグチ。

わかるねん、各所に限りもあるし、時間もないし、忙しいよな毎日。忙しい人のための○○って結構ほんまにわかりやすかったり、独特の面白さあるよな。でももう、大衆ウケってなんなんやろな。マッタニは関西人ですが、たこ焼きよりお好み焼きが好きです。広島焼きも好きです。作り方イマイチ出てこーへんけど。

誇張の描写は地獄しか生まない。でも、誇張しないと誰もわからない。暗闇に置きざるよりはマシでしょうか。新たに傷つく人が出ることがしんどい。『大丈夫あなたのことじゃないよ』っていう言葉は、所詮他人の言葉である。


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美醜


女性同士が争ってるの好きな人いますよね。なんて話でもありますか。美醜。美醜の話はとっても複雑で、社会の強制の是非なんて以ての外なのですが。正解を一と決めてはならない。

ただ、『褒めてるんだから許せ』は確実に無い。『ネタだから許せ』も無い。てかなんで命令口調やねんな。パァドン。

メイクもおしゃれも、男性にとって開放的であるべきなのです。ただ、その女性に限定した強制がダメなのです。

一方でマッタニ自身は、胸張って美容を楽しんでます!と言える自信はありません。コスメを買う時も美容系商品を買う時も、根本には義務と焦りの感情が未だ存在している。太った私は可愛くないから、食事を楽しめるようになったとて、別日でずっと焦っている。中身に対して出てくる言葉はマイナスで、これといった才能もないから『せめてもの外見』に走りがちな時があある。自分可愛いやん!の日と、自分やばい頑張らないと、の日がある。不安定is俺氏。正直いつもいつでも超好調の人なんていないと思うのですが。

可愛いもオシャレも楽しむ!とか言っときながらも、心の底から楽しめている自信が無いのが俺氏って感じ。可愛いを楽しんでる女性も男性も、大好きです。そんなあなたは美しい。の仲間入りしたい。絶賛奮闘記。

一方で、本屋で見かけた一冊の本に時間は止まりました。

まだ何もちゃんとした言葉を手にしていないマッタニが話していい事ではありませんが、揶揄も適当も、重さを人類は一度知る必要がある。復讐などの裏面がないそれらはシンプルに鋏。

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ブレイクタイムとして、マッタニの好きな女の子のタイプを置きます。

志村貴子さんの作品の雰囲気を纏った、メロンパンを美味しく食べる女の子です。君に幸あれ。

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おわりに


身体的な問題、生物的な問題は仕方なくて、女性は必然として弱者になってしまうのでしょうか。

それだけなわけがないでしょう。って言ってしまいますね。

社会的問題も絶対ある。女性の無知と服従を望む社会がここにある。家父長制は儒教によるものだから仕方ないですか?仕方ないわけがない。

私たちここにいます。

マジ自分が蒔いた種と言われればそうなんですが、自らの傷を自らでエグってってる気がしてならない最近です。くっそ~一回お鍋して休憩してもっかい立ちます。皆さんかっこいいマッタニが好きでしょ。私もそうです。








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