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子どもの学びを邪魔しない大人になろう

私は小中学生向けにシェア工房を運営しています。場所だけ開放できたら楽なのですが、なかなかそうもいかず、こどもたちから見たら先生的な立場です。でも先生なんかいらないと思っているので、以前「先生はなぜ必要ないのか、を知らない人へ。」というタイトルで記事を書きました。


今日はYoutubeで小坂井敏晶さんという社会心理学者の講演を聴かせていただきました。すごく印象に残ったので、2時間越えと長いですがぜひ興味のある方は視聴してみてください。2020年5月6日まで無料で視聴できます。https://youtu.be/7jlqCjHi8Yo

カンタンに説明すると、人の能力は遺伝と環境で決まっている不可抗力なので、能力のない人が努力して報われるものではないとか、格差はどうしたって生まれてしまうってことを認めないと不平等が進んでいくとか、身も蓋もなく本質に迫っているので、探求や哲学が好きな方には楽しめると思います。

この講演の中で、仏教の法話の一節がたとえ話がでてきたのが最も印象的でした。


約2400年前、インドのシュラーヴァスティーという町に、幼い男の子を亡くした母親がいました。その母親は息子の亡骸を抱いたまま「薬をください」と町の中を歩き回っていました。シッダールダ(釈迦)のところに行ってみたら?と勧められてシッダールダにも薬を求めたところ、「町の家を回ってケシの粒を貰い、私のところにもってきなさい。ただし未だかつて死人を出したことのない家からもらってきなさい」と言われます。
母親は必至で町の家を訪ね歩き、ケシの実を求めます。
「それは大変ですね。どうぞケシの実を持って行ってください」と皆さん親切。しかしかつて死人が出たことがないかを確認すると「いや実は先日子どもを亡くしたばかりで」とか「去年親をなくして」・・・結局死人を出したことのない家を見つけることはできませんでした。
こうして母親はいろんな人の話を聞いて心の平静を折り戻し、こどもの死を受け入れ、悟りを開いたそうです。


人は目の前に答えがあってもわからない。

自分の体を動かしてやっと考えを得ることができる。

その学びは一生忘れないものになる。

と小坂井先生は言いたかったわけですが、自分のやっていることにすごくフィットしていて嬉しかったわけです。

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シェア工房では、子ども自身がやりたいことを見つけ作り方を調べたり、誰かの真似をしたり、教えあいながら完成させていくのですが、私は子ども達がその先にぶつかるであろう壁がわかっていても先回りしてアドバイスをしないよう気を付けています。

たとえば、木材を切るときにどうやってのこぎりを使うときれいに切れるかとか、どっち向きに木材をつなぎ合わせるかとか、どこにどんな補強を入れるか、といったようなことも、やってみて失敗すればいいじゃない、と考えます。

壁にぶつかれば勝手に違う方法を考えるし、それくらいで嫌になってやめる子は向いてないからしょうがない。

しかしこの方法はとても時間がかかるので、時間制限のある学校ではできなくて、先生たちは教えるんだと思います。
家では塾やご飯の時間やお風呂の時間があって、いつまでもじっくり考えさせる時間を与える余裕がないことが多いです。

例えばこのシーソーをつかったワーク。
たったこれだけの装置をつくるのにも、この子は60分かかりました。(しかも時間がなかったのでアドバイスをしてしまったww)

それでもまあ「どうしてゴールにボールが入らないんだろう?」という好奇心を絶やさず60分調整をしながら作りました。残念ながらゴールしたシーンはビデオに撮れていなかったのですが、ちゃんとゴールもできました。

つまり60分、彼はあらゆる可能性を試し続けました。

その経験が今すぐつながらなくても、テコの原理、重さ、重力などの学習をした時に「ああ、あれはそういうことだったのか!」と繋がる瞬間は必ず来ます。その時に一生忘れない知識になります。

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ここで一番大事なのは大人が子どもの邪魔をしないことです。

私が知っている邪魔な大人は2パターンあります。

邪魔な大人を減らすためにこの仕事をやっているので、恐れ入りますがズケズケと書いてみます。

その1. 直接手や口を出して邪魔する。
大人は知識があるのでついついアドバイスしたくなりますし、さらにはこどもの仕事を奪ってやってしまう大人もいます。大人なんだから教えてあげなきゃとか、カッコイイところを見せたい気分になるかもしれません。

でもそこで邪魔をしたら、例えば息子を生き返らせたくて半狂乱の母親に「その子はもう死んでるから生き返りませんよ」と言ったところで納得しないように、なにも生み出さない。

力が足りなくてできない、年齢的に細かい作業ができない、重くて運べない、そういう時には大人のサポートは必要ですが、

考える→仮説を立てる→やってみるのルーチンについては、大人は相槌だけうって眺めているほうがこどもの身になります。



その2. 子どもにしかやらせず、モチベーションを邪魔する。

「面白そうだと思って」と初めてシェア工房にやってくる親子の場合で、「面白そう」と思っているのは親だけで、こどもは全く興味なしというパターンが時々あります。
これは大人の希望を子どもに投影して自己実現しようとしている場合です。

これを察した場合「お母さんも一緒にやりませんか?」と誘ったりしていますが、やりたがる人は少ないです。やらない理由が「自分は不器用だから」だったりすると、本当にこどもが気の毒になります。

例えば面白そうだからこどもにも体験してほしいと思うなら、大人がまず楽しんだらいいです。「楽しそう!一緒にやりたい」と思えばこどもの方からやりたいって言います。上手くできなかったらこどもが手伝ってくれるかもしれません。そうしたらこどもの自信になるのでラッキーです。

同じ立場で一緒にやるのは、本当に良いことづくめです。こどもに勉強してほしかったら、大人も自分の勉強すればいいんです。本を読んでほしければ、自分も本を読めばいいのです。

現に工房に長く通ってくれる子はつくることが好きな家庭が多く、そんな恵まれた環境にあるならわざわざ工房に来なくても!と思うこともしばしば。

それはつまり教育というより、”共育”してるご家庭が多い印象です。

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先日のオンライン粘土講座は親子で参加してくれた方が多くて、家族同士で作っては作品を見せ合っていて、楽しい空気が画面越しに伝わってきました。

緊急事態宣言も延長されそうですし、withコロナ時代には時間はたっぷりありそうです。

ついこどもの邪魔をしちゃってるかも?と気になる方はこれを機に
時間をわすれて親子でやってみたいことに挑戦してみてはいかがでしょうか?




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